第2話 アフリカ・スーダン

 広大なアフリカ大陸に数多ある国境未確定地のうちのひとつに、アビエイという街がある。そこにあるヘグリグ油田は、スーダン共和国の実効支配地だが、ここはその領有権を巡って、スーダンから独立した隣国、南スーダン共和国との小競り合いが絶えない地域だった。

 黒人のアルセン・グラシアルは今、南スーダンからの武力侵攻に備えて腹ばいの態勢でライフルのスコープを覗き込んでいる。傍らには黒人ではないが兄と慕う、ハギギ・ホルモズ・ドヤールが双眼鏡で油田付近の国境線を見張っていた。

 とは言えこの2人は、スーダン人でもなければスーダンの政府軍に雇われている傭兵でもなく、出自は2人ともフランスの移民2世だが、今はイスラム過激派を名乗る武装勢力の一員である。

 中国資本が食い込んでいるこのヘグリグ油田が生む利権争いは、この付近一帯の過激派グループの間にも及んでいた。アフリカにはこうした利権や領有権を主張する国家間の対立や紛争、あるいは過激派による闘争やテロ行為が毎日どこかの国で発生し、その対立が長年続いているケースも珍しくはなかった。

 背後に気配を感じ取ったハギギは、腕時計で時刻を確認すると双眼鏡を下ろして振り返える。赤道に近い太陽に焼かれた灼熱の荒野が一台のジープと立ち昇る砂ぼこりを陽炎にして歪めているのが見えた。

「アルセン、交代が来たぞ」

 腹ばいになっていたアルセンは、起き上がって玉の汗を拭いハギギから水筒を受け取ると筒の底を天に向ける。地肌の黒いアルセンの喉仏がハギギの目線の高さで、ゴクゴクと上下した。

 2人は同じ移民2世でもアルセンはアフリカ系であり、ハギギの方は特徴のある目元の堀深さから中東系の出身に違いなかった。

 アルセンは移民差別の酷い環境で生まれ育ち、その環境を提供し支配しているのはフランス政府だと植え付けられて成人を迎えた多くの移民2世と同様に、まともな職に有りつくこともできず、大勢の仲間を従えて盗みや暴力沙汰を繰り返す毎日を送っていた。

 近い将来はマフィアになるか、世界を席捲しているイスラム国の戦闘員になることを選択する日が来るだろうと漠然と考えていた。

「ハギギの首を取ってきたら、お前をうちの幹部として迎えてやる」

 思いもかけない地元マフィアからのオファーに、アルセンは色めき立った。

 アルセンの住む街には移民2世の不良グループが幾つも存在していた。グループの系統は肌の色で別れることが多く、アルセンのグループは黒人ばかりで構成されている。

 ハギギと言う男は、アルセンや普通の移民2世とは違い、最近になってこの街に住む移民の親類を頼ってやってきた男だったが、半年もしないうちに急速に頭角を現し仲間を従えグループのリーダーに収まっていた。本当の意味での2世ではないことに加え、小柄なくせに得体の知れない格闘技を操って無敵の強さを誇っていると言う噂が、この街で生まれ育ち、格闘技を習得する金も環境もなくストリートのみで伸し上がってきたアルセンにとっては気に食わない存在だった。ハギギの暗殺依頼も恐らくそんなところから地元マフィアの逆鱗に触れたに違いないとアルセンは解釈した。

 とにかくアルセンにはまたとないチャンスでもあった。


 アルセンとハギギは、人里離れた郊外の廃工場で雌雄を決することになった。


 果たしてアルセンは自分よりふた回りも小柄なハギギに殺されそうな目にあわされてしまう。危惧していた得体の知れない格闘技の正体とは、実はアルセンと同じストリートで磨いたものでしかなかったのだ。それでも実力差は雲泥の差だ。二重のショックに打ちのめされたアルセンは戦意を失って地面に押さえつけられた。

「殺せ」

 それだけ言い放つとアルセンは目を閉じて覚悟を決める。

 死を受け入れたアルセンの襟首を掴んだハギギの手には、アルセンから奪い取ったサバイバルナイフは、もう握られていない。

「目を開けアルセン」

 言われた通り目を開いたアルセンは驚愕する。

 ハギギの後ろには、拳銃やナイフを持ったハギギの仲間が肩を並べていた。ざっと20人はいる。何も考えずに言われた通り独りでノコノコとやって来たアルセンは用意周到なハギギに畏敬の念さえ感じ、深いため息を吐いた。

「どの道俺は、殺される運命だったわけか」

 ハギギは黙ってアルセンの腕を掴んで起こしてやる。ハギギの態度に敵対心はもう窺えなかった。競技を終えたアスリートのスポーツマンシップを思わせるような清々しささえ感じる。決して単身で乗り込んできたアルセンを馬鹿にするような雰囲気ではなかった。

 正面から見据えてくるハギギの左目尻には、アルセンがサバイバルナイフで切りつけた傷と、拳を頬に叩き込んだ時に負わせた痣が残っている。

「うちのリーダーを相手にお前はよくやったよ。たいしたもんだ」

「紙一重だったんじゃないか、もう一度やったら勝てるかもな」

 ハギギの仲間たちは、アルセンに対するリスペクトを隠そうとしなかった。

「アルセン、お前の命は俺が預かる」アルセンの肩に手を置いたハギギが言う。

「と言いたいところだがよ、それはここから生きて帰ることができたらの話しだ。」

 訳が分からず呆然とするアルセンにハギギは拳銃を手渡すと仲間に合図を下した。

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