第15話 永田町

 ニュース番組用に加工された映像とは違い動画投稿サイトにアップされている生の動画は、テロリストに拉致された日本人の他にアメリカ人の人質も映し出していた。

 覆面で顔を隠した男が自動小銃の銃口をアメリカ人の頭に押し付けて何やら喚いている。

 この映像が撮影された場所が、中東ではなくてアフリカのスーダンだというところが曽我部一朗首相にとっては、頭の痛いところだった。

 曽我部はデスクから立ち上がると皇居が見える窓の前まで歩いて行き、外の景色に目をやった。

 初秋とは思えない午後の陽光が国会議事堂の輪郭を滲ませ、眼下では内堀り通りを埋める車列を遮って機動隊の大型バスが方向転換をしている。年々増して行く皇居の周りをジョギングするランナーも見え隠れしていた。

 なにもこんなに排気ガスが充満するところを走らなくてもいいだろうに。逆に寿命を縮めているだけではないのか。ランナーたちに、遠く離れたアフリカの地で、今のこの瞬間も命の危険に晒されている日本人がいることを教えたら、呑気に走るのはやめて少しは命の尊さを省みてくれるだろうかと、曽我部は溜め息交じりにそう思う。

 映像の真偽を解析する政府の機関は、曽我部も含めて一昨日から不休で働いている。そのせいで精彩を欠いた曽我部はアフリカ象のような顔色をしていた。ただれ落ちそうな涙袋と頬肉は追い詰めれらた今の心境を如実に表わしている。

 執務室のドアがノックされた。

 振り返ると首相秘書官の石村が顔だけ覗かせて曽我部を見付けると頷いて見せる。

 曽我部が僅かに顎を引いて、それに答えると石村は、密かに呼び集めて来た関係各省の大臣らを招き入れた。

 最初に足を踏み入れた官房長官の別府優樹は、主である曽我部を気にも掛けずに仏頂面で中央の1人掛けのソファーに腰かけた。まるで首相よりも自分の方が格上のような振舞だが曽我部はそれでいいと常々思っている。続いて左右に法曹の勅使河原弘昌や、外相の奥本貴之、防衛相の野中保輝が入ってきて腰をかける。最後に首相の曽我部がソファーに座った。

 秘書官の石村は、それを見届けると音も出さずに重い扉を閉じて退室して行った。

 最初に口を開いたのは、もちろん曽我部首相だった。

「それで、人質になっている2人の身元は判明したんですか、官房長官」

 動画投稿サイトにアップされている人質の2人は素顔を晒してはいるが、各々が自分の素性を明かすことなくテロリストの一方的な要求を代弁させられているに過ぎなかった。

 日本人の人質は、南スーダンに派遣されている日本の平和維持活動隊の撤退を要求し、アメリカ人の人質はホワイトハウスに対して一億ドルの身代金を要求していた。

 官房長官の別府は、僅かに顎を引いて視線だけを巡らせ、他の4人が固唾を飲んで自分に注目しているのを確認してから、つい数分前に判明したばかりの事実を述べる。

「日本人の方は、2年以上前からスーダンで行方が判らなくなっている国連の職員、井上浩樹45歳であることは間違いないようです。アメリカ人の方はこちらも同時期にスーダンの首都ハルツームで消息を絶っていたジャーナリストのシャクール・スティーブンソン48歳の可能性が高いとのことです」

「ということは、あの映像はやはりフェイクでも何でもないということか」

「総理、今更あの映像が本物かどうかの議論で我々を呼んだのではないでしょう」

 アメリカの国務長官ジャレット・ハードと電話で話したばかりの曽我部にとって、そんなことはとっくに分かっていることだった。首相とは一回りも年の離れた若い奥本外相は顔にじれったさを滲ませながら続ける。

「あれが本物の映像であることはアメリカもとっくに承知しています。その上で日本政府がどんな対応をするのかと迫って来てるんですよ」

「フンッ、何が日本政府の対応だ。結局はあちらさんの意向を受け入れにゃならんのだろ」

 曽我部首相よりも更にひと世代上の野中防衛相が、吐き捨てるように言い放った。奥本は野中に背を向けるようにして曽我部の方を見る。不快感を隠そうともしない奥本の表情は、明らかに野中に対する嫌悪感だった。当選回数が最多なだけの忖度入閣でありながら、ただ大臣の席に座っているだけでは飽き足りず、マスコミに対する失言の連発。野中は最早、内閣のお荷物的な存在になり下がっていると奥本は評価せざるおえなかった。百害あって一利なし。どうして今この場に列席しているのかも理解できなかった。

「まぁまぁ、野中さん奥本君だって強気で行きたいのは山々なんですよ。でジャレットは何て言ってきてる?もちろんテロリストの要求なんか撥ねつけるつもりだと言ったんだろ」

 野中に対する嫌悪感で引き攣っていた頬を緩めた奥本だったが、次に現れた奥本の表情は曽我部の言葉を肯定するものではなかった。奥本は、腰を浮かせて少し前に座り直した。

「それが言いたいことを言ってくれまして、日本はいつまで経っても憲法を改正しないから、こうなるんだとか、一昨年の東北大震災のときのトモダチ作戦の借りを返せだのと‥」

「何を言うとるんじゃ、日本の憲法を作ったのはお前らじゃろうて」

 悪態を吐く野中が静かになるのを待って奥本は続ける。

「とにかくアメリカとしては、日本次第だというんです。日本がテロリストの要求を呑んで南スーダンから自衛隊を撤退させるなら、そのときはアメリカに要求された身代金は日本が拠出すること、あるいはテロリストの要求を撥ねつけるのだとしたら人質奪還作戦に自衛隊を投入しろと言ってきています」

「馬鹿垂れが日本はこれまで奴らの言いなりになって、どれほどの銭を投げて来たと思っちょるんじゃ。お主それを言うたんか」

 言うわけがない。一体この老いぼれは外交を何だと思っているんだ。奥本は喉元まで出掛かった言葉を呑み込むのに苦労をした。

「ところで、どうしてスーダンの過激派が南スーダンで活動している自衛隊の撤退を要求するのか判らないんだが」

 と曽我部が言うと奥本と同期当選の別府が軽く右手を挙げる。

「ご承知のように南スーダンがスーダンから独立して以来、両国は絶えず紛糾を繰り返してきました。2年ほど前には両国の国境付近にある油田の領有権を巡って、一時戦争状態にまで陥っています。その影響で当時スーダンに派遣されることが内定していた我が国の自衛隊による平和維持活動が急遽取りやめになったことがあります。翌年には停戦合意が成立しましたが、その後もスーダン国内では、死者や難民が大量に発生するほどの内戦が続いているんです。その中の過激派が南スーダンに侵攻を企てているのではないでしょうか」

 いったん視線を外した別府はテーブルにお茶も何もないとこに気付き、口を潤すのを諦めて続けようとしたが、間髪入れず野中が声を張り上げる。

「なるほどの、奴ら日本の自衛隊が南スーダンに加勢するものと思っちょるんじゃな」

「そうとしか考えられません」

 別府は奥本のように野中を無視しなかった。

「それなら日本の自衛隊が軍隊じゃないから戦闘に加担することは有り得ないと教えてやったらどうじゃ、奥本君よ」

 野中は、執拗に奥本に絡んで行く。

 まるで地域住民のご意見番のノリだ。だいだい安保関連法が可決された今、そのメッセージでは嘘になることが解っていないのか。テロリストだってそれを知っているから要求しているに違いない。加えてどこの誰宛にどうやって送ると言うのだ。動画投稿サイトにアップしろとでも?それに自衛隊のことなんだから防衛相のお前がやることだろ、お前が。あぁそうか、そう言うことか自衛隊が絡んでいるからこのジジイはここにいるのだな。全く。難癖を付けるしか脳がないならここから出て行け。

「しかるべき手段を検討したいと思います」

「何を悠長なことを言うとるんじゃ、こうしている間にも人質が殺されるかも知れんのだぞ。ところでお茶はないのかお茶は」

 非公式の会合なんだ、飲みたければ自分で持ってこい。

「それから」別府は総理に顔を向ける。

「ジャレット国務長官は、総理が以前から仰られている『仲間を見殺しにしていいのか』という安保法関連の主張に対しても言及しています。これを機会に改憲を加速させ、一日も早くアメリカとの軍事的な分担を進められるよう審議に入るべきだと」

 ソファーにふんぞり返っている野中が、いつの間にか革靴を脱ぎ捨てテーブルに両足を乗せているではないか。お茶も出ていないテーブルならこれくらい良かろうと言う態度である。

「奴らの真意はそこじゃろ。アメリカはいい加減に世界の警察ごっこは、止めにしたいんじゃ、だいたい沖縄の基地問題にしたって……」

 野中の沖縄問題が始まると、情報番組のコメンテータでさえ苦虫を嚙み潰して黙り込んでしまうぼど、熱く長くなるのは有名な話だ。曽我部は慌ててソファーから身を乗り出した。

「沖縄問題は捨て置けないですが、今の時点でひとつ確かなことは、我が国政府はテロリストに屈することはないと言うことだ。これを前提にして今後どのような対処をするか検討を進めようじゃないか」

 投げ出していた両足を降ろした野中も身を乗り出してソファーに浅く座り直す。

「それに加えて、このまま何もしないで人質を見殺しするのも避けたいもんじゃな。いやそうせなアカン」

 やんわりと沖縄問題をさらわれた野中が意趣返しに加えたような物言いだったが決してそうではないことを曽我部は承知していた。

 なぜなら、ここまでの経緯は実は最初から示し合わせていた通りに進んでいるからだった。

 そしてこの思惑には別府と奥本という次代の政権を担うであろうそれぞれの胸中に、次の総選挙を踏まえた対応を考えなければならないという危惧を抱かせるものでもあった。

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