第8話 日本・道東刑務所
食堂に設置してある大型の液晶テレビは、無表情で淡々と昼のニュース原稿を読み上げる男性アナウンサーを映し出していた。
「本日未明、暴力団の組事務所が入るビルの1階に4トントラックが衝突する事件が発生しました。今週に入って同様の事件は全国各地で……」
液晶テレビは、そこまでで突然ブラックアウトした。
画面に釘付けだった80人からの視線は一斉に、この場で唯一テレビのリモコン操作を自由にできる、道東刑務所、第 10 工場の担当刑務官へと集中する。
「なんだよ、オヤッさん。ちょっとくらいいいじゃねえかよ」
口々にそんなボヤキが飛び交う。
懲役は刑務官のことをオヤジ、あるいはオヤッさんと呼ぶのが普通だ。しかし実際には呼んでいる懲役の方が、よっぽどオヤジの場合が多い。
「しょうがないだろ、こういうニュースは見せる訳には、いかないんだ」
懲役にしてもそれは百も承知だが、ボヤキはしばらく収まらなかった。刑務官も慣れたもので歯牙にもかけず腕時計に目を落としている。
「オヤッさん、残り何分ですか」
食堂では昼食が済めば、そのまま休憩時間に移行する。一番手前の長テーブルの一画で将棋や囲碁に興じている1人が言った。
午後の作業開始まであと10分だった。工場担当は胸に深く息を吸う。
「10分前っ!各自用便は済ませておけっ」
30代で筋骨たくましい工場担当の銅鑼を叩くような野太い発声が、80人からの喧騒を上から押さえつけるようにして響いた。休憩時間中には懲役と戯れることもあれば、親身になって相談に乗ることもある。しかしそればっかりでは舐められる。締めるところは締めれるようでないと、一癖も二癖もある犯罪者や荒くれ者の集まりに規律を守らせることなど到底出来ることではない。その場の一喝で集団に緊張感のスイッチを入れられるかどうかが刑務所の工場担当に求められる資質でもある。
道東刑務所には20からの工場があるが、この工場はとりわけ現役の暴力団の人員が多く、俗に侍工場とも呼ばれていた。
「テツ、今のどこの事件だったか見えたか」
三野
「はい、一瞬だけ徳山市って帯が出ていたんで山口県てことですから、力さんも俺もあまり関係はないかと思います。ですけど……」
テツは気の毒そうに肩を竦めると、それとなく別のテーブルの様子を窺う。そのテーブルからは爆笑が巻き起こっている。
三迫雄大は、いつも話題の中心にいた。話が上手くて面白いという訳ではなく、大人しい堅気の人間を見付けては、根掘り葉掘りと身の上話を聞き出しながら、アヤのつけどころ見付けると、ここぞとばかりに言い掛かり、タラレバで話を膨らませ、とことん笑い者にした挙句に、その本人が否定するようなことを言い出すと、
「なら男を見せろ」
と半ば強引に賭け事に持ち込んでしまうのを常としていた。
刑務所の中で賭けの対象になるのはプロ野球の結果や、大相撲の勝敗に始まり、果てはNHKのど自慢の優勝者が男か女かにまで及ぶ。勝った方の報酬は、チリ紙や切手、あるいは月に数回しか給与されない汁粉といった甘い食べ物だったりもする。これらはいずれも刑務所の中では値打ちのある品物だ。
しかし三迫の目的はあくまで賭けに興じることで、自分が勝っっても「堅気の人間から取れるわけねえだろ」と受け取らないのである。意外かもしれないが刑務所の中で暴力団員を名乗っている以上は、組の看板に泥を塗ってはならないと言う理論が彼らには働いている。中には勝負事と割り切って勝った分はキッチリと受け取る主義の者もいるが、払いを渋ったり余計に取ろうとする者はいない。
どうせ懲役を務めるなら、少しでも面白おかしく過ごした方がいいと考えている輩は、ヤクザに限らず殆どの懲役が思っていることだ。
しかし賭け事は、もちろんのこと懲役同士の物品の遣り取りは刑務所の中では規則違反となり刑務官に発覚すれば、そこには厳しい懲罰が待っている。
一度の懲罰で仮釈放の目がなくなる堅気衆にとって、賭け事は命懸けにも等しい。しかしそれが解っていても、工場内での付き合いや、何よりも楽しいがためにズルズルと巻き込まれ、誰もが日常茶飯事的に規則違反を起こしているのが刑務所内の実状でもあるのだ。
まるでダチョウの卵に手足をくっつけたような体形をしている三迫は、自分の地元で起きた事件には気付きもせずに爆笑している。
「ほっとけ、運動の時間に俺から話しておく」
三野にそう言われたテツは、ホッとした表情を見せた。
塀の外では、日本最大の暴力団である
三野力、三富哲也、三迫雄大は四代目折雅瀬組に所属している現役の暴力団員である。刑務所側も組織間の対立関係には配慮しているので、対立組織の者が、工場に新入配役されて来ることはまずないと言っていい。
とは言え工場内には代紋の違う他の暴力団組織の人間も数多くいることから、娑婆の事情で昨日のまで友が、新たに勃発した抗争で敵同士になることも有り得るのだ。だからと言って刑務所内でも争いになるかと言ったら必ずしもそうなるとは限らないものの、暴力団の抗争が勃発しメディアで扱われるようになると刑務所側はそれを一切遮断する動きに出始める。冒頭のようにテレビは消され、配布されてくる新聞や書籍は切り抜かれるか黒く塗りつぶされてしまう。時には内容が不適切と判断された受刑者宛の手紙さえも差し止めにして情報が流れないように常に管理、監視を怠らないのが刑務所という所なのだ。
三野力は今回の投獄が初めてだが、ヤクザとしての経歴の長さと38歳にして折雅瀬組の二次団体である亀山組の若頭という肩書は、娑婆と刑務所を行ったり来たりしている懲役太郎の三富や三迫にとっては雲上人も同然の人物であり、工場内では折雅瀬組の窓口として他の組織の者たちからも一目置かれている存在だった。なかには礼儀を知らない堅気の人間からも本気で若い衆にしてくれと三野に頭を下げにくる者までいる。
それは、本人にそのつもりはなくとも、三野力がこの工場の事実上の仕切り役であることには間違いのない証左でもあった。
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