第18話 アフリカ・南スーダン②

 タンカで運ばれた大男は、この夜の宴にはすっかり回復して戻ってきたていた。いや戻ってこなければならなかった。自分たちイルガ族の新たな族長としてこれから君臨するハギギに、族長の標である例の剣山のような冠を引き継ぐ儀式の進行役を務めなければならないからだ。

 ハギギの両隣には、南スーダンで活動を続けていたコバレフとビボルが地面に腰を下ろしていた。対してハギギが倒したイルガ族の元族長イルンガ・マカブの両脇には、マカブの巨体のせいで小さく見えてしまうが、実際は190センチ、100キロ超えのコバレフやビボルに引けを取らないほど屈強な体付きをしていた。少し離れたとことで焚かれている祭壇の炎が夜の闇に溶け込みそうな彼らの黒い地肌をより精悍に際立たせている。

 3対3で対座するハギギらを中心として、祭壇とともに大きく取り囲んだイルガ族とハギギらのグループが、鳴り響く太鼓や笛のリズムに合わせて踊り狂っていた。


 マカブが自分の頭から冠を外すと、ハギギの前に差し出して何か語り始めた。

「今後、イルガ族の長として戦うときは、今日の私のようにこの冠を身に付けて戦うようにと言ってます」

 ビボルがマカブの言葉を通訳した。

 スーダンでは公用語のアラビア語と英語で、どこへ行ってもことは足りたので苦労はしなかったが、一方の南スーダンは公用語として英語を採用してはいるが、英語が通じるのは首都のジュバか大都市に限られていて、各地に数多有る部族はそれぞれ特有の言語しか話さないケースが多い。イルガ族もその例に漏れてはいなかった。

 南スーダンを潜伏地にしたビボルとコバレフも、今でこそ流暢に通訳できるまでになっているが、アルセンやケルであったらこうは行かなかっただろう。それを思うとこの2人を南スーダンに行かせたのは、つくづく正解だったとハギギは思いつつ言った。

「それについては了承するが、俺たちはジュバに向かう途中だ。また戻って来るまでこの冠は、マカブが預かっておいてくれないか」

 ハギギの言葉はコバレフが通訳した。

 するとマカブは鼻息を荒くして自身の胸先とハギギの間を何度も、往復させてしきりに何かアピールを始めた。コバレフも必死になって対応する。

「こいつ何を興奮してるんだビボル、まさかこいつらもジュバに連れて行けって始まったんじゃねえだろうな、こんな大所帯じゃちょっと無理があるぞ」

 少々困った顔をしたコバレフは眉毛をハの字にしてハギギに振り返った。

「そのまさかです。イルガ族の族長を少人数で遠出させるわけには行かないと言ってます。どうしますか」

 イルガ族はざっとみただけで50人以上はいそうだった。

「全員は無理だ。マカブと側近の2人ならいいだろう。それで納得させてくれ」

 コバレフとビボルは、2人がかりでハギギの意向を伝えた。するとマカブは渋い顔を見せたが、どうやらそれを受け入れてくれたようだった。

 ハギギは片膝をついて前に一歩踏み出すとイルンガ・マカブに右手を差し出した。マカブがその手を取る。

「交渉成立だな、こいつら3人でも相当な戦力にもガイドにもなるだろう」

 ビボルとコバレフがホッとして頷き合った。

 それから宴は翌朝まで続いた。

 南スーダンにはイルガ族のように、群れで一番強いものが族長という掟を持った戦闘部族が無数に存在している。尤も外国人をその掟に適用したのはイルガ族、いやイルンガ・マカブくらいのものかも知れない。

 ハギギらがジュバを目指す目的は、そこでPKO活動に従事する日本の自衛隊が所持している最新鋭の銃火器を奪うためだったが、ただ奪うというだけでは単なる強盗に過ぎない。そこでジュバに直行するのではなく現大統領と対立の渦中にある、前大統領を助けると言う大義名分を掲げることにしたハギギは、まず自分たちの戦力を強化し自らのグループを傭兵として売り込むことを考えていた。

 強いものが群れを率いるという戦闘部族の掟は、傘下に加え戦力を強化するには都合のいい制度だった。イルガ族の長にさせられたのは想定外ではあったのだが。

 そしてこのイルガ族を従えた時点で、アビエイからジュバに向けて500キロ以上南下してきたハギギらは、既に6つの部族を傘下に収めることに成功していた。中でもイルガ族は南スーダンきっての武装民族として名を馳せていて、コバレフとビボルは揃ってイルガ族と事を構えるのだけは反対していたほどだった。

 イルガ族は土着の部族とは違い、定住するということはなく、畳んで担ぐことのできるテント様式の寝床を、族長のマカブが住処にしている大型のキャンピングカーを囲うように設置するジプシーのような習性を持っていた。その身軽な彼らが、ジュバに向かうハギギらに同行すると言い出したのは、ごく自然な流れだったとも言える。

 マカブに招かれてハギギはビボルを連れてキャンピングカーに乗り込んだ。

「車体は古いが手入れだけはちゃんとしているようだな」

「きっとこの車の中に女がいると思っんですが、いないみたいですね」

 車内のリビングスペースに2人を通したマカブは、その巨体をユサユサと忙しなく動かしてお茶の用意を始めているようだった。

「そう言えば女を見ないな、まさかホモじゃあるまいし、あっちの方はどうやって処理してんだろうな。外には子供が何人かいるのを見たが、どっかで攫ってきてんだろうか」

 ハギギが疑問を口にする。ビボルがそれを要約してマカブに伝えた。

 金属製のマグカップになにやら注いで持ってきたマカブがそれを2人に手渡しながらハギギの疑問に応えた。

「都会に生活物資を買いに出かけた時に、女を買う者はいるそうです。ですがセックスをすると1週間くらいは戦闘員として使い物にならなくなるらしいんで基本的には禁欲することが原則だそうです。それから若い戦闘員の補充は、他の部族との諍いに勝った時に連れて帰ったり、あるいは都会ではイルガ族は大変な人気があるらしく、志願してくる者は結構いるそうです」

「なるぼど、志願する奴もきっと腕に覚えがあるんだろうから名前が売れている有名どころが益々強くなって行くわけだな。おっテレビがあるじゃねえか」

 ハギギが20インチほどの日本製のブラウン管テレビを指さすと、マカブが立ち上がってスイッチを入れた。

「ほとんど映らないそうです」とマカブの言葉をビボルが通訳した。

 テレビは天井からアームで固定されていて、電源が入ると何かを受信してはいるようだが、画面はほとんど砂の嵐だった。

 マカブは首をすくめて、この通りだという仕草を見せる。

 するとビボルが言った。

「これは、多分アンテナの問題ですね」

 ビボルは外に出て行って、自分達が乗ってきたジープから工具箱を持ってきてテレビの背面をいじり始めた。

「何とかなりそうか」

「えぇ、南スーダンは、都会の他は電話もネットもほとんど繋がりませんからね、TVが唯一の情報源なんです。俺たちがもしフランスに帰るようなことがあったら、俺とコバレフは、電気屋で働けるほどテレビばっかり直してきましたよ。これでどうですかね」

 針金で即席のアンテナを仕立てたテレビは、なんとか視聴に耐えられる映像を流し始めていた。よほど嬉しかったのかマカブは大騒ぎをしだし、窓の外に向かって大声で叫ぶと仲間たちがゾロゾロと集まりだしてきた。キャンピングカーはあっと言う間に人でごった返しになり、窓にも大勢が食らいつくようにして、一つのテレビに注目する。その中にはすっかりイルガ族に溶け込んでいるアルセンやケルたちの顔もあった。

「ボス、何があったんですか」窓越しに顔を出したアルセンが言った。

「テレビが映るようになっただけだ」

 マカブがテレビのボリュームを上げ、一番映りのいいチャンネルに合わせたのはニュース番組だった。南スーダンの国営放送の女子アナが映ると歓声が上がった。

 番組構成は英語が理解できない人でもニュースの意味が大まかに解るようになっているため、イルガ族の面々は食い入るように画面に夢中になっている。

 ビボルやコバレフは時々、女子アナの言葉を通訳して聞かせた。

 ニュースはもっぱら南スーダン政府の議会の紛糾や、国連による平和維持活動がどこでどのように展開されているのかを伝える内容で、どのニュースもハギギにとって興味深いものだった。

 CMになるとその度にマカブがガチャガチャとチャンネルを回しだした。大半の連中の目的は見栄えのいい女らしい。しかし昼間の明るい時間帯ではどのチャンネルもたいした色気に有りつけないのは、どこの国も一緒らしい。

 マカブに渡されたマグカップの白く濁った液体は、やはり酒だった。それもかなりきつい。酔いが回ったハギギは極度の睡魔と戦っていた。イルガ族は飽きもせずテレビに食いついている。

 どれだけ時間が経ったのかわからなかったが、不意に激しく肩を揺らされてハギギは起こされた。眠気を払って横を見ると、人が密集している車内にいつの間にか潜り込んだアルセンが半ば呆然としながらテレビ画面を指さしていた。

「ボス、あれを見てください」

 画面を見上げたハギギは、目を見張った。

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