第11話 日本・道東刑務所④

 苦役に従事しなければならない。という義務を科せられた懲役にとって、これを拒否することは、懲罰事案のひとつに数えられる。

 懲罰が終われば、またどこか別の工場でイチから遣り直しという道を辿ることになるが、本当に作業を嫌って申し出る者は稀で、大半は人間関係の縺れから工場内での居場所を失って出て行くのである。

 この日、運動の時間が終わり午後の刑務作業が再開した直後に、阿久井隆雅は工場担当官に作業拒否を申し出た。その後、間もなくして小林幸雄も作業拒否をして工場から出て行ってしまった。

 自分の器量を棚に上げて、己の面子を折賀瀬組に潰されたと思い込んだ阿久井の迂闊なひと言が、巡り巡って自分に返ってきたという、正に自業自得の何物でもない出来事だったのだが、その経緯は偶然にも阿久津と小林の密談を耳にした者が、工場内では三野の側近的な存在である三富に密告したのが始まりだった。阿久井のとこを日頃からよく思っていなかった三富にしてみれば、阿久井を工場から追い出す格好の情報だった。その情報を利用して同じ組織である三迫を阿久井にぶつけようと画策したのである。

「折賀瀬の連中がヤクマチを切っていたら教えてくれって言っているらしい」

 三富は三迫にそう吹聴した。娑婆で自分の組が組織の内部抗争に巻き込まれているのを知ったばかりの三迫なら、このひと言に火が付いて阿久井に殴り掛かると踏んだのだ。

 三迫は三富の予想通りに荒れ狂った。しかし黙って飛んでくれればいいものを三迫は、わざわざ三野にひと言挨拶をしに行ったのである。

「三野さん、ワシこれから阿久井の野郎をぶち回しますけんど、あくまで個人的なことですから、よう黙っとって下さい」

 組織の人間としてそれは当然の行動とも言える。三富が思っているほど三迫は、単細胞ではなかったのだ。

 それを聞いた三野が、三迫をそのまま行かせるはずもない。三野はその理由を聞き出すと、飛ぶ場所を間違えるなと三迫をなだめ、最終的には三野自身が阿久井に引導を渡す結果になったのだ。

 加えて小林が阿久井のあとを追うように作業拒否をしたのは、三富や大森に人前で詰められたことや、その件で荒れ狂った三迫から、いつ自分が槍玉に挙げられるか居ても立ってもいられなくなったからだった。

 因みに最初に阿久井と小林の密談を三富に密告したのは、グラウンドを走っていてたまたま阿久井のヤクマチを耳にした堅気の受刑者なのである。阿久井が工場からいなくなれば自分の工場での刑務作業が遣りやすくなるという極めて個人的な都合と、折賀瀬組の人間に対するご機嫌取りでもあった。

 

 刑務所生活において、受刑者が一番苦労するのは対人関係だと云われている。出自も性格も世代も様々な犯罪者たちが、厳しい規則を義務付けられた環境で一緒くたにされるのである。そこに摩擦や軋轢が生じるのは当然の成り行きなのだ。

 一見して誰もが平穏な日常生活を送っているように見えても、水面下では虚妄や奸計が渦巻き虎視眈々と陥穽という投網を打つ機会を窺っている者たちがひしめき合っているのが刑務所というところなのである。


「お疲れさまでした」

 一瞬、三富が何のことについて言っているのか三野は意味が解らなかった。すぐに昨日の阿久井のことだと合点が行ったが、三野は肩眉をピクリと動かしただけで、それ以上何も答えなかった。阿久井の一件について詳しいところは知らないが三富が暗躍した結果だということは薄々は勘付いていた。そして顔色を窺うように近付いてきた三富を見て、それを確信したがあえて黙っていることにした。

「作業拒否ってのは、どれくらい座るんだ」

「懲罰7日ってところです。あのおっさん、もしかしたら処遇上を狙うんじゃないですかね」

 三野は三富の横顔を見た。その顔にはもう焦りのようなものは消えている。

 本来であれば作業拒否による懲罰が明けると、別の工場へ配役さえて通常の受刑生活が再開されるわけだが、工場に出ることを嫌って作業拒否を繰り返していると”処遇上”と呼ばれる昼夜独居生活に処される場合がある。作業は独居で行うことになる。基本的に集団生活不適格者が処遇上になるのだが、煩わしい集団生活から解放される環境に価値を見出す者も多く、それが目的で作業拒否を続けるのだ。しかし処遇上が一人増えることによる刑務所側の負担も少なくないため、健常者と判断されている懲役はそう易々と処遇上にさせてはくれない。テレビも見れなければ運動会などの催しにも参加を認められないが、一部の受刑者にとっては憧れの待遇なのである。

「そんなのがあるのか、悟りでも開けそうだが俺はごめんだな」

 三野は自分が処遇上になることを想像しただけで気分が悪くなった。

「ところで三野さん」今度は三富が三野を見返す。

「どうして、若い衆を抱えないんですか?このご時世ですから俺はもったいないと思うんですよ。三野さんだったら、その気になれば志願する人間はいくらでもいると思うんですけどね」

 三野は溜め息を吐いた。三富は不思議そうな顔をする。

「確かに、うちの組の連中にも懲役で若い衆を拾ってくる奴はいる。だけどな、どうした訳か刑務所で拾ってきた奴は、決まって長続きしねえんだ。半年持ったらいい方だな、中には事務所の金持って消える奴もいる」

「まぁそれは良く聞く話ですけど、下手な鉄砲よく撃ちゃ当たるって言うじゃないですか」

「俺もこの年になって、とうとう懲役に来ちまったけどよ、こうして中に入ってみて、それがどうしてだかなんとなく見えてきた」

 三富は大袈裟に驚いたような反応をして見せる。自分の予想だにしない観点から物事を捉え言葉にしてくれる三野のような人間が三富には初めてだった。

「お前、そう言えば双子だって言ってたよな」

「えっ、はいそうですけど……」

 三富には一卵性双生児の弟がいた。見た目は瓜二つだが、弟はいたって真面目で、一般企業に勤めている平凡なサラリーマンだが兄弟の仲は良く、三富は時折り真面目な弟のことを自慢げに話すことがあった。

「もしお前の弟が刑務所に入ったとして、中で知り合った奴と娑婆に出てからも友達付き合いをしていたら、どう思う」

 三富は大袈裟に腕を組んで頭を傾げるが、そんなことは考えるまでもない。秒でそうなった時の答えが出る。

「ロクなもんじゃねえから、付き合いをするのはやめろって言いますね」

「だろ。そう思うのが普通だよな。自分の身内が刑務所に入っちまって、ようやく出て来たと思ったら、中で知り合った仲間を連れて来たら心配になる。ならねえ方がおかしい」

 三富は三野が言っていることを素直に認め黙って頷いている。

「刑務所の中を知っている俺たちは、尚更そう思うんだよ。若い衆として連れてこられたにも拘わらず、組中の人間からこいつ大丈夫なのかって目で見られるんだぞ、しかも唯一、理解してくれているはずの縁を持った兄貴分でさえ、どこか信用してねえってのも正直なところだろ」

 娑婆にいる時は、自分自身も偏見の目で見ていたことを思い出すと、溜め息交じりの苦笑がでる。

「それに加えてな、塀の中でヤクザになろうって人間のメンタルにも問題がある。俺はここに来て1年経つが、なんだかんだ言って10人以上は、若い衆にしてくれって来たよ」

 三富は目を見張った。そんな身の程知らずは小林だけだと思っていたのだ。三野の見解は続く。

「みんなやる気満々で来るのはいいんだけどよ。どいつもこいつも、娑婆に出てから何もやることがないからヤクザになってみるかってなもんだ。完全にヤクザをひとつの就職先かなんかと勘違いしてんだよ。そんなのがこのご時世で上納金を収められるヤクザになれると思うか?無理だろ。そんな野郎に来られてもこっちが迷惑するだけだ」

「だから三野さんは、頑なに若い衆を抱えないんですね」

「別にだからって、中で若い衆を抱えるつもりはない、とは思ってはいない」

 三野はそう言うと、三富の目を見て白い歯を覗かせる。

「刑務所の中で、正しい若い衆の作り方を教えてやろうか」

「ま、マジすか!それって一体どんな方法ですか」

 少年のように瞳を潤ませた三富に、三野は微笑してしまうのを堪えなかった。

「お前、顔が近いんだよ、ちょっと離れろって。いいか塀の中で縁をもったらさっきも言ったように、娑婆の人間にはあまりいい顔はされない。だいたい見込みのある人間てのは、今時のヤクザになろうなんて思わねえのが普通だ。だから中ではお互いの立場を度外視して腹を割って話ができる関係を築くだけにする。そうすれば自然に娑婆にでたら一度飯でも行きましょうってことになるだろ」

「で、娑婆に出たらどうするんですか」

「あとは普通のやり方でいいんだよ」

 三富は毒気を抜かれたような顔で首をひねる。

「すいません三野さん、自分は懲役太郎なんで、その普通のやり方ってのに疎いんです」

 三富は背中を丸めて低い位置から上目遣いに、三野のことを覗き見た。

 刑務所の中では策士のように暗躍する一面を持っている三富だが、三野はその茶目っ気のある仕草とのギャップに思わず吹き出してしまった。こんな男に限って人から聞いた話を明日にはすっかり自分のものにして他人に話しているに違いないが、そうであってもなぜか邪険にできないのは、三富なりの処世術なのかも知れないと三野は思う。

「お前はどうしてヤクザになったんだよ」

 三富はぽっかりと口を開けて、天を仰ぎ見ながら果たして自分はどうだったかと思い起こしてみる。

「自分は地元の先輩がヤクザだったんで、いつの間にか事務所当番に入っていましたね」

「それだよそれ、いつの間にかってのがいいんだ。それと相手に銭を使わせないことだ。すると自然に主従関係が出来上がる。銭を使う場面をお膳立てするくらいわけないだろ?絵図を描くのは得意なんだからよ、こんな所で描くよりも余程遣り甲斐があるんじゃねえのか」

 三富は虚を突かれたような顔をする。一瞬とぼけようとする迷いを見せたが、思いとどまって、直後には頭を掻きながら肩を竦めて三野の言葉を肯定して見せた。

 否定するような態度を示していたら三野は頭のひとつも叩いていたかも知れない。

 遠くで運動時間の終了5分前を呼び掛ける担当刑務官の声が聞こえた。

「とにかくズブズブの関係になっちまえばいい、あとは時間の問題だ。とどめに一度、本部当番に付き合わせればもう立派なヤクザだ。だけど最後まで無理強いはするな、ギリギリのところでの決断は本人に委ねるんだ。このご時世だから好んでヤクザになる奴はいねえ。だからヤクザとしての情操教育は後回しだ。俺の言っている意味が分かるか」

 きっと解っていない三富はコクリと頷いた。

「それでも最終的な落としどころは企業舎弟でもいい。むしろその方が都合がいい」

 恐らくそれも解っていないだろうが三富は必死になって三野の言葉を頭の中に叩き込んでいた。

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