第25話 花は祈りて落ち、水は流れに花を戴く

「めぐ姉先生ありがとう、もういいんです。皆も私を庇って言えずにいたんだよね。大丈夫よ。私、自分で言うわ」


 そう言って、ヒロマルと恋夢の前に立ったのは本物河沙遊璃だった。


「沙遊璃ちゃん?」

「本物河……」


 クラス全員が泣いている、だが何故なのか誰も話せない。それが自分のせいだと言い出した彼女を二人は訝しげに見る。

 何と言い抜けるのか……周囲のクラスメイト達も思わず泣くのを忘れて固唾を呑み見守る中、沙遊璃は奇妙なことを始めた。

 自分の服の袖をそろそろと捲ったのだ。

 己の秘部でも見せるように恥ずかしげに俯いて腕を差し出す。それを見た二人とクラスメイト達は思わず凍り付いた。

 サメのエラのように、リストカットした傷跡が腕に幾筋も刻まれている。手首に近い一番新しい傷が最も酷く、それは明らかに己の生命を絶つために裂いたものだった。


「これは……」

「私の過去の傷痕。パパとママが喧嘩する度に切ったの。そうすれば二人とも私を心配してくれたから」


 シンと静まり返った教室の中に、本物河沙遊璃の声だけが響く。


「冷たい家の中が怖かった……パパもママも離婚したら自分についてきてって勝手なことを言っていた。選べるわけない。どっちがいなくなっても私の居場所はなくなる。必死だった。だけどお願い仲良くしてってどんなに泣いても駄目だった。明日にも離婚しそうで、引き留めるために必死で、私にはもうこれしかなかったの。でも……」


 沙遊璃の声が震えた。


「しまいには切っても、ああまたかって単なる私の我儘にされてしまって。離婚届をダイニングテーブルの上で見たあの日、絶望した私は思い切りここを斬り裂いて……」


 恋夢の哀しい生い立ちも衝撃的だったが、こちらも同じくらい衝撃的なカミングアウトだった。

 静まり返った教室の中、独白は続く。


「最後の賭けだったの。私は生死を彷徨って……随分長い夢を見てた。異世界で悪魔になった夢を見たわ。でも起きたらそこにパパとママがいた……私達がバカだった、やり直すからゴメンなさいって。私、この傷と引き換えに家族を取り戻したのよ」

「沙遊璃ちゃん……」


 涙を拭くと、恋夢に向かって本物河沙遊璃は笑ってみせた。


「さっきそんなことを話してたの。私が転校初日に暴れた理由。命懸けで取り戻したパパとママをバカにされたら、転校初日だろうが手前ブッ殺してやるぜモードにだってなっちゃうもんでしょ? ふふっ」


 本人はちょっと笑いを入れたつもりなのだろうが、笑える者などもちろん誰もいない。


「そんな話だったから私の為にみんな泣いてくれたの。でも恋夢ちゃんとヒロマルくんはハーブティーでいい気持ちで居眠りしてたから、泣く人を増やすことはない、内緒にしといてって私が言ったの。だから皆言えなくて。でも二人ともどうしても教えてくれって言うから私から話しました。はい、現場からは以上です」


 クラスメイト達の涙はとうに引っ込んでしまっている。二人の疑念を払拭するにはお釣りが来るほどの告白だった。


(ま、まさかこんな告白で切り抜けるとは……!)

(でも、その為に本物河さんは自分の辛い過去を……)


 咄嗟の作り話ではないなによりの証拠は、彼女の腕に刻まれたリストカット痕だった。おそらく彼等の真意を聞き出す代償として己のトラウマを話すことを、彼女はあらかじめ覚悟していたのだろう、取り乱した様子を最後まで見せていない。

 疑念の晴れたヒロマルは、そうだったのかという顔で申し訳なさそうに頭を下げた。


「本物河さん。無理に聞いて悪かった。みんなも無理に尋ねてごめんな……」


 沙遊璃は「いいのよ、元はといえば私がバーサーカー化したのが発端だもの」と聖母のような笑みで受け入れ、恋夢は涙を拭き拭き彼女の手を取った。


「でも……前にも言ったけど、沙遊璃ちゃんがパパとママをバカにされてあんなに怒るのも当然だよ」

「恋夢ちゃん……」

「恋夢もその気持ち分かるから。痛いくらい」

「……」


 痛いくらい……という意味を、その場にいた誰もがもう知っている。

 恋夢の言葉は、皆の目に新しい涙を誘った……



☆☆  ☆☆  ☆☆  ☆☆  ☆☆  ☆☆



「さて、問題は……」


 時と場所は移り、ここは放課後の駅前ファーストフード店。

 B組の全女子はここの三階にある客席を占拠したような形で今、臨時オフ会を開いていた。

 ちなみにヒロマルと恋夢は連れだって既に下校しており、彼女達はそれを見計らってここへ集結していた。

 議題は言うまでもない、その二人の件である。


「それにしても、あそこで本物河さんがあんな捨て身のファインプレーでヒロマルくんの追及を喰い止めてくれるなんて。本当、助かったわ」


 冬村蜜架が礼を言うと一同からパチパチパチ……と拍手が起きた。本物河沙遊璃は余裕の笑みで手を上げる。まるで選挙で当確を決めた政治家のようだった。


「捨て身なんて大袈裟ね。第一、リストカットは過去の話だし、恋夢ちゃんの生い立ちに比べりゃハナクソみたいなものよ」


 照れくさかったのだろう、涙ながらに語ったはず自分の過去をハナクソ扱いした沙遊璃は、「そんなことよりあの二人、どうするの?」と鋭い目を向ける。


「謎はすべて解けた。ヒロマルくんと恋夢ちゃんが本当は相思相愛であることも分かった。だけど……」


 語り始めた沙遊璃を受けて、涼美ヶ原瑠璃が続ける。


「ヒロっちは己を引いてでも恋夢に一番幸せになって欲しい」

「ところが、そんなヒロマルくんだからこそ恋夢ちゃんは好きで好きでたまらない」


 流れを受けた冬村蜜架の言葉に、一同は腕を組んでウウムと考える。どちらの気持ちも叶えてやりたいが片方の願いを叶えると片方が叶わない。

 だが、そんな彼等を見渡し本物河沙遊璃は「悩むまでもないでしょう。結論はひとつしかないわ!」と喝破した。


「二人を結び付ける。それ以外ない!」

「そ、そうだけど、そうなるとヒロマルくんの漢気は……」


 友音雪奈が気の毒そうにつぶやくが、本物河沙遊璃は「立派だけど一番大事なものが欠けてる」とバッサリ。


「欠けてるって……」

「だってそうでしょ? 恋夢ちゃんがあんなに好きと慕ってくれるなら、彼女に相応しい男に自分がなってやろうと何故思わないの!」


 オオ! と思わず手を打つ一同に「あれほど漢気がある立派な男のくせに、肝心なところに気づかない。覚悟を決められないところが小物なのよ!」と駄目出し。歓声と拍手が沸いた。


「言われてみれば!」

「然り! 然り!」

「本物河さんよく言った。その通りよ!」


 目からウロコが落ちたように生気を取り戻す一同へニヤリとすると、沙遊璃は「そういう訳でヒロマルくんには覚悟を決めてもらうわ。我々が為すべきは彼をそこまで追い込むことよ!」と結論付けた。


「でも本物河さん、具体的にはどうすんの?」

「男女の仲を社会的な義務で結びつける関係をゴールにする。それは……」

「それは?」

「ズバリ、『結婚』よ!」


 女子達全ての口から「キャーーッ!」と黄色い歓声があがる。


「結婚!」

「結婚!」

「恋夢ちゃんとヒロマルくんを……私達の手で!」


 興奮が高まり、見交わす彼女達の眼が次第にギラギラと血走ってゆく。


「でも私達の年齢で結婚って出来たっけ?」

「二〇二二年以前は女の子は一六歳から結婚出来たけど、今は一八歳からって法律が変わってる。だから二人には一八歳になったら結婚するって約束を取り交わしてもらう!」


 これが私達の目標、そして最終勝利よ! と沙遊璃が高らかに宣言すると、興奮した女子達から「やってやろうじゃないの!」「勝つぞぉ!」「異議なーし!」と雄叫びが上がる。しかし一体何の勝利なんだか。


 「じゃ、作戦を立てましょう」と、冬村蜜架が張り切ってタブレットをテーブルに置く。


「順番としてはええと、まず二人に結婚する意思があるかどうかの確認じゃない?」

「ヒロマルくんが同意するはずないから、そこはガン無視で」

「じゃあ、まずは恋夢ちゃんにだけ説明して同意を取り付ける。ま、ここは問題ないでしょ。涼美ヶ原さん、説得役お願いできるかしら」

「合点承知の助!」


 合意はそのまま作戦内容となってタブレット画面の文書に打ち込まれてゆく。


「次に春瀬戸家と小村崎家へ説明し了承を取り付けなきゃいけない。結婚となるとそれぞれの家に関わる問題となる。でも私らは未成年の高校生、二人の保護者が果たして同意してくれるかどうか」

「ここは一番の難題になるかも知れないわね。まだ社会を知らない未成年がノボせたことなんぞ抜かすなとか言われたりして」

「そうね。私も恋夢ちゃんに同行して説得してみるわ」

「でも、それで首を縦に振らなかったら?」

「クラス女子軍が総出で押しかけて、全員の熱意で押し切るしかない。その時は協力お願いね!」


 おう! と、女子達が唱和する。


「ここまで行けたら外堀は完全に埋まったも同然。最後はヒロマルくんへ罠を仕掛けて『もうオレが恋夢を幸せにするしかない』と腹を括らせる。これでフィニッシュよ!」

「完璧よ、本物河さん!」

「ククク……奴の吠え面かく姿が目に浮かぶわ」


 当事者不在のまま、ノリと熱気で彼女達のテンションはぐんぐん高まってゆく。


「かつてヒロマルくんは学級裁判の席で『モテないのに彼女を作れと迫られたところでもう遅い!』なんて吠えたそうね。でもお生憎様。女の子の一途な想いに背を向けるなんて恋の女神が絶対に許さない。思い知らせてやりましょう!」

「おっしゃァァァB組女子軍団、いっちょアゲていくぜ! ウェーイ!」


 涼美ヶ原瑠璃の煽りに「ウェェェェイ!」とコブシを突き上げた女子達が雄叫びを上げる。


「ところで本物河さん。この企み、ヒロマルくんに知られないように私達の間で作戦名というか、暗号を決めておかない?」

「そうね! じゃあ何かこう、象徴的な名前を……」


 考え込んだ沙遊璃は、しばらくして閃いたらしくポンと手を打った。


「落花流水」

「え?」

「男女が互いに慕い合う相思相愛の例え。落ちた花びらは流れゆく水に添いたい、流水は花びらを戴いて流れたいという意味よ」


 たちまち「素敵!」「賛成!」「ヒロマルくんはともかく、恋夢ちゃんにぴったり!」と賛同の声が上がる。

 名前までついて、企みは熱気の上に格調すら帯びた。彼女達はいよいよ目を輝かせる。恋の為なら無駄に騒ぐことも、踊らされることも厭わない。女の子にとってコイバナへの口出しやお節介ほど楽しいことはないのだ。


「そういえばもうすぐ文化祭あるでしょ。これを利用できない?」

「利用するとなると緑ヶ丘高校生でないと。いっそ恋夢ちゃんを転校させられないかしら?」

「あと、ヒロマルくんの目をどう欺くか……」


 口から唾を飛ばし、楽しそうに互いの意見を戦わせるクラスメイト達を本物河沙遊璃は頼もしげに見やる。恋掛け姫に愛される立派な為人を持ちながら根性の捻じ曲がった厨二病男も、これでいよいよ年貢の納め時だ。

 彼女の頬にはいつしか悪魔のような笑みが浮かんでいた。


「ヒロマルくん、もうすぐよ。もうすぐ貴方に飛び切りの幸せな地獄を味わせてあげるわ。ふふふ……」

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