第13話 アフリカ・スーダン⑦

 ハギギは右手を差し出すと、井上はそれに応じて、その手を握り返した。そして2人は握ったその手を引き合って互いの身体をぶつけ合うようにハグを交わす。

「大変、お世話になりました。あなた方に会うことが出来て本当に良かった」と井上は本心からそう述べた。

「俺も今のアビエイの現状を理解してもらえたことを嬉しく思っている。国連の人道支援隊が一日も早くアビエイに駆け付けてくれることを心待ちにしている」

 ハギギは傍らのスティーブンソンともハグを交わし合った。

 井上とスティーブンソンは、アルセンやケルといった他のメンバーとも次々に握手とハグを交わし合った。

 その間、2人の荷物をハギギが自らジープに積み込んでやった。

「俺たちは同行は出来ないが、軍の人間がハルツームまで送ってくれるから安心してくれ」

 ここから首都ハルツームまでは、ジープでも丸一日以上かかる強行軍である。ヘリが頻繁に行き来してはいるが、井上が国連の職員だという身分を明かしたくないという以上は、軍のヘリに外国の民間人を乗せる理由がなかった。それでもジープで送ることさえ破格の待遇といって指しさえない。

 それを可能にした相当額のドルはハギギが負担していた。

 2人のジャーナリストは実に2週間もの間、ハギギらのアジトに滞在していたことになる。

 敷地のゲートまで見送りに行ったアルセンとケルが戻ってくると、ハギギは2週間振りに引っ張り出した自分のラップトップの電源ボタンを押した。    

 マウスを操作する手元には、井上が滞在中に自分のタブレットで使用した全てのサイトのIDとパスワードが書かれたメモがあった。OSが立ち上がるとハギギは、井上のタブレットのデータをコピーしたUSBメモリーを挿入する。

「どうですか、ちゃんとコピーできてますか」

「あぁ、井上はここにいる間に正直に国連本部にレポートを送信している。データに送信済みのメールが残っている」

 アルセンが歓喜の口笛を鳴らすとケルとハイタッチを交わした。

「で、盗んだIDとパスワードは今後も約に立ちそうなのか」ケルが言った。

「あぁ十分だ、これで日本の自衛隊がいつアビエイにやって来ることになるか、日時も場所も正確に解るだろう。装備も規模もだ。2人ともよくやってくれた。これで俺たちの計画も大きく前進する」

「こんなに上手くいくとは思わなかったぜ」アルセンはハギギの右隣に腰を下ろした。

「井上とスティーブンソンは、俺たちが本気で機械音痴だと思っていたようだな」

 アルセンは、キーボードを軽快に叩く仕草をしてみせる。

「実際、お前はたいしたことないだろ

アルセン、その手つきも様になってねえよ」

 ハギギの左隣りに腰を沈めたケルが言った。

「それにしてもよ、井上の教え方ときたら、それこそ猿にタブレットの使い方を教えてるみたいだったぜ。さすがの俺も馬鹿な振りをするのはきつかったぜ」

「アルセンがあそこまで素人のフリをしてくれたから、井上もあれだけ無防備になってくれたんだろう、なぁケル」

「その通りだ。お陰で井上に気付かれないようにマルウェアをあのタブレットに仕込むのが楽だったことは確かだ。けどアルセンお前本気でエロサイトに嵌まってただろ顔がマジだったぞ」

「馬鹿いえ芝居に決まってるだろ、あのくらいしねえと、他の連中は何も知らねえんだから、俺にも見せてくれってことになるだろ」

 ハギギを挟んで2人が冗談を口にしていると、ハギギのスマホが鳴った。スマホの音を鳴らすのも2週間振りのことだった。

「どうしたコバレフ、何かあったのか」

 コバレフという名を聞いてアルセンとケルが顔色を変える

「わかった。お前たちは安全な場所まで下がっておくんだ。俺たちもすぐに行く」

 穏やかな雰囲気は一瞬で緊張感に包まれた。

「ボスッ」

「南の連中が大規模な侵攻を仕掛けてきたらしい」

 通話を切って立ち上がるハギギにアルセンとケルも続いて行く。

 ハギギが無線で他の仲間を呼び出している間に、アルセンとケルは倉庫に走り、ありったけのライフルや機関銃をジープに積み込んだ。

 10分もしないうちに敷地内に残っている仲間が15人ほど集まってきた。揃ったところで、ハギギが言った。

「これからヘグリグ油田に向かうが、向こうは、南スーダンの政府軍が動き出している。そうなると油田は占拠される可能背が高い。こっちの政府軍も乗り出してこれば全面戦争の引き金になることもあるかも知れない」

 ケルが片手を挙げてハギギに発言を求める。

「どうした、ケル」

「それこそ、俺たちが今まで待っていた状況じゃないか、だが日本の自衛隊の人道支援の話はどうなるんだ」

「この侵攻が公になれば、残念だが立ち消えになるだろう。日本は戦争が出来ない国だからな。とにかく俺たちは、どちらがアビエイを占拠するかそれを見極めて勝ち馬に乗り換える」

 これまでにヘグリグ油田周辺で、スーダンと南スーダンのゲリラ活動における戦闘行為は、実はハギギらによる自作自演の空砲による疑似戦闘行為だったのだ。彼らはフランスから海を渡って来た時点で10人ずつの二組に分かれて、両国の国境付近でゲリラ活動を始めていたのだ。いずれ紛争は軍が介入して本格化すると踏んでいた。

 ハギギは、その戦況のいかんによって有利な側で全員が合流する手はずにしていた。その上でハギギらは武器や弾薬、装備品を奪うつもりでいたのだった。それらの武器を足掛かりに武装化はもちろんのこと、周辺国のゲリラ集団を相手に武器を密売し、いずれヘグリグ油田から強奪するつもりでいる原油を資金に替えて、人数を増やし、イスラム過激派の旗揚げをするつもりでいたのだ。

「そうなれば、かならずIS国が接触してくるはずだ」

 それがハギギの口癖のようになっていた。

 一方井上がもたらした自衛隊の人道支援の話は、一年も膠着していたアビエイの紛争とは全く違ったルートで武器装備を運んで来てくれる僥倖のようなものだったが、ここに来て紛争が本格的に動き出したとあっては最早、実現の目が一気に霧散したことになる。しかしそれでも井上が国連の職員として使用しているデータサーバやメールサーバーにアクセスするIDとパスワードを手に入れたことは、大きな収穫といえた。

「ボス、こっちの軍も動きが慌ただしい。俺たちも早く国境に行こう」

 そう告げたのは、ハギギがこの街にやって来てから街で仲間になったスーダン人のアコスタという若者だった。

 アコスタは、同胞の血を引くアルセンに良く懐いていたせいで、ハギギの覚えもよかった。

 整えた準備は場合によっては、このまま南スーダン側のゲリラとして先行している仲間と合流してしまうことも考慮してのものだ。

「よし、いくぞ!」

 全員が準備を整えてジープに乗り込んだのと同時に、後方の空が震えるように轟き出したかと思うと、それは急速に耳を劈くような爆音へと膨張した。振り返ると彼らの頭上を2機のスーダン軍の戦闘機が南スーダン方面に向かって飛んで行った。

 この日、スーダン軍の戦闘機は国境を超えて南スーダンの奥深くにある都市部を空爆するという暴挙に出たのである。しかしこれは南スーダンのヘグリグ油田の侵攻に対する本格的な報復との見方もあった。それはアビエイの戦況が明らかに南スーダン側に傾いていることの証左でもあった。

 そしてヘグリグ油田における戦闘がスーダン軍の敗北に終わったのは南スーダン軍の周到な奇襲が功を奏したからだ。油田を占拠されてしまってからではヘグリグを攻撃するわけにはいかない。

 ハギギは、今日まで長い間温存していたプランでもある、南スーダンゲリラとして活動している仲間たちのコバレフらと合流することにした。


 翌年この紛争は停戦合意に至るが、スーダンでは、アビエイよりも首都に近いダルフール地方でアラブ系、非アラブ系の武装勢力の大規模な衝突が起こり、多くの死者や難民が発生した。これによりスーダンの情勢は悪化の一途をたどって行く。

 南スーダン側に鞍替えしたハギギの判断は正解だったと言えたが、内戦を抱えているのは南スーダンも同じで、こちらは大統領と前副大統領の対立が出身部族間の対立へと発展し、虐殺や難民を発生させる事態に陥っている。

 このようにアフリカ大陸の多くの国々は、大なり小なりの内戦や紛争を抱えている。日本にとって第三世界のそれは遠く離れた極東の国に届いてくることは殆どない。まして刑務所の中に至っては尚更のことである。しかしこのあまりにもかけ離れた世界が、思いもかけない政治的思惑によって絡み合い繋がって行くのである。

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