第5話 アフリカ・スーダン④

 アルセンと違って街中でハギギが人に話しかけるのは珍しいことだった。加えて、同じテーブルで席を共にしている以上、握手などしなくとも、この2人のジャーナリストは周囲から既に仲間扱いされているに違いなく、自分たちから離れたら、いつ狙わてもおかしくはない。アルセンはそう思えて仕方がなかった。今日に限ってどうしてハギギが、この外国人たちと、特に井上の方と話したがるのか不思議だった。

 井上の質問は、なぜこのアビエイは政府や軍の力が及ばないのか、そのことに集中していた。

「簡単なことだ。アビエイはどっちの国でもあって、どっちの国でもないからさ。実効支配しているのはスーダンだと言われているが、スーダンから独立して南スーダン政府を樹立した者のなかに油田の開発に関わったものが多くいる。この街のインフラに関してもそうだ。その南スーダン政府の背後には中国が控えている。だがそれは少なからずスーダン側も同じだがな」

 ハギギは、顔色ひとつ変えないで淡々と説明する。

「尤もどちらの国も困窮している。ヘグリグ油田の開発も頓挫していた。そこに目を付けたのが中国だということは、ジャーナリストのあんたらなら良く知っていることだろう」

 井上はそれについては否定も肯定もしないまま自身のジャーナリズムをもってハギギに迫る。

「両国を通じて海外の資本が入り混じったアビエイの主権争いに、軍を派遣して、事を複雑にするのは避けたい。そんな両国政府の立場に変って武装グループのあなた達が存在する。という認識で宜しいですか」

 井上の言葉は政府が武装グループと通じていることをハッキリと確かめている。それは最早インタビューではなくて、まるで何かの確認のようにアルセンには聞こえた。

 色のついた米飯が盛られていた空の皿を重ねて脇に寄せた井上は、膝を詰めてハギギにその答えを求めた。まるで最初からそれだけを聞きたかったかのように。

”アルセンお前の命は俺が預かった”、あの時のハギギの目の色をアルセンは思い出していた。あの一瞬で心臓を鷲掴みにされた記憶が今も鮮明に残っている。

 ハギギが井上に何を見たのか解らないが、実は迫っているのは井上ではなくて、ハギギの方が井上を引き付けている、とアルセンは気が付いた。

「その答えが聞きたいなら、場所を変える必要がある」

 ハギギはマグカップのビールを飲み干すと、立ち上がって2人の外国人ジャーナリストを連れ立って店を出た。そして二人のジープの後部座先に乗せてしまった。


 アジトの敷地の広さがどれくらいなのか想像もつかなかった。フェンスと有刺鉄線で囲まれた雑木林は、外部からは敷地内の様子がまるで見えない。ゲートには彼らの仲間が常時交代で見張り番に付いていた。

 アルセンはまさか、このジャーナリストの2人をここへ連れてくるとは思ってもいなかった。

 ハギギが片手を上げると見張り番はゲートを開けて中にジープを招き入れる。

 ゲートを通過する刹那、ジープに乗っている2名の外国人に気が付いた見張り番はアルセンに咎めるような視線を向けてくる。


”なんだって部外者なんか連れて来るんだ”

”仕方ねえだろ、ハギギの判断だ。きっと何か考えがあるに決まっている”


 アルセンはハギギを横目に肩を竦めて見せる。

 そこから雑木林を抜けてアジトに辿り着くまで5分ほど掛かった。それは街で見掛けた装飾や文化を感じさせない商店や家屋とは趣がかけ離れた印象の佇まいだった。暑いことに変わりはないが、丸太材で造られたそれは避暑地に建つ別荘のようにも見える。

「ここがあなた達の住処ということですか」スティーブンソンが言った。

「ここはオフィスみたいなものだ。住処はみんなこの敷地内の好きな場所に自分で家を建てて生活している」

 建物の脇に同じ型のジープが何台か停められている場所があり、アルセンがジープを停めに行った。

 中に入いると広い部屋に通される。

部屋の中央には、一枚板の大きなテーブルを白いシーツが被されたソファーが囲んでいる。一見すると豪勢なようだが、テーブルは、削り出しのままで、足元が覗いているソファーの本体の合成皮革は色あせて著しく年季の入ったものであることがわかる。それでも、これらのものが部屋の調度品も含めてアビエイで手に入れられる物ではないことが一目瞭然だった。

 後から入ってきたアルセンが、人数分のバドワイザーの缶をキッチンの大型冷蔵庫から出してきてハギギの隣に腰を下ろすと、ジャーナリストの2人にも振舞った。街で飲んだビールよりもずっと美味い、おまけにキンキンに冷えている。

 4人は同時に缶のプルトップを引くと、のどを潤した。

「この敷地には何人の方が生活しているんですか」

 一気に半分ほどビールを飲み干した井上は炭酸の効き目に眼を充血させながら言った。

 ハギギの目が一瞬鋭さを増したように見える。

 場を持たせる挨拶代わりの何気ない質問のつもりだったが、それが武装グループにとっては秘匿すべき情報だということに気付く。

「いや、変な意味ではなくて、見たところ、他の人たちの姿が見えなかったものですから」と井上は言い直した。

 心なしか隣のアルセンの目付きもきつくなった様な気がする。多少酔いが回っているのだと思いたかった。井上は2人の態度が微妙に変化しているのではないかと思い始めている。それが自分たちのテリトリーに戻ったというリラックスした状態なら問題ないが、もしや来てはならない場所に来てしまったのではないか、こうして彼らの実態に触れた自分たちは果たして無事に解放してもらえるのか心配になってきた。中東でイスラム過激派に拉致された戦場カメラマンが目隠しされて後ろ手に跪いている光景が頭を過る。

「この敷地内には100人程度が生活しているが実際に街の外で戦闘をしているのは俺も含めて20人程だ」

 それがどうしてなのか興味深いところだ。明らかに呼び水を誘うハギギの言葉だが、井上は硬直した頬に、なんとか感嘆を装う笑みを貼り付けるのに苦労した。どうして、この武装グループのリーダーがこんなにもオープンなのか気持ち悪くなってくる。

 缶ビールをテーブルに置く際に、上体を僅かに傾けて隣のスティーブンソンを盗み見るが、缶ビールの底を真上に向けるアメリカ人は単なる案内役に過ぎない、アメリカ人は世界のどこに行っても歓迎されるとでも思っているなら大間違いだ。井上ほどには状況の深刻さを理解していないように見える。井上は急速に今晩の宿がどこになるのか寝床の心配をする自分が哀れに思えてくるのだった。その井上の心配をよそにハギギは前屈みになってさらに言葉を続ける。

「ところでさっきの話だが」

 井上は耳を塞ぎたい思いだった。

「あんたの認識は間違っちゃいない。俺たちは政府軍の支援を受けて、この街をいやヘグリグ油田を守っているのさ」

 井上は足元から這い上がって来る鳥肌が全身を包んでいくのに身を任せてハギギの言葉に集中していた。

「この敷地内で実際の戦闘に参加していない者は、この国の本物の軍人だ」

 雷に打たれたような衝撃を覚えた井上は言った。

「なら軍は、ここに何のために逗留しているんですか」

「軍事訓練だ。俺たちと自分たちのためのな。だいたいこの敷地もこの建物も軍の物だ。逗留しているのは逆に俺たちの方ってわけだ」

 それを聞いた井上は内心で胸を撫で下ろしていた。彼らが無差別に人を殺す集団ではないと判ったからだ。彼らは言わば政府に雇われた傭兵部隊なのだ。少なくとも喧伝されているイスラム過激派グループではないことが、これでハッキリとした。そうなるとここは街中にいるよりもむしろ安全な場所だと言えるのではないか。

 その上で井上には疑問がひとつ浮上する。

「ハギギさん、あなた方が国際世論で懸念されている過激派グループではないと言うことはよく判りました。しかし、あなた方が政府の支援を受けて戦っていることは公には出来ない事実のはずです。なのになぜジャーナリストだと判っている私にそのことを話したのですか」

 ハギギは真一文字に結んでいた口の左端をやや釣り上げて見せる。顎を引いたその目は黒目がちで睨みつけているようだが、いたずら小僧がほくそ笑んだような顔にも見えた。

 井上は身の危険をもう感じてはいなかったが、自分の一挙手一投足が実は全て相手の思惑通りだったと言う錯覚に陥った。

 側にいるアルセンはハギギを凝視している。恐らくアルセンという男もこちらと同じ疑問を抱いているに違いない。

 井上は無意識にも正面に座るハギギから距離を取ろうとして上体をのけ反らしソファに背中を付けた。全てを見透かされていることを井上は悟った。そこにあるこの男の思惑を見極めないことには、私は帰れないと思った。

 井上は、今日はこのソファで横になるかも知れないと、ふとそんなことを思い浮かべた。






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