第21話 ニセ恋夢は風と共に去りぬ

 かくして人馬一体、ひょっとこニセ恋夢が指さした方向へ馬は滑るように走り出した。襲い掛かるフェリス女学院の騎馬列の前を見事に右から左へ横切る。

 追いかけるフェリス騎馬団はもともと統制など取れていない。恋夢を追って左折しようとし、次々と衝突を起こして崩れてゆく。


「ブツかるんじゃないわよ!」

「邪魔! どきなさいよ!」

「ンだとコラァ!」


 あちこちで喧嘩になり、騎馬同士で内輪揉めが始まる。もともと全員が敵同士のバトルロイヤルである。たちまちしっちゃかめっちゃかとなり、掴み合いや殴り合い、蹴り合いがそこかしこで繰り広げられた。


「くそぉ、恋夢は……あのニセ恋夢はどこに失せやがった!」


 乱戦の中で恋夢を見失った騎馬の一人が叫ぶと……


「呼んだか?」


 後ろからニュッと、ひょっとこ面が顔を突き出した。


「ひっ! ぶっひゃああああ!」


 驚きと笑いで奇妙な悲鳴を上げた少女は、たわいもなくハチマキを奪い取られてしまった。


「情けないぞ、フェリス女学院のへなちょこども! 我と思わんものは掛かって参れ、春瀬戸恋夢ここにあり!」

「おのれェェェェ!」


 「仏恥義理ぶっちぎり! 春瀬戸恋夢」の幟旗を地面に突き立て、ニセ恋夢が煽るように名乗りを上げる。


「奴はあそこよ! 逃がすなぁぁぁ!」

「春瀬戸恋夢、よくも私の彼氏をファンにしやがって! 覚悟しろ!」


 目の前で赤布を振られた闘牛よろしく、幟旗に向かってフェリス女学院の騎馬が突進する。たちまち集まった騎馬でぶつかったり弾き飛ばされ合ったり。

 ここでも恋夢を狙う騎馬同士で喧嘩となり潰し合い、生き残りがまばらになった辺りで彼女達はようやく気が付いた。


「あれ? 恋夢の奴は……」


 疲れ切った騎馬の少女達が周囲を見回すと、観客席の傍でのんびりと立っているひょっとこニセ恋夢がいた。何のことはない。幟旗だけ置いて、離れた場所から同士討ちを眺めていたのである。


「く、くそ……」

「汚い真似を……!」


 地団太を踏んだところで開戦時に百騎近くはいたはずの騎馬が今はもう二〇騎足らず。それも同士討ちの潰し合いで皆、ヘロヘロになってしまっていた。

 ひょっとこ恋夢は肩を揺らして「クックックッ、単純な罠にこうもうまく掛かってくれるとはな、つくづく愚かな奴らよ!」と声高に叫んだ。観客席からも笑いが起きる。

 嘲笑され、残った騎馬達は怒りに燃えて襲い掛かった。


「おのれェェェ! 今度こそ奴を討ち取れ!」

「何がなんでも春瀬戸恋夢に地獄を見せるのよー!」


 雄叫びが上がり、疲れきった馬役の少女達が必死に武者を支えて走る。

 一方のひょっとこニセ恋夢は疲れもなく、余裕たっぷりだった。


「さぁて、敵も随分減ったしヘロヘロになってる。ここから血祭りにあげてやるか」

「でもヒロマルくん、あんまり本気で殴ったりしたらダメよ」

「分かってる。恋夢を痛い目に遭わせようとした連中だけど、それでも女の子だからな」

「えらいわヒロマルくん。だから恋夢ちゃんがあんなに好きなのね」

「よせやい、さぁ行くぜ!」


 照れくさそうにひょっとこ面の鼻をこすったニセ恋夢は「うぉぉぉーーっ!」と気勢を上げて、向かってくるフェリス女学院の騎馬軍団に向かって突っ込んでいった。


「うっだらぁぁぁぁ! 死にたくなけりゃハチマキ寄越せーー!」


 思わず怯んだ騎馬女子へ両手を挙げて覆い被さるようにガバッと襲い掛かる。恋夢への妬みでイキリ立っているとはいえ元はお嬢様な少女である。平気でいられる訳などなく「ひぃぃぃぃ!」と悲鳴を上げ、簡単にハチマキを奪い取られてしまった。

 あ然としている別の騎馬へ振り向くと、ひょっとこ恋夢は「お前もだぁぁぁぁ!」と襲い掛かる。動きも妖怪じみていて、まるで変質者である。

 フェリス側の騎馬には逃げようとしてぶつかり合い落馬する者、怯えて他の騎馬の後ろへ隠れようとする者もいた。逃げ出して後ろを振り向けば両手を上げて「ヒャッハァァァ!」と、不気味なひょっとこ面が間近に迫っている。戦おうにも、おかしいやら怖いやらで戦意がちっとも沸いてこない。


「ブッヒャッヒャッヒャッ! 手応えねえぞ、へなちょこ共! そうら、今度は貴様だぁぁ!」

「助けてぇぇぇー!」


 最初は多勢に無勢と思われた騎馬戦だったが、ここに至ってはもはや騎馬同士の戦いではなく、変質者と変質者に追い回されて逃げ惑う哀れな弱者の群れだった。

 最後の一騎はもう戦意すらなく「許して下さい」と言わんばかりに、震える手で自らハチマキを外して差し出した。

 奪い取ったひょっとこニセ恋夢が「勝ったどー!」ハチマキを高々と差し上げると「おおーーっ!」というどよめきと割れんばかりの拍手が起こった。

 珍妙な容姿で、戦い方も同士討ちだの変質者じみた襲撃だのではあったが……フェリス女学院のほとんどの女子を向こうに回して春瀬戸恋夢は見事優勝したのである! ……ニセモノだけど。

 観客達、そして敗れ去ったフェリス女学院の生徒達の目に、風に靡いて翻る「仏恥義理ぶっちぎり! 春瀬戸恋夢」の幟旗がひと際まぶしく映った。


「アイツ、カッコいい……」


 泥で汚れた顔の女子が思わずつぶやいた。


『すごい……凄い凄い! 春瀬戸恋夢選手、ただ一騎でフェリス女学院の騎馬戦を勝ち抜きました! 凄いとしか言いようがありません……』


 実況のアナウンサーが興奮して絶叫する。優勝者はこちらへ、院長先生からの賞状の授与が……と案内されたが、ひょっとこニセ恋夢はどうしたことかそれを無視してアナウンサーの許へ駆け寄って来た。


 「あの……表彰式……」と言いかけたアナウンサーからマイクを奪う。生徒や教師、観客が注目する中、馬から降り朝礼台の上で仁王立ちとなった。

 そして……


『お前達には失望したぞ!』


 お前絶対女の子じゃないだろ! というツッコミなど後回しになりそうな野太い怒号が炸裂し、いきなり全員の度肝を抜く。

 震えあがったフェリス女学院の生徒達に向け、怒涛のような演説が始まった!


『フェリス女学院の尊ぶべき建学の精神をお前達は忘れたか! お前達が院長先生から幾度も諭されていたであろうお言葉「誠実」! 「敬愛」! 「慈悲」!。この騎馬戦で見せたお前達の戦いのどこに誠実があった! 敬愛の心を持っていたか? そして慈悲の心はどこへ消えたァァァ!』


 校長訓話のような説教だが、当の院長先生も轟く怒号に怯えて直立不動になっている。


『そもそもだ! 春瀬戸恋夢の容貌やアイドル人気、恋愛事情を妬み、衆を恃んで暴行を企てるなど醜いにもほどがある! そんな春瀬戸恋夢に心を痛める気持ちがお前たちにはなかったのか! オレをかわいそうだと思う者はいなかったのか!』


 春瀬戸恋夢に心を痛める者はと言っているが、吼えているのがその春瀬戸恋夢本人である。ニセモノだけど。

 オレを可哀想と思わなかったのか! と怒っているおかしさに、観客達の何人かがまた吹き出してしまった。


『貴様らの腐った性根をこの学院の創始者もさぞやお嘆きであろうぞ! 恥じろ、フェリス学院の腐れ外道ども! 悔い改め、正しき精神をいま一度心に刻むべし! 人を敬い、人を愛することこそ学びの礎たるぞ!』


 ノンキなもので「あの春瀬戸恋夢、いいこと言うなぁ」とフェリス女学院の先生方が感心してうなずき合っている。

 一方、敗者であるフェリス女学院の生徒達はいつしか頭を垂れ、ひょっとこニセ恋夢の説教を拝聴していた。


『聞け! この高校三年間は長い人生の中のひとときのうたかたにしか過ぎぬ。無味乾燥な勉学だけで後悔するなかれ! この学び舎は、我等が社会を背負って雄々しく立ち上がる為の修練の場。だが同時に先達を尊び、厚き友情を育み、麗しき愛なるを知る楽園なるぞ! この敗北を尊き糧とし己の研鑽に励むべし! 立てよ、フェリス女学院の麗しき淑女たち!』


 期せずして女子達から「おおーーっ!」と歓声があがり、教師達や観客席からも拍手が沸き上がった。


『いま、この日本社会は重大な危機に直面している!』


 拍手まで受けて調子に乗ったひょっとこ恋夢の演説は絶好調、ついに社会まで語り始めた! 


『非道な社会犯罪の横行、周辺国との軋轢、多大な負債の国家経済、歪んだブラック企業の跳梁跋扈、いずれ社会に出る我等を待ち受ける敵は邪悪にして巨大なり。だが、怯んではならぬ! 淀んだ社会の悪癖を正し、未来への扉を開くは我等の崇高なる使命なのであーる!』


 演説の最中に、「おい、お前ら何者だぁ!」と、グラウンドを突っ切って何人かの警備員が大慌てで駆け寄って来るのが目に入った。

 当然といえば当然な話で、明らかにフェリス女学院の生徒でない不審者が入り込んで体育祭で大暴れしてるのである。偉そうに演説までしてるし。誰かが通報したのだろう。


「ヒロっち、ヤべえ! ズラかるぞ」

「合点承知!」


 三人が再び腕を組み合い、馬を作る。「急いで!」と急かされ、ひらりと飛び乗ったひょっとこニセ恋夢は大急ぎで演説を切り上げた。馬は校門へと一散に走り出す。


『諸君、我が演説はここまでだ! 我が名言を未来への指標にされんことを心より願う。さらばだ! フェリス女学院に栄光あれー!』


 勝利の騎馬は校門へウィニングラン……ではなく、一目散に逃げ出してゆく。

 その後ろを「待て、お前達!」「どこの何者だ!」と警備員が必死に追いかけていった。

 その追いかけっこがおかしくて、生徒も教師も観客も笑い転げた。

 彼等が不審者などと誰も思わなかった。何者かなんてどうでもいい。痛快な戦いと怒涛の演説と……それが何か不思議な爽やかさを皆の心に残していったのである。

 人々は拍手喝采と大歓声で、逃げてゆく一行を見送った。

 一人の女子が目を細めてつぶやいた。


「くっそー、誰か知らんがいいこと言うぜ、ニセ春瀬戸恋夢。最高にイカれてイカした野郎だ……」



☆☆  ☆☆  ☆☆  ☆☆  ☆☆  ☆☆



「春瀬戸さん! こんなところにいたの?」

「先生――!」


 資料室の扉を散々叩き、叫び……恋夢達が通りかかった教師にようやく救出されたのは、閉じ込められてから随分経った後のことだった。

 不安と心細さからようやく解放された四人は我先に教師にしがみついて泣き出した。

 困惑して「一体どうしたの?」と尋ねる教師へ恋夢は、教室から呼び出されてここへ入った瞬間、何者かからイタズラで閉じ込められたことを話した。


「それはそうと先生、騎馬戦はどうなりましたか?」

「終わったわ。じゃあ、あれはやっぱり春瀬戸さんじゃなかったのね……。ぷふっ」


 言われても何も知らない恋夢達は「?」と顔を見合わせるばかり。


「どういうことですか? 一体、何があったんですか?」

「実はね。貴女を騙ったニセモノが騎馬戦に現れたの。そして……」


 唖然とする恋夢達に、その教師は笑いを抑えながら語った。

 バトルロイヤル騎馬戦にひょっとこ面を付けた謎の一騎が参戦し、春瀬戸恋夢の名を騙ったこと。ただ一騎で、怒涛のように攻めかかる他の女子達を翻弄したり変質者のように襲い掛かったりして、ついに優勝したこと。その後、勝手にマイクパフォーマンスを始め、フェリス女学院を戒める大演説で場を爆笑と感動の渦で包んだこと……


「……」


 聞いていて怒り出すか、笑い出すかと思いきや、恋夢の瞳に涙が盛り上がった。堰を切ったようにとめどなくあふれ出る。止まらない。


「レムちゃん、どうしたの?」

「大丈夫?」


 懸命に首を振る。心臓が破裂しそうだった。嬉しさに身体の震えが止まらない。歯を食いしばって爆発しそうな気持ちをこらえた。彼女には何もかもが分かった。

 自分を資料室に閉じ込めたのが誰だったのか。

 自分の名前を騙って参戦したのが誰だったのか。

 馬役になってくれたのが誰なのか。

 何故そんなことをしてくれたのか……


 友達が……愛しい想い人が……


(みんな、恋夢のために……!)


 嬉しい。嬉しくてたまらない。


(ありがとう! ありがとう! ありがとう!)


 小さな胸から炎のように熱い想いがほとばしる。

 突き動かされるままに恋夢は走り出した。泣きながら走る。

 グラウンドにまろび出ると、たくさんの生徒が「春瀬戸さん、ゴメンなさい!」「ニセ恋夢、カッコ良かった!」「最高だったよ!」と口々に話し掛けたが、そのどれもがもう、彼女の目に入らなかった。


「ヒロマルくん! ヒロマルくん!」


 呼びかけても応えはない。恋夢を受難から守るために、その身を投げ打って戦ってくれた想い人と友達は逃げるように去ってしまった後だった。

 転がるように校門へと走り寄る。

 校門から見た道の先にも、もうヒロマル達の姿はなかった。

 それでも叫ばずにいられなかった。笑われたって構わない、恥ずかしくなんてあるものか。

 ただ、彼に聞こえて欲しい。届いて欲しい……


「ヒロマルくん! 好き! 大好き!」


 泣きながら喉も枯れよとばかりに叫ぶ少女を、ただ夕陽が優しく照らしていた……


「好きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

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