第18話 本物河さん、彼氏いました

 昼休み。

 窓からは爽やかな風が入り、温かい日差しも差し込んで来る。

 教室の中では昼寝している生徒も散見され、そこかしこでも談笑の輪が出来ている。

 かつては彼氏彼女がいるモテ軍、非モテ軍が反目しあい、学級裁判だの乱闘だの様々な嵐が吹き荒れたこのクラスにも、自然の恵みは降り注ぎ、平和の到来ともいうべき光景が広がっていた。


 だがそんなほのぼのとした光景の中で、まるでお通夜みたいになっている一角がある。


「……」

「……」

「……」

「……」


 小村崎博丸、冬村蜜架、涼美ヶ原瑠璃、本物河沙遊璃の四人だった。

 彼等は押し黙ったまま、ため息をつきあっている。一人がつけばもう一人。間を置いて二人同時とか、まるでため息のパフォーマンスイベントみたいな様相だった。平和も陽気もここにはまったく届いていないようである。

 まずヒロマル。

 連日の「恋夢ちゃんの気持ちに応えていい加減にちゃんと恋人同士になれ」という追い込み攻撃に身も心もヘロヘロである。加えて恋夢からもバーチャル彼女を浮気扱いで潰され、アイドル復活の新曲で「私だけ見て」と詰められ……ここまで来ると、さすがにため息のひとつぐらいはつきたくなるであろう。可憐な恋懸け少女に慕われて幸せなはずの男がこの世の終わりみたいな表情を浮かべている。

 次に冬村蜜架。

 乱闘騒ぎやら学級裁判やら一連の大騒ぎに加え、先日の本物河沙遊璃バーサーカー事件でとうとう担任のめぐ姉共々職員室に呼び出され、「クラス委員長として風紀をしっかり締めなさい!」と叱責されてしまったのだった。ふて腐れてクラス委員なんか辞めてやると言ったらめぐ姉からどうか堪えてと泣きつかれ、溜まった鬱憤のやり場がない。どうしようもこうしようもなかった。

 続いて涼美ヶ原瑠璃。

 彼女はここのところ恋夢の恋の橋渡しやらヒロマルを詰めるやらで肝心の勉強が疎かになってしまったツケがたたり、先日の模擬試験ではとうとう赤点になってしまった。そのせいで追試で合コンに行けなくなるわ、怒り狂った親から小遣い減額が言い渡されるわで色々とこちらも踏んだり蹴ったり。

 最後に本物河沙遊璃。

 彼女については言うまでもない。一週間の停学を終えて復学したものの、蜜架やヒロマル達を除いて誰も話しかけてすらこない。目が合った瞬間、悲鳴を上げて逃げ出した女子もいる始末だった。

 停学中に行われていた「ミス緑ヶ丘」投票ではその美貌でブッチギリの一位だったが、彼女を恐れるあまり、讃美のコメントもなく、恒例のインタビューすら来ない有様。ちなみに沙遊璃が殺害予告した件の女子はすっかり怯え切り、あれ以来彼女の視界に絶対入らないようにしているとのことだった。

 そんな訳で、ヒロマルの弁当を持ってやって来た恋夢も彼らにどう接すればいいのか困り果てている。このままだと自分の想い人ともども全員がダークサイドに堕ちそうに思えた。

 だが、そんな彼らの淀んだ空気を払拭させる切っ掛けになったのは、意外にも恋夢が持参したデザートのケーキだった。


「あの……ケ、ケーキ作ってきたんです! みんなで食べましょう!」


 恋夢が持参した紙箱を開けると「祝 出所おめでとう!」とホワイトクリームで書かれたチョコレート風味の小さなホールケーキが顔を出して、覗き込んだ四人を困惑させた。


「祝?」

「出所?」

「おめでとう?」


 顔を見合わせた四人が「ナニコレ?」という目で恋夢を見る。恋夢は困ったように答えた。


「だってホラ……本物河さん、停学が終わって出所されたからそのお祝いにと思って……」

「春瀬戸さん、私が刑務所で一週間服役してたとでも思ってたの? 自宅謹慎してただけなんだけど……」

「え、ええっ?」


 どうやら彼女はトンでもない勘違いをしていたらしい。

 あわあわする恋夢がおかしくて、思わず四人は笑い出した。

 かくしてホールケーキにナイフを入れて五等分し、紙コップに紅茶を入れると、せっかくだからと彼等は乾杯し本物河沙遊璃の復学をささやかに祝ったのだった。


「でもあのとき本物河さんが怒ったの、恋夢は当然だと思います」


 ケーキをつつくうちに恋夢はあの日のことを思い出したらしく、ちょっと怒り始めた。


「もういいわよ。停学も終わったことだし」

「でも恋夢だってパパとママをバカにされたら……殺してやりたいくらい許せない……」

「恋夢ちゃん、そこまで怒らなくたって……」


 冬村蜜架が思わず口をはさんだが、ヒロマルは静かにうなずいた。


「そうだよな。みんな、親がいて当たり前って思ってるからあんなこと平気で言えるんだ。恋夢なら、なおさら頭に血が上がるだろうよ」

「ヒロマルくん……」


 恋夢が目を潤ませると、ヒロマルはその頭をそっと撫でてやった。蜜架は、黙りこんでそれ以上触れなかった。思い当たることがあったのだ。


(オレなんかじゃダメなんだ。アイツはもっと幸せにならなきゃいけないんだ……)

(……そうか。恋夢の弁当を会社で自慢するのか。いいお父さんだな)


 ヒロマルと恋夢の間にある「何か」、それは恐らく恋夢の両親に関わることなのだと彼女には察せられた。親を侮辱されて怒り狂った沙遊璃にも、人一倍親を大切にしている理由があるのだろう。

 蜜架は涼美ヶ原瑠璃と目を合わせ、頷き合った。人の悲しい傷口には触れないほうがいい。それよりずっと小さな自分達の悩みをもっともらしく言い立てて、笑い話で流してしまおう。


「まー許せないって言ったら、わたしゃあの教頭の方がもっと許せないわよ」


 いかにも愚痴めいた口調で蜜架は言い出した。


「私がクラスの平和や恋夢ちゃんの為にどれだけ骨折ったかも知らないで偉そうに説教しやがってあのハゲッ! 次呼び出されたらあの頭に『老害』ってマジックで落書きしてやる」

「まぁまぁ、そこは堪えてやるし……」

「ふ、冬村さん、デコレーションの板チョコあげますから……」


 自分を慰める為にオロオロしながら乗せられた板チョコのデコレーション文字「出所」を見て、蜜架は吹き出しそうになった。

 それを見ている本物河沙遊璃と目が合い、互いに思わず笑いがこぼれる。

 恋夢も沙遊璃もいい娘だな、と彼女は思った。きっと悲しいものを心に持っているから怒りが人一倍激しく、優しさも心に沁みるのかもしれない。ヒロマルも早くこの子とくっついてあげればいいのに……蜜架はもう一度、ため息をついた。


「まぁ、ため息をついても問題は解決しねえし。ここは全員の問題を互いに協力して何とかしねえし?」


 珍しくもここで涼美ヶ原瑠璃が建設的なことを言い出し、全員がなるほどとうなずいた。早速、話し合いが始まる。やがて……

 まず冬村蜜架の一件、教頭先生のクレームは、ホームルームの議題として挙げ、クラスの揉め事を各自自省するよう促すこととなった。涼美ヶ原瑠璃の追試は三人が協力して勉強を教え、良い点数を取ることで両親へ小遣い減額を撤回させることになった。本物河沙遊璃の件は彼女の歓迎会をクラスで設け、彼女の口から誤解を解かせて宥和を図ることに。

 だが、最後のヒロマルの「オレの悩みは……」に対しては「放置!」で三人とも意見が一致し終わってしまった。


「ど、どうして……」

「決まってるじゃない、私たち恋夢ちゃんの味方だもの。本物河さんもよね?」

「ええ」

「あの……」


 恋夢が沙遊璃の手を取って「味方なんですよね、実は……お願いがあるんです」と言い出した。


「はい、何ですか?」

「本物河さんはヒロマルくんと中学時代からの友達で凄く仲良さそうで……」

「まぁ、仲はいい方ね。それで……?」


 顔を真っ赤にして俯くと、恋夢は蚊の鳴くような声でこう言ったのだった。


「取らないで……恋夢のヒロマルくん、取らないで……」


……高校生の恋愛なんて遊び感覚で付き合うぐらいだっていいのに、この少女は疑心暗鬼で苦しむほどあの少年を想い慕っているのか……


 一週間前は鬼の形相で人ひとり本気で殺しかけたとは思えない優しい表情を浮かべると、本物河沙遊璃は恋夢の頭にそっと手を置いた。


「安心なさい。私とヒロマルくんはお互い友達付き合いだったし、それはお互い恋愛感情がなかったから。それはこれからも変わらないわ」

「本当……?」

「漫画やラノベじゃNTRなんて下劣なものが流行してるけど、私、友達の想い人を奪うような人間のクズじゃありません。はい、みんなの前でこの通り誓います」

「ありがとうございます! 恋夢、本物河さんと友達になりたかったけど、もしかしたらって怖くて……」

「大丈夫、春瀬戸さんとヒロマルくんを見てたらそんな気、絶対起きないから」


 それに私、彼氏いるし……と沙遊璃が肩をすくめたので、そこで四人は「はぁぁぁ?」となった。


「本物河さん、彼氏いたのぉぉぉぉぉ!?」

「な、なによ失礼ね! わざわざ嫌味ったらしく自分から『私、彼氏いるのよフフン』なんて自慢したりしないでしょ、普通」

「そ、そりゃそうだけど……」


 冬村蜜架と涼美ヶ原瑠璃はホッとして笑い出し、ヒロマルは「オ、オレも知らなかった」と肩を落とした。


「いいなぁ……」

「いいなぁって、なんで羨ましがるんですか! ヒロマルくん、やっぱり本物河さんのことちょっと気になってたんでしょ!」

「ち、違うって……」


 んもー! と涙目でプンスカする恋夢に苦笑しながら沙遊璃は手を取り「これからはここの皆を下の名前で呼ばせてもらうわね、とりあえずハイ、恋夢ちゃん」と宣言した。


「じゃあ本物か……沙遊璃ちゃん、良かったら彼氏さんの写メ見せてくれませんか?」

「いいわよ、はい」


 沙遊璃の差し出したスマホを見て三人は「うわ、メッチャイケメン!」「こりゃ沙遊りん、ヒロマルなんか眼中にねー訳だし」「ヒ、ヒロマルくんは恋夢には世界一カッコいいです!」「はいはい、ご馳走様」と、ワイワイキャアキャア騒ぎ出した。

 ヒロマルといえば「……」、一人だけポツンと弾き出されている。


 そんなこんなで、お通夜みたいな空気もようやく払拭され、互いの悩みにも解決の希望が見つかった。またもや恋敵出現かという恋夢の懸念もなくなり、ヒロマルと恋夢の関係を詰める一件だけ除いて今度こそ平和が訪れたかに思われた。


 しかし……

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