Episode.10 知らぬ間に埋められゆく外堀

第26話 悪魔が微笑む時代に情けは無用

「恋夢、このままだと埒が明かねぇってことは分かってるし?」

「そ、そうだけど……」


 お洒落なカフェテリアのテラス。

 テーブルを挟んだ向こう側からは涼美ヶ原瑠璃が厳しい視線をこちらへ向けている。テーブルの上には『落花流水』と仰々しく銘を打った例の作戦計画書。


「ヒロっちのこと好きなんだし?」

「大好きです!」

「即答出来るのに何迷ってんだよ。沙遊りんもヒロっちに言ってたし? 馬鹿の考え休むに似たり!」

「ううっ、恋夢もおバカ扱いされちゃった。で、でもヒロマルくんと一緒だから嬉しいな……」

「あーもーバカップルってんじゃねえし!」


 呆れる涼美ヶ原瑠璃を前に恋夢は笑ったが「あんまりやりすぎたら恋夢、ヒロマルくんに嫌われちゃうんじゃないかって……それが怖いの」と俯いた。


「ははは、ないない。これ、確かに強引っつーか脅迫のラインをギリ攻めてる作戦だけど、ヒロっちに限って恋夢を見限るなんてありえねーし!」

「そんなこと言ったって、もしヒロマルくんに『恋夢のことマジで見損なった。お試し彼氏もーやめるわ。あばよ!』とか言われたら……もう絶望です。天井からロープでぷらーんって垂れ下がっちゃう……」


 今度は涙目になってしまった恋夢を瑠璃は「自分から首吊り自殺ENDフラグ立てんなし!」と叱りつけた。


「大丈夫だって! アイツ、恋夢にそんなこと絶対言わねえし!」

「でも……でも……」

「ええい、ここまできてデモもストライキもねぇし! ウダウダしてっとヒロマルの奴、どっかの女に捕まっちまうかも知れねえぞ! それでもいいのか?」


 イラついた涼美ヶ原瑠璃が恐ろしいことを言い出した。迷っていた恋夢がぎょっとした顔でこちらを見る。瑠璃はここぞとばかりに口調を変え、畳みかけた。


「この間のフェリス女学院体育祭の奴の活躍を恋夢も知ってるだろう。あの後、たくさんのラブレターが届いたくらいだ、世の中男を顔だけで値踏みするような女子ばかりじゃない。どうせモテぬとホザこうとも、恋夢のように奴の漢気に惚れる女がきっと現れる……」

「そんな、まさか……」


 ニタァ、と擬音がつきそうな笑いを浮べた涼美ヶ原瑠璃が「ないとは言えねえし?」と、ささやく。恋夢は震え上がった。

 自分のように彼に恋する女の子がもし現われたらきっと「こんな人、世界中のどこにもいない!」と嵐のように押しまくり彼に迫るに違いない! もし、そんなことになってしまったら……


「そうだ、ヒロマルの奴は必ずソイツの手に落ちる! それでもいいのか?」

「いや! ヒロマルくんが恋夢以外の誰かのものになってしまうなんて絶対イヤ!」


 顔面蒼白になった恋夢が思わず立ち上がって絶叫すると、涼美ヶ原瑠璃は仕上げとばかりに焚きつけた。


「ならば日本中の男子を虜にしたお前ほどの女が何を迷うことがある!」

「す、すずみん……」

「もはや迷っている余裕はない。ライバルが出てくる前に奪い取れ! ヒロマルと結婚するんだ!」


 悪魔の教唆、とは正にこういうことなのだろう。嫌われるのが怖いと迷っていた恋夢の瞳に、次第に正気を逸した光が宿り始める。


「結婚……そうよ、結婚してしまえばヒロマルくんは恋夢だけのもの……恋夢だけを見つめてくれる……恋夢だけを一生愛してくれる……!」

「そうだ、構うことはねぇ、やっちまえ! 今は悪魔が微笑む時代なんだぁー!」


 世紀末じゃあるまいし。

 しかし次の瞬間、恋夢は奇声と共にテーブルに置かれた悪魔の計画書に飛びついてしまった!


「誰にも渡さない! ヒロマルくんを恋夢だけのものにするぅぅーー!」

「ヒャッハー! よくぞ言ったぁぁぁ!」


 想い人を陥穽へ導く道へ……言葉巧みにそそのかされた恋懸け少女が魔の手に落ちた瞬間である。



☆☆  ☆☆  ☆☆  ☆☆  ☆☆  ☆☆



「で、本物河さん。首尾はどうだった?」


 放課後。例によってファーストフード店に集合したB組の女子組から冬村蜜架が問いかける。

 顎を上げた本物河沙遊璃が笑みを浮かべて「大成功!」と両手を上げると大歓声が沸き、拍手が起こった。


「無料チケットをあげたヒロマルくんがユウジくんとカラオケでボエーとか歌ってる間に小村崎家と春瀬戸家の顔合わせは滞りなく済みました。最大の難問だった二人の結婚についても、両家から了解をいただきました!」

「おおーーっ!」

「本物河さん、すごい!」


 一介の女子高生が二つの家を説得し、結婚の許可を取り付けるなど並大抵の功績ではない。

 一体どんなマジックを! という感嘆の視線を浴びた本物河沙遊璃は「いや、別に凄くもなんともないわよ」と、肩をすくめた。


「まず、恋夢ちゃんのご両親の方だけど、恋夢ちゃんを妹のように庇ってくれたヒロマルくんの話をご存じでそんな人なら是非! って何の問題もなく了解をもらいました」

「おおーーっ!」

「でもひとつだけ……条件、というかお願いをされてね。ヒロマルくんに、お婿さんとして春瀬戸家に入ってもらえないだろうかって。恋夢ちゃん、養子で一人娘だもの……」


 女子達は「ああ」と、うなずいた。


「でもよ、沙遊りん。それを言うなら確かヒロっちも一人息子じゃね?」

「そうなの瑠璃ちゃん。私もこれは難しい問題になるわねって心配しながら恋夢ちゃんのご両親と一緒にヒロマルくん家に伺ったのだけど……」


 険しい顔になった本物河沙遊璃だったが、固唾を呑んで自分を見つめる一同を見回し「そんなの杞憂でした!」と、ニカッと笑った。


「しょっぱなからドラマチックだったわ。玄関のドアを開けた瞬間『えっ恋夢ちゃんじゃないの!』『おばさーん!』って、いきなり涙と抱擁で感動の再会となりまして……」


 おお! と、どよめく女子達へ、本物河沙遊璃は目を潤ませながら講談師のように熱っぽく語る。


「客間に通されても、しばらくは昔の思い出で話が盛り上がっててね。ヒロマルくんのお母さんは泣いたり笑ったり恋夢ちゃんをうっとり眺めたりの大忙し。しまいには恋夢ちゃんのご両親に「恋夢ちゃんをどうかよろしくお願いします!」って頭下げてて。いや、それ恋夢ちゃんの親に言うのおかしいでしょ! って私も笑いを堪えるのが大変でした。いやはや、さすがにヒロマルくんのお母さんだけあるわね」


 温かくもおかしな光景が目に浮かぶ。女子達も思わず噴き出した。


「それで、肝心の話の方だけどまったく無問題でした。ヒロマルくんと恋夢ちゃんを結婚させたい、親御さんも快諾してくれたけど何より恋夢ちゃんの一生のお願いです、この通りです……って私から説明して頭を下げたら、ヒロマルくんのお母さん『えっ! 恋夢ちゃん、あんなバカ息子のお嫁さんになってくれるのかい!?』って飛び上がって喜んでくれて……」

「実の母親がバカ息子呼ばわりなんて……まぁ、否定は出来ないけど」


 冬村蜜架のツッコミに、笑いが膨れ上がる。


「一人息子だけど出来ればお婿さんにって話は、渋られるどころか即決OKでした。ヒロマルくんのお母さん、厨二病コジらせたあんなバカ息子だから一生結婚なんか出来ないだろうって諦めてたんですって。それが選りにもよってこんなに綺麗でいい娘が嫁になってくれる! 婿入り? 春瀬戸性? ああもうどうぞどうぞ! ですって」


 笑いながら本物河沙遊璃は涙を拭いた。春瀬戸家は家名が、小村崎家は血筋が残る。なにより、生みの親に捨てられた悲しい少女に温かい為人の母親が二人も出来た。悲しい境遇だった人々が縁で結び合い、ひとつながりの家族となる。

 こんな幸せな結婚があるだろうか。


「そんなこんなで、最終的に二人が一八になったらちゃんと結納しましょうってことになりました!」

「おーー!」

「ヒロマルくんのお母さん曰わく、バカ息子の首に縄つけても引きずって来るそうです!」

「おおーー!」

「そして……はい、ご覧下さい! ヒロマルくんと恋夢ちゃんの結婚について両家の念書をいただきました!」

「おおおーー!」


 本物河沙遊璃が高々と差し上げた念書には、二人の結婚を約束した両家の親からサインが書かれ、契印が押されていた。

 歓喜の雄叫びはいや増し、恋懸け少女にお節介を焼くB組女子軍のボルテージは最高潮。もう天をも抜かんばかり。


「やったわね!」

「作戦最大の山場、ついに乗り越えた!」

「流れは確実に来ている。乗るしかない、恋のビッグウェーブに!」

「ククク……ヒロマルの奴、外堀が完全に埋められたことも知らずにノンキな奴よ」


 モテない奴に救いはない、彼氏彼女のいる奴なんぞみんな悪だと吼え、クラスを地獄のバトルロイヤルへ叩き込んだ男に対し、親の承認というお墨付きで将来の結婚を人生の既定路線にされるという恐るべき報復が、ここに来てついに実現!

 当の本人だけが、まだ何も知らない。


「情けは無用、ここから畳み込んでゆくわよ! 恋夢ちゃんのピュアなラブを成就させる為、みんなでヒロマルくんに引導を渡してやりましょう!」


 冬村蜜架の激に、恋のお節介に燃える女子達はコブシを突き上げ「オオーーッ!」と気勢を上げた。

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