第4話 アフリカ・スーダン③

 見張りを交代したハギギとアルセンは、ジープに乗って街に引き返した。

 ハギギらがこの街にやって来る前は、幾つかの武装ゲリラが不毛な争いを繰り返すばかりの地域に過ぎなかった。それでもヘグリグ油田の存在は以前からあったのだが中国資本の流入が増加しだすと、俄かに活気づくようになり、その途端にスーダンから独立したばかりの隣国である南スーダン政府が、このヘグリグ油田を擁するアビエイの主権は我が国にあると主張しだすと忽ち国家間の紛争に発展した。

 その一方で両国は競って油田の周辺地域の開拓に力を入れ始める。点在していた集落は次々と統合され村は街に生まれ変わり、人口は急速に増して今も膨張を続けていた。

 人が集まれば自ずと秩序が生まれる。自治はあらゆる部族の習慣や仕来りを吸収するが、それ故に前に進む決断の一歩が鈍重になり機能不全に陥って行く。そこに生じた歪みに付け込んでくる欲望や悪意をもった人間が、集団を形成し暴走を始めるのは必然の流れで、ゲリラ化した集団同士の果てしない主権争いが繰り返された。

 発展とゲリラ集団の抗争が背中合わせの街。そこに乗り込んで行ったハギギらは、このアビエイにやって来て1年もしないうちに、過激派武装ゲリラの一団として根を張ることに成功していた。それ以来、南スーダンから侵攻してくるゲリラとも戦闘を繰り返している。

 街に入ると以前は砂漠同然の何もなかった場所に、今は道が出来上がり両脇にはあらゆる店がひしめき、人が渦巻いていた。道行く人々は以前と変わらず、日々の生活に追われているが、その顔には精気が漲っている。

 路上に溢れる人混みのせいでジープがろくに前に進まなくなった。

「調子はどうだ、うちで何か食べて行かないか」

 ハンドルを握るアルセンに笑顔で話しかけてきたのは、道路端までテーブルを並べているレストランの店主だった。そのはち切れそうな腹を揺さぶってジープに肘を乗せてくる。この辺りで一番流行している店だが、フランスで生まれ育ったアルセンにしてみれば、椅子やテーブルもどこかで拝借してきた物であることは明らかだし、いつまでたっても掘っ立て小屋のような店を堂々と営業している神経が信じられなかった。一度店を立て直したらどうだと進言したことがあったが店主は笑い飛ばすばかりだった。聞きたくもない話を持ち出されると笑ってごまかすのは、発展途上の地でも必要な処世術なのかも知れない。

「今日は珍しい客が来てるぜ」

「どこにいる奴らだ」

 ジープから降り立ったハギギが店主に言った。

 店主が視線を投げた先には、明らかにこの土地の者ではない2人の外国人がテーブル席に座って食事をしている。1人は大柄の白人で、もう1人はキャップを目深に被りサングラスを掛けている。

「帽子の方は日本人ぽいな」

 ハギギにどんな過去があるのか聞いたこともないが、フランス育ちのアルセンは大柄な白人の方は、フランス人やイギリス人でもなくアメリカ人だと見分けることが出来るが、もう1人の方はアジア人としか判断できない。ハギギの出自は堀深い目元と肌の色から中東系だと分かるのだが、その中東系のハギギが一瞥しただけで、あのアジア人が日本人だと分かるものなのか、アルセンには不思議に思えた。

 アルセンはジープを停めると、ハギギよりも先にそのテーブルに近付いて行き、慇懃な態度で話しかけた。

「あんた達、何者だ。この街に何をしに来た」

 いきなりライフルを持った厳つい黒んぼに英語で問いかけられたテーブルの2人は、些か驚いたようで焦燥の色を浮かべたが、ハギギがテーブル席に加わると、白人の方が口を開いた。

「私たちはジャーナリストです。このアビエイで起きている紛争について興味があってやって来ました」

 大柄な白人の方は、身長178㎝のハギギの体格よりふた回りは大きい。

「この街にジャーナリストやカメラマンが来ることは、最近じゃ珍しくはないし俺たちは、あんたらに危害を加えるつもりはない」

 ハギギがそう言うと、ジャーナリストの2人は顔を見合わせて頷き合った。ハギギの顔はもう1人の方に向く。

「見ての通り、俺たちは武装ゲリラだ。この辺のゲリラで俺たちのことを知らない奴はいない」

 アルセンはハギギが英語を話しているのを初めて聞いた。

「この街は、あんたらが好むような貧困や戦禍に苦しむ住民は、どこにもいない。見ての通り油田のせいで景気がいいんだ。俺でよければこの街のことなら教えてやるぞ」

 アルセンが手を挙げて冷えたビールを4本注文する。日射しは遮られているが壁のない店内は暑苦してしょうがなかった。


 大柄な白人の方はアルセンの見立て通りアメリカ人で、スティーブンソンと名乗り、アジア人の方はやはりハギギの言った通り日本人で、井上と名乗っていた。2人はスーダンの首都ハルツームで3日前に知り合ったばかりで、アビエイに来た経験のあるスティーブンソンが井上を案内してこの街にやって来たと言う。

「来たばかりで、目的の武装ゲリラの方たちに接触できたのは幸運としか言いようがありません」と言って井上はハギギに対して左手を差し出した。

「あなたがどう思おうと勝手だが、この街で出会ったばかりの人間と握手をする慣わしはない。すればあなた達も俺たち側の人間だと周囲から見なされることになる」

 ハギギの視線は井上に固定されているが明らかに店内や店先の往来に注意を払う態度を示していた。井上は慌ててその手を引っ込めると焦燥感丸出しで周囲に視線を廻らせた。その仕草があまりにも滑稽で、たまらずアルセンが笑い出した。

「井上は、ここまでよく生きてこられたな。2人とも強盗してくれって顔に書いてあるぞ」

 今更ながらここはいつ何が起きても不思議はない危険な紛争地帯でもあると言うことを思い出させる。

「申し訳ありません。本当は迷惑でしたか」

「いや、そんなことはひとつもない。ただあなた達が幸運かどうか俺には保証できないだけだ」

 ハギギはビールが注がれたスチールのマグカップを一口飲んだ。

「それで俺たちから何が聞きたい」

 ハギギが訪ねると井上は最初こそ恐縮していたが、アルコールの勢いも手伝って徐々に口数も増えていった。その間アルセンは、話に相槌をうったり、ハギギの意見を補足したりしたが、アルセンの意識の殆どは店の往来に費やされていた。

 握手をしただけで仲間とみなされるのは、はったりでも何でもない。領有権を巡る紛争地帯でもあるアビエイには明確な国境があるわけではなく、スーダンと南スーダンの思惑が入り混じる街中は暗黙の了解でしか物事の取り決めがない。それでも商人や一般人に対して銃口を向けると言うことはないが、仲間となればいつどこでゲリラ同士の戦闘に巻き込まれてもおかしくはなかった。

 こうして外部の人間と店でテーブルを共にしているのにもリスクがあるのに、ハギギがいつになくサービス精神を発揮しているのがアルセンは理解できなかった。

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