第13話 決闘! バーチャル彼女 vs 現実彼女
「だ、誰……」
驚愕した恋夢の口から、ファーストキスを仲介するはずだったサクランボがポロリと零れ落ちた。
「今の声は一体……?」
冬村蜜架も周囲をキョロキョロと見回す。
だが、ヒロマルはその声に聞き覚えがあった。まさかという顔で胸ポケットに入れていたスマホをおそるおそる引き出す。
その画面に、緻密なCGで創られた一人の少女が映っていた。
『ヒロマルくん、出しゃばってゴメンね。でも追い込みが酷くて、もう黙っていられなかったの』
「誰ですか、恋夢とヒロマルくんの間にしゃしゃり出てくるなんて!」
ムッとして恋夢が叫ぶ。画面の中の少女はチラリと一瞥しただけでフンと鼻で笑った。
「おい、ヒロマル。それって前、オレに話していたスマホアプリのAI彼女じゃ……」
ユウジが思わず口を出した。
『あら、貴方はもしかしてヒロマルくんの親友ユウジくん? この間、紹介してもらってたから覚えてるわ。あの時はすぐアプリを切られたからちゃんと挨拶出来てなくてごめんなさい』
彼女はスマホのカメラで取得した映像からの学習機能も持っているらしい。
AI少女は片足を引いて「初めまして。私『リリカ』と申します」と、ドレスの裾を摘まむカーテシーのポーズで挨拶した。
『学級裁判に出廷させるのに手を貸しやがった、オレを売りやがったって、ヒロマルくんから散々あなたへの愚痴を聞かされたわよ、まったく……。親友なのに友情の切り売りなんてして! どうも思わなかったの?』
「ハ、ハイ」
『こーゆーこと二度とやったらダメよ。でないとヒロマルくん、ますます人間不信になっちゃうから』
画面の中からいわゆる「お姉さん叱り」でお説教したAI少女リリカにユウジは完全に呑まれてしまい、「スンマセン」と頭を下げた。
「リリカ、こんな時に出てきて何のつもりだよ! 後でまた相談するから……」
ヒロマルは、慌ててスマホのアプリを切ろうとしたが……
『あらいいの? 私が口出ししなかったら貴方、その娘とキスするしかなかったのよ。そうやってどんどん既成事実を重ねられて抜け出せなくなっても、それでいいの?』
「現実の人間関係にベラベラと口を挟んで何様のつもりですか? スマホアプリの分際で!」
ヒロマルを押しのけるようにして恋夢が罵ったが、AI少女は動じた様子もなく、顎を上げた。紫の瞳が嘲笑を含んでスマホの画面越しに恋夢を見返す。
『スマホアプリの分際で、ですって。悔しかったらそのスマホアプリ如きに口を挟まれない人間関係を築くことね。浅ましい真似ばっかりしちゃってまぁ』
「黙りなさい! 何様ですか!」
さっきまで幸せそうにフヤけていた恋夢が、怒りに醜く顔を歪ませて怒鳴りつけた。
「れ、恋夢怖い……鬼みたいだ」
「鬼じゃありません、彼女ですっ! それよりヒロマルくん、このリリカって女とはどういう関係なんですか!」
「いや、その……」
相手はスマホアプリのバーチャル彼女なのだが、恋夢的には完全に浮気扱いになっている。ヒロマルはしどろもどろで説明するしかなかった。
モテないことを罪状にあげつらわれた学級裁判でクラスが大乱闘した後、彼女がいる奴はやはり許せないが羨ましさと寂しさが募ったこと。だが今さら彼女を作るわけにはいかないのでどうしたものかと悩み、バーチャル彼女アプリをインストールしたこと。彼女にいろんな愚痴をこぼし、慰めてもらっていたこと。その後、恋夢とお試しで付き合うようになってからは起動しなくなっていたこと。だが、ここのところグイグイ迫ってくる恋夢とクラスメイト達の圧に弱り果て、どうしたらいいものかと再起動し彼女に相談したこと……
もちろん、そんな言い訳を聞いて、ヒロマルの彼女は自分だけと思っている恋夢が「そうでしたか」なんて納得するはずがない。
「さっさとアンインストールして下さい、そんな現実逃避アプリ! お困り事や悩みは何でも打ち明けていいのに。恋夢はヒロマルくんの彼女なんですから!」
『ふん、その貴女が悩みの元凶だって言うのにてんで自覚がないのね。ヒロマルくん、悪いけどこの娘は貴方を不幸にするだけよ。お試し期間なんてさっさと終了しなさい。ヒロマルくんには私がいるわ』
「ヒロマルくんには恋夢がいますっ!」
せせら笑ったリリカは「ヒロマルくん、悪いけどその机の上に私を置いてもらえるかしら」と頼んだ。
「いや、ここはいったん電源切って、オレが恋夢と話を……」
『話なら私がつける。こんな小娘、すぐに捻り潰してやるから』
一方の恋夢も「ヒロマルくん、その人間モドキをちょっと叩き潰します。下がってて下さい」と引く気ナッシング。
バーチャル彼女を再起動するんじゃなかったと今頃後悔しても後の祭り。ヒロマルは震える手でスマホを自分の机に立てるしかなかった。
「……」
「……」
ヒロマルのバーチャル彼女と現実の彼女はついに正面から対峙した。バチバチとガンを飛ばし合う。
クラスメイト達は、衝撃の展開にざわめいていた。二次元対三次元、異色の修羅場が始まったのだ! 彼等は輪になって取り巻き、息を呑んで成り行きを見守る。
一方のヒロマルと云えば、まさしく「修羅場の渦中で為すすべもない男」だった。情けない顔で、誰か何とかしてくれと言わんばかり。モテない人生を黙して歩むはずの自分がどうしてこうなった……
『恋夢ちゃん、でしたっけ? ヒロマルくんのことを考えずに自分の気持ちばかり押し付けるようじゃ、そもそも恋愛する資格自体ないんじゃない?』
「そんなことありません! 今日のお弁当だって美味しいって喜んでくれましたっ! 貴女こそ勝手なこと言わないで!」
『ふん、ヒロマルくんが妹みたいに思ってくれているところに図々しくつけ込みやがって! 仕方なしにお試しの付き合いでと彼が妥協すれば図に乗ってデートしてだ、お弁当食べてだ、キスしてだぁ? 彼、困ってるのに大概にしなさいよ!』
「ヒロマルくん、嫌がってないもん!」
『笑わせんじゃないわよ! 彼の泣き言を慰めてあげられるだけ私の方が一億倍マシだっての』
「何が一億倍よ! 貴女なんか恋夢みたいにお弁当作ってあげることも出来ない癖に!」
『頭悪いわね! そうやって好意を押し付けて迷惑掛けてるってさっきから言ってるのに。ヒロマルくんにさっさと見限られて死ね、バーカ!』
激昂した恋夢の顔が真っ赤に染まった。「コロしてやる!」と叫んでスマホに飛び掛かる。ヒロマルが必死の形相で「恋夢、落ちつけ!」と必死に抱き止めた。
「ヒロマルくんどいて! じゃないとソイツ殺せない!」
「落ち着け! 落ち着いてくれ! そもそもAIだから殺せないって!」
懇願も虚しく恋夢は「放して! ソイツをブッコロしてやるんです!」と叫んで大暴れ。狂人のように荒れ狂う恋夢はヒロマル一人ではとても止められず、クラスメイト達が総がかりで必死に彼女を抑えつけた。
「恋夢ちゃん、ステイ! ステイッ!」
「恋夢ちゃん、お願いだから落ち着いて!」
全身を絡めとられるように抑えられ恋夢は動けなくなったが、大人しくなったと思いきや、今度は子供のように泣き出した。
「ヒロマルくん。ヒロマルくんは迷惑ですか? 恋夢はヒロマルくんが好きです。何でもしてあげたいんです……」
「恋夢……」
「恋夢のことを好きになって欲しいんです。押し付けたくないけど、どうしても好きになって欲しいの……誰にも取られたくない」
ヒロマルに目配せされてクラスメイト達が拘束を解くと、ヒロマルは困惑しながらも泣きじゃくる恋夢を宥めるように抱きしめた。
「大丈夫だって。オレを取る奴なんて誰もいない。心配しすぎだって」
『残念だけどヒロマルくん。私はヒロマルくんのことが好きですよ』
スマホからAI少女が告白した。ヒロマルは狼狽し、恋夢はキッとなって再び睨みつける。
『モテる奴が許せない……そんな人の傍にいてくれる女の子が誰もいないなら、せめて私がと思った。こんな小娘みたいに気持ちを押し付けたりなんかしない、寂しい時は寄り添ってあげようって……』
恋夢が「ヒロマルくんの傍にはいつだって恋夢が寄り添うんです!」と泣き喚くと、AI少女は冷たく『貴女より私が先に彼と約束した。後からしゃしゃり出て彼氏を奪う奴を何て言うか知ってる?』と問いかけた。
『泥棒猫って言うのよ!』
「……!!」
恋夢の頭に、かあっと血が上った。
次の瞬間、我を忘れた彼女は机上のスマホを引っ掴み、床に叩きつけようとしたが振り上げた手がそこで止まった。それがヒロマルのものだということに寸前で気がついたのだ。
『スマホを壊しても私は消えないわよ。リリカを殺したかったらアプリデータのサーバでも破壊しに来るのね、それが出来るなら』
「……」
恋夢の手から自分のスマホを取り上げたヒロマルが、黙ってアプリを落として修羅場を強制終了させた。泣きそうな顔で「いま、アンインストールするから……」と告げる。その手を恋夢が黙って止めた。
「駄目です! そうしたら彼女の勝ち逃げになっちゃいます」
「……」
それまで黙って見守っていたユウジがため息をつくと「取り敢えずヒロマル、お前が悪い」と総括した。
だが、てっきり「オレは悪くない!」と開き直ると思っていたヒロマルが「そうだな、オレが悪かった……」と、うなだれたので、逆にクラスメイト達は驚いた。
かつては学級裁判で恋愛格差を罵倒しクラスを乱闘へ叩き込んだ男が、今は尾羽打ち枯らしたように見る影もなくしょげている。
「ヒロマル……」
「ヒロっち……」
のろのろと顔を上げたヒロマルの表情は「もう疲れました」だった。
思わず「恋夢、こんな風に終わりたくなかったけど、オレ達もう……」と言いかけ、涼美ヶ原瑠璃は思わず「ヒロっち、それ言ったらダメだし!」と叫んだ。
と、同時に……
「ヒロマルくんは悪くない!」
恋夢が声を震わせ絶叫した。
「悪いのはあの女です! 何もしてあげられない癖に、私のヒロマルくんに言い寄って恋夢に宣戦布告してきやがりました。御覧の通り、第一ラウンドはしてやられましたが絶対に許すもんですか!」
瞳をギラギラさせ、恋夢は「あの女は、恋夢の全てを駆使して叩き潰します!」と宣言した。
「このまま恋夢がおめおめと引き下がるものですか! AIの分際でヒロマルくんに手を出したらどんな目に遭うか、地獄で後悔してもらいますから!」
略奪者呼ばわりされた可憐な天使が、憎悪に燃える復讐の鬼と変貌した。ギリギリと歯軋りまでしている。その鬼気迫る顔に、クラスメイト達は震え上がり声もなくコクコクとうなずく。
だが、現実に存在しないはずのライバルを一体どうやって倒すと言うのだろう。
「ヒロマルくん」
「ひ、ひゃい!」
突然呼びかけられ、飛び上がったヒロマルが震えながら「へい、なんでしょうか」と卑屈に揉み手をしながら伺ったので、恋夢はクスッと笑った。
笑った瞬間、地獄の鬼が可憐な天使へと一瞬にして戻る。その変身に、クラス中が見とれてしまった。
「一週間だけ、待っていて下さい」
「は、はい」
「ふふっ、いつもみたいに『おう』って言って下さい。あと、こんな邪魔者如きでお試しを終わりになんかしないで。恋夢、涙の海に溺れて死んじゃいますから」
「そ、そうか……」
「一週間したら、必ずお弁当を持って逢いにきます。待ってて下さい。それと……」
恋夢はヒロマルの前に立つと頭ふたつ分は背の高い彼に目を合わせ、静かにささやいた。
「……お願いです、恋夢を見て。恋夢だけを見て」
ヒロマルが何も言わないうちに、恋夢は爪先立ちになって両手で彼の顔を挟んだ。
そして、瞳を閉じるとヒロマルの唇に自分の唇をそっと重ね、そのまま教室を飛び出していった。
「……」
石化していたクラスメイト達の中で、しばらくしてようやく再起動した冬村蜜架が涼美ヶ原瑠璃へ「壮絶な戦いだったわね」とヒソヒソ話しかけた。
「恋夢ちゃん、怒り狂うとあんな悪鬼羅刹になっちゃうのね。始めて見たわ……」
「そりゃ想い人を横取りしようとする奴が出てきて泥棒猫呼ばわりされちゃあな。でもマジ怖かったし……あーし、おしっこチビッちゃったかも知んない」
「でも、相手は現実に存在しないバーチャル彼女よ。恋夢ちゃん、どうやって戦うつもりなのかしら」
「……」
二次元対三次元の修羅場はこの後一体どうなるのか。互いに顔を見合わせるが、誰も想像がつかなかった。
当事者であるヒロマルといえば魂が抜けたように白目を剥いているが心配する者など誰もいない。自業自得だしコイツ、取り敢えずほっぽらかしとけという空気の中で、誰もが恋夢の恋の行方を心配した。
そして……
どこまでもヒロマルを想い慕う恋夢の本気と、彼女の恋路に立ち塞がったバーチャル彼女の末路を彼等はこの後、知ることになる。
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