第14話 学級裁判の死刑判決をひっくり返す天使
「学級裁判第三審を開廷いたします」
木槌で教卓をコンコンと叩き、裁判長の冬村蜜架が厳かに宣言する。
いつもは陽気なクラスメイト達が今日は厳しい顔の陪審員、裁判官、検察官としてズラリと並んでいる。傍聴席には「自業自得だ」と、ため息をつく親友のユウジ。
被告席のヒロマルはもう自己弁護する気力もなく、うなだれている。裁判の参加者に、かつてのようにヒロマルへ同情している顔はひとつもない。
担任のめぐ姉だけがしきりに「お願いだから乱闘とかケンカしないでね、それだけはしないでね……」と、お願いして回っている。まともに取り合ってくれる生徒は一人もいなかったが。
「では、まず口頭弁論を」
裁判長の声に呼応して立ち上がった検察官役は、例によって砂原優理だった。
「被告、小村崎博丸くんには彼女がいます。かつて恋愛格差を叫んだ彼へ、救済の為にと我々B組一同が駆けずり回って引き合わせた春瀬戸恋夢ちゃんです。幼馴染で、人気アイドルになったのも彼を見つけたい一心だったという健気な経歴の持ち主です。綺麗な外見だけじゃない、一途に彼を想い、彼を信じた恋夢ちゃんは誰もが羨むほどの素敵な女の子です。被告人はこの事実を認めますか?」
ヒロマルはうなだれたまま、黙ってうなずいた。
「二人は結ばれるべくして出逢ったのです。B組は総力を挙げて恋夢ちゃんとヒロマルくんの恋仲を応援しました。しかるに! 被告人はスマホアプリのバーチャル彼女なるものにうつつを抜かし、恋夢ちゃんと二股を掛けるというトンでもない裏切りを犯しました! これにより先日、そのバーチャル彼女と恋夢ちゃんとの間に第一次修羅場大戦争が勃発。悔しいかな、我らが恋夢ちゃんは敗北を喫しました。その敗因はヒロマルくんがベラベラ愚痴ってバーチャル彼女に余計な知恵を付けたからに他なりません!」
「ま、待てよ。それはいくらなんだって酷い! オレはそんなつもりじゃ……」
弱々しく抗議したヒロマルの声は、たちまち「もとはと云えばてめぇの浮気が原因だろうが!」「恋夢ちゃんを裏切ってサイッテー!」「女の敵!」というたくさんの怒号にかき消されてしまう。
ヒロマルはもう何も言えなかった。口を噤み、罵声に耐えるしかない。
恋夢が「待ってて下さい」と言って去った日から約束の一週間が経っていた。
当初は「ヒロマルくんは悪くない!」と叫んだ恋夢の言葉に共感して、彼を非難する者はいなかった。
だが、その恋夢の姿がB組から消えたことでクラスの中に寂寥感が広がっていった。
それまで毎日のように「ヒロマルくん!」と、いっぱいの笑顔で教室へ現れる恋夢は、ヒロマルだけではなく、実はB組全てのクラスメイト達に一種の癒しと幸せをもたらしていたのである。
ヒロマルが笑うとまるでそれが自分の幸せのように恋夢も微笑み、二人の周囲にいた彼等もまた微笑みを誘われた。恋夢が涙ぐんだり俯いたりすると、彼等も心を痛め「ヒロマル、しゃんとしろ!」と心の中で叱りつけていた。
その恋夢がいなくなったのだ。
三日が経ち、四日、五日……と過ぎてゆく頃からヒロマルに対する視線は冷たく厳しいものへと変わってゆく。クラスの中に、いわゆる「恋夢ちゃんロス」とでも言うべき現象が起きていたのである。当然、その原因ともいうべきヒロマルへの憤懣が次第に蓄積されてゆく。
誰もが思った。そもそもコイツがスマホアプリのバーチャル彼女なんてものに頼らず、恋夢の一途な想いを受け入れてさえいれば、こんなことにはならなかったのだ。
それを言うならあの可憐な美少女が「恋人になりたい」と健気に乞うているのにそれを「お試しでお付き合い」などというふざけた形で誤魔化しているのにも腹が立つ。
そして約束の一週間が経ったが……ついに恋夢は姿を現さなかった。
ここに来て「ヒロマル、てめぇどうしてくれんだ!」という鬱憤が遂に爆発、学級裁判第三審が開廷するに至ったのある。
恋夢ちゃんは愛想を尽かして去ってしまったに違いない、とクラスの大半が考え、被告席へ引きずり出されたヒロマルに対する怒りはいや増した。
「トホホ、結局こんなことになっちまうのか……」
ため息をつくヒロマルだったが、今さらどうしようもない。
もはや大人しく一方的な罪状の朗読を聞き、従容として判決を受け入れる以外になかった。
事実確認、罪状の認否、と裁判は粛々と進む。彼を弁護する者は誰もいない。
「では、陪審員からの意見もまとまりましたので、ヒロマルくんの浮気に関する非難決議の採択、続いて判決を申し渡します!」
人間サンドバッグもやむなし、と覚悟を決めたヒロマルが目を瞑り、ゴクリとのどを鳴らした……そのときだった。
「ヒロマルくん!」
ガラリと教室の引き戸が空き、薄暗く演出された法廷に一条の光が差し込む。
陰鬱な裁判に似つかわしくない、可憐な笑顔がひょっこりと覗いた。それは……
「恋夢……?」
「一週間振りですね、お待たせしました! ……って皆さん、これ一体何やってるんですか?」
ヒロマルにはまさしく死刑判決から自分を救う救世主の出現だった。大粒の涙を浮かべ、彼は「恋夢ぅぅ--!」と絶叫して走り出す。
恋焦がれている想い人がこれほど自分を渇望している様子を目の当たりにして、恋夢が感激しないはずがない。
「ヒロマルくん!」
「恋夢--!」
走り寄った二人はそのままヒシと抱き合った。感動の再会再び! という光景に教室中がオオー! とどよめき、よく分からないまま拍手が起きた。
「ああ……ヒロマルくんに抱きしめられて恋夢、幸せで死んじゃいそうです!」
「死ぬな恋夢、イキロ……。つーかオレが死ぬとこだったよぉぉ……」
「い、一体どうしたんですか!」
「どうしたもこうしたもねぇよ。浮気だのと学級裁判に掛けられて、これから死刑になるところだったんだよぅ。お前が来てくれなかったら……」
安心したせいか膝がくず折れたヒロマルはそのまま恋夢の華奢な身体に縋りついておいおいと泣き出した。
「ええっ? 裁判なんてどうして……ヒロマルくん悪くないのに!」
キッとなって振り返った恋夢が「誰ですか! 私のヒロマルくんを裁判で吊るし上げようとした下手人は。前に出なさい!」と怒鳴る。
(ひぃぃぃーー、怒りの矛先こっちに来たぁぁー!)
クラスメイト達は先の修羅場で鬼となった恋夢を既に知っている。皆、震え上がった。
「だ、誰だよ、ヒロマルをこんな裁判に掛けようなんて言い出した奴は……」
「そ、そうだ! オレ達はソイツに騙されてしぶしぶ……」
とっさに誰かが言い出し、誰もがそれに次々と便乗した。
クラス総出の手のひら返し! 「誰かが黒幕だった」というアドリブで三文芝居が始まる。睨み付ける恋夢の背後でヒロマルはザマァみろと云わんばかり。傍目にも腹立たしいほどの小物っぷりである。
もちろん、学級裁判はクラスメイト達全員の共謀なのだが誰もが誰かに責任転嫁しようと右往左往、互いに視線を向けあう。
では、犠牲となる「黒幕」を誰にするか……皆の視線は犯人に仕立てやすい者へと絞られてゆく。ヒロマルに近しく、如何にも彼を売り渡しそうな軽佻浮薄の男。
やがて、皆の視線は一人へと集中した。それは……
「菅田くん……」
「オ、オレェェェ!?」
ち、違うオレじゃない! とユウジは喚きたてるが、騒げば騒ぐほど犯人が言い逃れしているようにしか見えなくなる。
「ち、ちがう! みんな共犯だろ! 第一、オレはヒロマルを売ったりなんか……」
言いかけたユウジは自ら墓穴を掘ってしまったことに気がついた。そういやオレ、確か今までに二回もヒロマルを売り渡してたっけ……
「……」
笑顔と共に恋夢がユウジの前にスッと近寄った。
「ヒロマルくんがお世話になりました。明日、ちょっとお話があります」
「いや、恋夢ちゃん、あのさ……」
次の瞬間、その華奢な腕にこれほどの力がという勢いでユウジの襟首を引っ掴んだ恋夢は、殺気を漲らせた瞳で彼の目を覗き込み「分かってますよね? 逃げたらもっと恐ろしい目に遭わせますから……!」と、凄んだ。
哀れ、ユウジはそのまま白目を剥き、立ったまま卒倒してしまった。
クラス全員が心の中で合掌する。ユウジ、お前の尊い犠牲は忘れないぞ……
裁判長の冬村蜜架は「ええと、じゃあこの裁判は誤審ということで閉廷しましょうかね」と苦笑した。
「ええと裁判長、よろしいですか?」
「な、なに……恋夢ちゃん」
もしかして「貴女も共犯なんでしょ」と言われるのかと、顔面蒼白になった蜜架へ近づいた恋夢は、耳に口を寄せるとしばらくの間、こしょこしょとささやいた。
「え……ええっ!? それって……」
「うふっ」
驚いた顔で恋夢を見た蜜架は、何とも言えない表情で唖然とすると、ふいにへたり込んだ。
「恋夢ちゃん……お見それしましたわ。そりゃ二次元も相手にならないでしょうよ。はい、貴女の勝ちです、圧勝です……」
「裁判長、あの……一体……」
話が見えず、キョトンとしているヒロマル達に「おっと……」と気がついた蜜架はコホンとひとつ咳をすると白目を剥いて突っ立っているユウジを指さした。
「原告は先ほど訴えを取り下げたので、裁判はこれにて結審といたします。みんな、話があるからちょっと残っててね」
ニヤニヤしている恋夢に向かって苦笑した蜜架は、肩をすくめた。
「被告人、小村崎博丸くんは無罪放免です。身元引受人と一緒にそのまま退廷して下さい」
「え、あの……助かったのは嬉しいけど一体全体、何が何だか……」
「いいから恋夢ちゃんと放課後デートに行ってらっしゃい。なんでもヒロマルくん成分が欠乏して恋夢ちゃん飢え切ってるそうだから、一週間分たっぷりイチャイチャさせておあげなさい」
「は……え……?」
「ヒロマルくん、行きましょう! さっきみたいにむぎゅうして下さい!」
さっきの抱擁が堪らなかったのだろう、恋夢はヒロマルに身体を摺り寄せると、そのまま腕にしがみつき、颯爽と外へ連れ出していった。
「……」
ポカンとなって見送ったクラスメイト達が、「裁判長、一体どうなってるんですか……」「ミッカ、一体何があったのさ」と、口々に詰め寄る。
蜜架は、参りましたというような表情で両手を挙げた。
「はい、今から皆さんにお話しします! いやはや、こんな学級裁判がみみっちぃくらい、恋夢ちゃんのやることの方がスケールでかかったわ」
ため息をつくと、彼女は何だか疲れたような声で独り言をつぶやいた。
「ヒロマルくん、どんな過去があったか知らないけどもう諦めな。アンタにゃもう、恋夢ちゃん以外の選択肢はないよ……」
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