第7話 アフリカ・スーダン⑥

 井上は、ハギギの問いかけに移民は親子ともども苦労したに違いないのでは、と答えた。

「普通はそう思うだろう、逆境の中で子供を産んだ親は愛する我が子のために自分を犠牲にすることを厭わないだろうし、それだけの覚悟を持って子供を産むはずだ。ところが移民に排他的な社会が生んだ貧困層の人間の親には自治体から助成金をせしめることや税金逃れが主な目的だったり、産んだ子供は物心が付いたときには、いい労働力になるとしか思っていない者が多い。自分の腹を痛めて産んだ我が子だと言うのに愛情らしきものは、一切見受けられない。それだけの余裕がないわけじゃない。このスーダンのように国全体の貧困じゃなくて先進国の中で差別的な感情から意図的に産み出された貧困の中で、もがき苦しむ人間は、人格までもが荒漠し情なんて人間らしい感情は持ち合わせていないだ。子供にしてみれば、親なんか排他的な環境の支配者たる存在でしかない」

 ハギギは足を組み替えて缶ビールを持つ左手の中指をアルセンの方に向ける。

「機会があったら聞いてみるといい、ここにいる連中にとって親とは愛情を注いでくれる存在などではなく、忌み嫌うだけの存在でしかないことがよく判るはずだ」

 ハギギはまたビールをひと口すすった。

「親の愛情ってのは、実は社会の中で正しく育つための道理を教えてくれる人生で一番最初に遭遇する教師のようなものだ。それを全く欠いたままの子供が排他的な社会の中で成人になるまで一度も犯罪を犯さない確率は限りなくゼロに近い」

 井上は移民を受け入れた国の移民2世が犯す犯罪の残虐性が社会問題になっていることを思い出しながらハギギの話に耳を傾ける。

「とはいえ、いくら排他的でも、国や自治体の制度を利用出来ないわけじゃない。多くは苦労しながらも社会で真っ当に生活し、中には社会的な地位や富を手にする者もいるが、トコトン落ちこぼれた者のセフティーネットは移民を救うほどの規模で機能してはいない。そこが問題でもある。マフィアですら移民を受け入れようとはしない。刑務所の中でさえ移民は迫害を受ける。抑圧された奴らの、生き死にを掛けた犯罪が凶悪化するのは必然だろ。イスラム原理主義がそんな奴らに目を付けて、テロリストに仕立て上げるのは実に容易い。彼らは生まれて初めて宗教原理の中に親の愛情に似たものを感じ取るんだ」

 ハギギは井上の知らない銘柄の煙草を取り出して火を点けるとライターごと井上に渡した。

「かくいう、この俺も家族で移民してきた口だ。住んでいたアパートの同じ階にケルとその家族が住んでいたんだ。俺は彼らに教えてやったのさ。俺たち不良移民の行く先は別にあるってな。アフリカを選んだのはさほどの意味はない。単にアルセンの両親がこの国の出身だっただけだ」

「どうりで、ハギギさんだけは少し毛並みが違う印象を受けたわけです。気のせいかも知れませんが時々日本人のような親近感を覚えることもあります。あなたはここにいる全員の親代わりでもあるのですね」

 ハギギがアルセンやケルを見る目は、まるで子を見守る親のように優しさに満ち溢れていた。

 井上はカウチから腰をあげて、アルセンたちの輪の中に入って行った。少し前からスティーブンソンが彼らの質問攻めにあい困った顔をしていたからだ。アルセンがipadを片手に指を指している。

「井上これは一体どういうことなんだ」

 画面には井上がブックマークしているニュースサイトのブラウザが立ち上がっている。受信状況にが悪く動画がコマ落ちしているが、それは、ブルーの2トントラックがテール部分から建物のシャッターを突き破るシーンだった。

「これは単なる交通事故じゃないのか」スティーブンソンが言った。

 ブラウザーは日本語仕様になっているが英文の記事も表示されている。

「ああこれか、これは交通事故じゃないんだ」

「そうだろ、記事にはジャパニーズマフィアの戦争だと書いてある」

「その通りだよアルセン、これは日本のマフィアの戦争なんだ。恐らくこの破壊された建物は相手マフィアのアジトなんだよ」

「日本は治安がいいと聞いたことがあるけど、こんな街中でテロが起きるなら、ここよりも危険なんじゃないか」

 そう言ったケルの言葉はいずれ日本に帰る井上の身の上を心配するような言い方だった。ここにいる連中は親の愛情を知らないとハギギに聞かされたばかりの井上は、ほんの数日間一緒に過ごしただけの自分とのたわいのない会話の中で見せられた情の欠片に驚くほど心を打たれていた。

 目頭が熱くなって不覚にもホロリと雫がこぼれると、それはしばらく止まらくなった。

「どうした井上、俺は何も日本のことを非難したわじゃないぞ」

 ケルは慌てて井上の背中を擦ってやる。

 アルセンや他の者も意味の判らない井上の涙を持て余して、的外れな慰めを口にした。ハギギはその光景を肴に缶ビールを飲みながら、目的はつつがなく果たされたというケルの合図を確認していた。

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