22

 アラームの音に目を覚ますと、外は変わらぬ快晴だった。仮眠から目覚めた体はまだ重いが、船の時間がある以上、いつまでも寝ているわけにはいかない。疲れた体に鞭うちながら起き上がり、窓を開ける。雲一つない青空から降り注がれる日差しからは、秋の訪れはまだまだ遠いことを思い知らされる。悪天候で帰りの船が出ないのは問題だが、それにしても限度があるだろうと宙色は思う。

 自室で二日分の荷物をスーツケースに詰め終え、汗をぬぐう。滞在期間はわずか数日だったが、初めてこの館を訪れたときのことは遠い昔のことように思える。現実味のないことがあまりに連続したからというのもあるだろう。色々な意味で、まるで夢のような時間だった。

 忘れ物がないかだけ確認し、部屋を後にする。時刻は既に九時を回っているが、夜型の人間の多いここではむしろ寝ている人間の方が多い時間帯だろう。宙色は物音を立てないように静かに廊下を歩いた。

 廊下の端までたどり着くと、目当ての部屋の扉をノックする。どうぞ、と宙色の来訪を予期していたような落ち着いた返答が返ってくるので、遠慮なく扉を開く。

 この館の主の辰巳は一昨日二人きりで話した時と同じように椅子に腰かけて、コーヒーカップに口をつけていた。

 「おはよう、宙色君。君も食べるかい?」

 辰巳はそう言ってテーブルの上にあったカロリーメイトを差し出してきた。

 「では、いただきます」

 そう言って、二本分が入った袋を受け取り、開封する。昨晩もほとんど一睡もしていなかったこともあって胃の調子はあまり良くないが、食べなれた味のそれは口の中の水分を奪いながらすんなりと腹に収まった。

 「昨晩はよく眠れたかい?夜中に海の方に散歩に行っていたみたいだけれど」

 コーヒーをすすりながら辰巳は尋ねてくる。どうやら出かけるのをどこかで見られていたらしい。別に隠すようなことでもないが、相変わらず抜け目のない男だと宙色は思った。

 「まあ、少し考え事がありまして。ただ、さっきまで仮眠がてら少し休ませてもらいましたので、体調は大丈夫ですよ」

 「それはよかった。君たちクリエイターも体が資本だからね。本当なら、もっとウチでゆっくりしていいてくれと言いたいところだが、君のように忙しい人をあまり引き止めすぎるのも忍びないね」

 既にまとめられた宙色の荷物を見ながら、辰巳は残念そうに言う。どこまでが本音か読めない口調だが、客人が返っていくのが寂しいのは本当なのだろう。謝意とともに、宙色は頭を下げた。

 「そうですね。せっかくですが、さすがにこれ以上本業は休めませんので。午前の便で、東京に帰るつもりです」

 「そうか。なら送っていこう。この時間はまだ皆寝てるだろうから、私が車を出すよ。他の皆はまだ寝ているだろうから、挨拶はできないだろうけれど、いいかい?」

 そう言って、辰巳は机に置いてあったキーを取り、立ち上がった。確かにここの夜型の人々にお別れを言っていては、午前の便にはとても間に合いそうにない。残念だが、今生の別れというわけでもない。宙色も椅子を引いて立ち上がる。

 「はい、皆さんにはよろしくお伝えください。それと、辰巳さん」

 「なにかな?」

 ジャケットに袖を通しながら、辰巳は軽い口調で問い返してくる。そんな彼に対して、宙色は少しだけ息を吸ってから答えた。

 「お話したいことがあります。一昨日話させていただいた、『七月のロマン』のメンバーへのお誘いの返答を」

 「ああ。その話なら、別に急がなくていいしもっと考えてから答えてほしいんだけれど……」

 そう言いながら、辰巳はこちらに向き直り、ほんの少し表情を変えた。その顔は驚いているようにも、困っているようにも、あるいは喜んでいるようにも取れる、そんな微笑を浮かべていた。

 「……いいだろう。車の中で聞かせてほしい。プロのクリエイターとしての、君の答えをね」

 試すようなその物言いに、ああこの人は根幹の部分で創作者という人種を愛して止まないのだろうということに、宙色はようやく気付いた。

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創作者(クリエイター)を導く自由の女神 礎 文哉 @ishizue

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