Final Episode 愛は誓えどリア充は許さず!

第28話 下痢トラップ発動

「おお、いい天気だぁ~」


 いかにも人の好さそうな相好をした初老の男がつぶやき、振り仰いで空を見た。しかし彼はすぐに「ほら、娘が待ってますよ。早く早く」と奥さんから袖を引っ張られた。緑ヶ丘高校の正門へと続く緩やかな坂道を夫婦はゆっくりと登ってゆく。


「ひと足早い娘の結婚式かぁ。オレ、泣いちゃうかも……」

「お婿さんが来てくれるのになんで泣く必要あるんですか! それよりデジカメのバッテリーは大丈夫でしょうね。恋夢の晴れ姿、うんと撮影して下さいよ」

「はいはい」


 二つまみほど雲を添えた真っ青な秋の空の下、いよいよ緑ヶ丘高校の文化祭が始まった。

 ポンポンと景気づけの花火が上がる。校門には派手なアーチがかかり、その下を生徒はもちろん、大勢の父兄や一般の人々がくぐっていった。

 学校の敷地内には学級やクラブの出店が軒を連ねている。お好み焼き屋やタコヤキ、クレープ、綿菓子の屋台に加えて風船釣りや輪投げといった遊戯の露店も大盛況だった。人気ゲーム機器やレアもののぬいぐるみといった景品を目当てに小さな子供達ばかりか大の大人まで夢中になって興じている。

 体育館では婚約破棄された悪役令嬢の物語を歌舞伎風にアレンジした演劇を上演しており、観客達を爆笑させていた。野外ステージではコスプレした軽音部がダンス部とコラボしたライブを催しており、こちらも立ち見が出る程の大入り。

 そんな中、真っ白な舞台でひときわ人々の目を惹いている一角があった。

 まだ催しこそ開かれていないが、午後にここで緑ヶ丘高校でも著名なカップルによる「模擬結婚式」が開かれるという。既に座り込んで参列席を押さえている観客が大勢いた。

 舞台裏では音声を調整している者、ビュッフェの軽食を準備している者、式場に飾る花を用意している者など、誰もが忙しく動き回っている。ねじり鉢巻きの涼美ヶ原瑠璃が寿司職人みたいな恰好で「ケーキ一丁、あがりィッ!」と怒鳴っていた。


「恋夢ちゃんはどうかしら。緊張してると思うけど」

「支度も兼ねて本物河さんが花嫁に付いてる。大丈夫でしょ」

「恋夢ちゃん、綺麗だろうなぁ。ああ、私も早く結婚したぁい」

「それ、絶対めぐ姉の前で言っちゃ駄目だからね」


 心配したり、夢見心地になったり、たしなめたり……やはり女子の方が総じてテンションが高く、男子達はそれらを苦笑気味に見ながら作業していた。

 一方で、数人の女子達がヒソヒソ怪しげな会話を交わしている。


「ところで、主役を『出演停止』にする例の仕掛けは?」

「ランチにちゃんと一服盛ったわ。もうしばらくしたらユウジくんは便器とお友達よ、ククク……」

「ヒロマルくんもユウジくんも何も知らずに。フッフッフッ……」


 少女達は結婚式に携わるスタッフとは思えない不気味な笑顔を浮かべあう。人の皮を被った悪魔のように。

 さて、「何も知らない」その主役達はというと……


「ヒロマル。お前、もう分かってるだろ? いい加減もう覚悟決めろよ」

「な、なんだよヤブから棒に」


 新郎の待合室で、ヒロマルは真剣な顔をした親友に説教をされ、辟易していた。


「ヤブでも棒でもねぇ、昨日の集会のことだ」


 ヒロマルは「ああ」と、ため息をついた。

 昨日……B組は放課後にカラオケボックスの大フロアを借り切り、模擬結婚式開催へモチベーションを上げるための決起集会を開いたのだった。

 クラス中が既に熱にでも浮かされたようにモリモリ盛り上がっている、今さらモチベーションなど上げる必要なんかあるかとヒロマルは思ったが、実際のところ、クラスメイト達は口実をつけて楽しく騒ぎたかっただけ。つまりは「前夜祭」だった。

 考えてみれば吊るし上げみたいな学級裁判だのルール無用の乱闘大会だの……このクラス、ロクでもない騒ぎばかり何度も起きている。


(まぁ、こうやって高校生らしく気楽に騒ぐのが一番楽しくていいよなぁ)


 決起集会を開いたのはもうひとつ理由がある。集会にかこつけた恋夢の歓迎会である。カラオケボックスを借り切ったのもその為だった。

 有名な元・アイドルに歌って欲しい、一緒に歌いたい。そんな要望を恋夢が快諾したので、これでクラスが盛り上がらないはずがない。


「恋夢ちゃん、次は美風くんからのリクエストで『逆境少女、恋の大旋風!』をお願いします!」

「は、はい」


 当然の流れというべきか、序盤は恋夢のミニライブみたいになってしまった。皆が歌って欲しい曲を我先にとリクエストする。

 アイドルはもう引退したはずなんだけど……と最初は困惑したものの、目を潤ませてコールする涼美ヶ原瑠璃やペンライトを手にオタ芸で踊る男子達の姿を前に、恋夢はひととき「奈月れむん」に戻って歌った。

 歌い始めてみれば歌唱もダンスも身体が覚えていた。目を輝かせ、自分の歌を聴いてくれる友人達の姿も嬉しかった。みんなをもっと笑顔に、と俄然歌にも力が入る。


「みんな、一緒に歌って踊ろう! いくよー!」

「おおおぉぉーー!」


 一度は芸能界を席巻した華やかな笑顔と甘い歌声。ファンサを振りまけばクラス中がどよめき、呼びかければ皆が腕を振り、声を張り上げる。


「れむんー!」


 コールに振り向けばオタ芸を踊る男子達の中にヒロマルもいた。ピンクの法被を着た彼は、マジックで「れむん一生推し!」と書いたハチマキを頭に締め「うぉー!」と叫んでいる。


「ヒロマルくん!」


 感激した恋夢は両手でハートを形作り、胸元からラブビームを放って応えた。最高のファンサである。被弾したヒロマル達は大仰に叫びながらバタバタと倒れ、爆笑が沸いた。

 そんな愉快なテンションで始まったカラオケ大会だったが……


「さぁ、私達も歌うわよ! 恋夢ちゃんに続け!」

「おおーーっ!」


 クラスの男女が今ではほとんど誰かと付き合っている状態である。恋夢に続いて歌うメンツの大半はデュエットで歌うカップルだった。

 そうなるとヒロマルが黙っているはずがない。「こいつらをイチャつかせてたまるか!」と、彼はデュエットの後には必ず熱血アニソンや電波ソングで無理矢理割り込んだ。かくして「リア充軍団vs孤高の戦士ヒロマル」といった様相のカラオケ大戦が勃発する。

 甘くなりそうな雰囲気をことごとくブチ壊そうと躍起なヒロマルの熱唱に、冬村蜜架と本物河沙遊璃は顔を見合わせて苦笑い。


「ヒロマルくん、相変わらずねぇ」

「必死すぎて、もう笑うしかないわ」


 遂にヒロマルは「リア充ども、心して聴け! モテない奴の心の叫び、お前らに聴かせてやる!」と、とっておきの持ち歌『神よ、この世界のラブコメに怒りの鉄槌を』を歌った。

 それは恋愛シミュレーションゲームのバッドエンドに流れる歌で、この世に彼女がいる奴、幸せを見せつける奴、絶対許さない呪ってやる! という恨み節だった。

 クラスメイト達は「こりゃ、まさしくヒロマルのテーマソングだ」とゲラゲラ笑ったが、笑わない者がひとりだけ。

 それは恋夢だった。俯いて悲しげに耳を傾ける。

 そして、歌の最後に「救いはない。こんなオレの傍にいてくれる天使は、この世界のどこにもいない……」とヒロマルが嘆きのセリフをつぶやいたとき。


「ここにいます!」

「れ、恋夢?」

「恋夢がいます! ヒロマルくんのそばに! だから、どこにもいないなんて言わないで……」


 叫んだ恋夢は、わっと泣き出してしまった。周囲のクラスメイト達は驚いて「恋夢ちゃん、あれは歌だから!」となだめ、ヒロマルも「この歌は最後にこの台詞が入るんだよ」と弁明したり。

 だが、泣きじゃくる恋夢の涙はなかなか止まらない。

 最後は本物河沙遊璃から「それなら恋夢ちゃん、アンサーソングを歌ってあげなさい」と薦められ、恋夢はようやく涙を拭いてうなずいた。

 そして、修羅場大戦争の折に恋夢自身が作詞した「私だけを見て」を歌ったのだった。


「私を見て。私だけを見て。ずっと好きだったの……」


 歌う者の気持ちがどこにあるか、もはや言うまでもないだろう。ヒロマルは叱られたように頭を垂れ、歌を聴くしかなかった。

 新郎の待合室で今、ユウジが「いい加減、覚悟を決めろ」と詰め寄っているのはそのことだった。


「お試し付き合いはもう通用せんぞ、ヒロマル」

「う、うむ……」

「うむ、じゃねぇ。これ以上引き延ばしたり彼女にしないなんてホザいてみろ、お前マジでクラス中から撲殺されかねんぞ」

「しかし、恋夢と恋人同士になったらオレはリア充になってしまう。生涯コイツらを許さん! と、あの日誓ったはずのリア充に……」

「そんな誓いなんぞとっとと破れッ!」


 ヒロマルはそれでも脂汗を流しなおも苦悩している。業を煮やしたユウジは「もういい!」と憤然、立ち上がった。


「こうなりゃ模擬結婚式の筋書き通りオレが恋夢ちゃんをさらって、本当にそのまま彼女にしてやる!」

「いかーん! お前など言語道断! 恋夢にはもっといい男が……」

「うるせぇ! もうお前みたいな厨二病なんぞよりこのオレが恋夢ちゃんを……」


 異変は突然だった。

 まくし立てるユウジの顔が、次の瞬間「おひょう!」と、奇妙な表情に引き攣ったのだ。


「おひょう?」


 キョトンとしたヒロマルをよそに、ユウジはへっぴり腰で立ち上がった。そのままお尻を抱えた奇妙な姿勢でちょこちょこ爪先歩きを始める。

 そのお腹から、雷鳴とも咆哮ともつかない不気味な音が鳴り響いた。


「ヒ、ヒロマル……続きは後だ」

「お、おう……」

「お腹が……オレのお腹が……おおおおおおおお」


 突然襲いかかる謎の便意! トイレに間に合うか正直微妙だった。いや、間に合わねば文化祭のこの日が人生破滅の日になってしまう!

 今にも漏れそうな下半身を必死に食い止めながらユウジは控室を飛び出し、トイレへと突き進み始めた。鬼みたいな顔で通行人を弾き飛ばし、廊下を驀進する後をヒロマルが心配顔でオロオロと尾いてゆく。


「あ、ヒロマルくん、ユウジくん、そろそろ式場のチャペル裏に……」


 迎えに来た数人の女子に声を掛けられたがユウジは返事もせず、通り過ぎて行った。ヒロマルが小声で「ユウジ、お腹を下したみたいなんだ」と説明する。「あらまぁ」という顔で彼女達もヒロマルの後ろに加わった。


「ユウジくん、大丈夫かな? 結婚式出られるかしら」

「まぁ、出すもの出したら大丈夫だろ」


 半ば自分を安心させるようにつぶやくヒロマルの背後で、「さて、そうなるかしらね」と、言わんばかりの顔で少女達はニヤリと笑いあった……

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