第12話 日本・道東刑務所⑤

「うちの工場には三野さんの眼鏡に叶う、人間はいますか」

 今日も運動の時間になると三富は、三野の横に座っていた。

「別にいねえな」

 と言いながらも、運動の時間中いつもずっとグラウンドを走り続けている柏木という男の姿を三野は、目で追っていた。


 道東刑務所は刑期10年以下の主に再犯者を収容する短期再犯刑務所と云われている。

 収容者の刑罰は、覚せい剤事犯者と窃盗犯が7割近くを占める。平均収容年数は約3年だが、刑期が5年を越える収容者も少なくはない。

 現在の総収容人員約600名のうち150名ほどが現役の暴力団員であり、関係者や元組員を含めるとほぼ半数を越えることになる。これらの者たちにとって刑務所に収容されるということは、最初から覚悟の上で犯罪行為に手を染めているので、反省をするという概念はどこにもなく、運が悪かったと諦めているか、ともすれば塀の中は知己を増やす場だと考えている節もあり、受刑生活はまるで、鉄格子のある国営の保養所で静養でもしているかのような態度なのである。更に反社ではないが個人や少数で犯罪を生業としている者たち― 窃盗団、ゴト師、詐欺グループ ―も同様の有様で、彼らは出たり入ったりを繰り返しながら、塀の中での繋がりを強固にしていくのだ。

 その中で堅気と言われるごく僅かな部類の者たちは至って大人しくしているものだが、半年も同じ工場で生活を共にしていれば、素性も分かってくるというものだ。

 更に刑務所では運動会やソフトボール大会、卓球大会等、様々な催しが目白押しで開催され、工場対抗となるそれは、一致団結するという精神的に健全な体験をもたらすが、それが互いの人間性を受け入れることの抵抗を緩和することにも繋がっていく。刑務所の中で長く生活を共にしていれば、家族のような感覚が芽生えてくるのかも知れない。しかしそれでも頑なに心を開かないで一匹狼を通して孤立している者もいる。


 あれから季節が変わり、寒さのためにグラウンドの使用が中止になり、運動の時間が天候に関係なく体育館で行わるようになった冬のある日に三野は、三富に言った。

「柏木ってのは、どこの何者なんだ。あいつだけは、自分から孤立してる感じだな」

「柏木ですか」三富の視線が、ジョギングをしている柏木の姿を追う。

「東京拘置所から一緒に移送されて来た奴がいるんで、恐らくは関東の人間なんですけど、あの通り自分のことはあまり話したがらないんで、詳しい素性は判りませんね」

 三富は座っている自分のパイプ椅子をガタガタと引いて三野に近寄ると、一度周囲を警戒してから話を続ける。

「三野さん、得てしてああいう輩はピンク系が多いんですよ」

 ピンクとは、主に強制性交や強制わいせつ等の女性が性的被害者になる事件全般を総称した隠語のことである。

「でもまぁ、ピンクだったらその内、必ず判明しますけどね」

「なんでだよ」三野は首だけ動かして三富を見た。本来ピンク関係の事件を起こした者は、自ら進んで事件のことを話したがらないからだ。

「ピンク野郎は受刑中に、一定期間の矯正教育が義務付けられているんで、皆この教育が入ってバレるんすよ」

 三野は首を傾げる。

「お前、柏木がピンクだと思ってるのか?」

「人間、見た目じゃわかりませんからね。でも黙んまりを決め込んでるってことは、その可能性は十分あると思います。これは俺の経験上ですけど」

 三野にしても以前から柏木がピンクではないかという噂は耳にはしていた。こうして実際にピンクの意味を知っても尚、その説にはどうも納得が行かない。

 三野から見て柏木は、他とは違って所作や立ち振る舞いが刑務所慣れをしていないのである。再犯刑務所と言っても事件性や三野のような素性の人間は、初犯でも再犯刑務所に収容されるのはよくあることなのだが、柏木は反社の人間ではないし、大きな事件の犯人ならすぐに発覚するものなのだが、そうでもないらしい。だからピンクだと決めつけるのもわかるが、三野にはどうしても柏木がピンクだとは思えなかった。年齢は三十代後半の自分と同世代で身長も175㎝の三野と大差はなかった。

 実は三野はそんな柏木のことを初見から気になっていた。漠然とした違和感だったが、三富から改めてピンクではないかと聞かされて、初めてそうではないと否定するその根拠が柏木の目付きにあることに気付いたのだ。その目付きに胸騒ぎのようなものを覚えた。

 今も前方の一点を鋭く睨み付けて走っているが、同時にこの体育館を俯瞰しているような、そして視界に見えている物事の帰結を全て言葉で説明してしまえるような明晰な頭脳をその漆黒の深い瞳の奥にしまい込んでいるのではないか、それこそピンクはおろか犯罪を犯すというよりも、それを司る体制側の者の目付きに見えるというのは言い過ぎか。きっと周囲の者たちも無意識にもそんな匂いを嗅ぎ取っているが故に近寄ることが出来ないでいるのるのではないか。

 奴は恐らく三野自身があまり接触を持ったことのない組織の人間、例えば同和や右翼、あるいは宗教団体、または公僕、いずれにしろ地位の高い人間ではないかと当たりを付けていた。

「柏木がどうかしたんですか」

 思索に耽っていた三野は三富の言葉をリリースしそうになった。

「いや、どうしたって訳じゃない、この工場に来て半年以上になるのに、集団の中でああも淡々としていられるのは普通じゃねえだろ」

 どうやら三富には柏木という男は興味の対象外ということらしい。黒目だけを上方に覗かせる表情は何か反発を覚えてる顔に違いなかった。

「それだったら、葛西とかも似たような物じゃないですかね」

 三富が指摘した葛西という懲役は初老の男で白くて細い首を前に垂らし、そのゴマ塩頭をユラユラとさせていつも日向ぼっこをしているような、おっとりとした印象を抱かせる佇まいで、実際には、どの初動作も遅く団体行動からも常に遅れがちで時折り担当職員の槍玉に上がっていることがあり、いつも全員から失笑を買うことがことが多い、ある意味憐れな存在でもあった。

「葛西のジジイは、やる気がないだけだ。学歴があって恐らく昔は、それなりの社会的な地位もあったんじゃねえのか、奴からしてみたら、ここは世の中の最底辺だ。何をやるにも馬鹿らしくて仕方がねえんだろ。俺にはそんな感じにしか見えねえけどな」

「だとしたら、いけ好かない野郎ですね。あのジジイ」

「おいおい、俺の言うことを鵜吞みにするなよ。これはあくまでも俺の見立てだからな」

「はい、判ってますけど、三野さんの言うことがあんまり嵌まってるんで、俺はもうそんな風にしか見えなくなっちまいましたよ」

 自分の言葉に感化された三富に、三野は苦笑するしかなかった。

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