第8話 ヒロマルの妥協 まずは試しでお付き合い!

「ヒロマル、お前は何を言っているんだ。これはドッキリなんかじゃねえぞ。恋夢ちゃんはこれからお前の彼女で……」

「おいおい、お前こそ何を言っているんだ。妹が恋人だなんて道義的にあっちゃイカンだろ」


 ヒロマルは変な冗談だとでも言うように笑ったが、クラスメイト達は「ええ……」と困惑した顔を互いに見合わせる。冬村蜜架は頭を抱え、涼美ヶ原瑠璃は「なんでそうなるのぉぉぉ!」と地団太を踏んでいる。

 恋夢といえば真っ青な顔をしていた。


「ヒロマルくん。恋夢は……妹じゃありませんよ」

「そ、そうだけどオレは生き別れていた妹みたいにずっと思ってて……」


 ヒロマルは気落ちしたように「でもそうだよな……こんな年齢になって妹扱いなんかされたらキモいよな」と、困ったように頭を掻いた。

 そんなことじゃないのに……唇を噛んだ恋夢はヒロマルをキッと睨む。


「嫌じゃありません。妹のように思われるのは嬉しいけど、それじゃダメなんです。恋夢はヒロマルくんの妹じゃなくて彼女になりたいんです!」

「はぇ?」

「恋夢を……ヒロマルくんのコイビトにして下さい!」


 ヒロマルには思いもよらぬ告白だった。思考停止したように硬直してしまった彼の周囲で「恋夢ちゃん告ったー!」「キタァァァー!」「ヒロマルぅ! お前って奴は……」「ちくしょぉぉぉぉ!」と、クラスメイト達が声の限りに叫んだり、飛び上がったり、泣き喚いたり、地団太踏んだりしている。

 涼美ヶ原瑠璃が「ヒロマル! てめぇ、れむんの告白断ったらブッコロすし! でも、つきあってもブッコロすし!」と胸ぐらをつかんで凄んできた。


「ど、どっちにしてもオレ、死ぬじゃないか……」

「れむんには幸せになって欲しいし! だが手前は許せねえ!」

「一体、オレにどうしろと……」

「死ね! もうそれしかない!」

「ヒロマルくんを殺さないで!」


 恋夢が慌てて割って入った。

 推しに止められ、混乱した涼美ヶ原瑠璃は「ええええええ!? じゃあ、あーしは一体どうすればぁぁ~」とあっちでウロウロ、こっちでウロウロし始める。まるで障害物だらけの床を掃除するロボット掃除機のようだった。


「こうなったらもうおしまいだなぁ……」


 ユウジは感心したとも呆れたともつかぬ顔でそれを眺め、冬村蜜架は「あああもぉぉぉ!」と、頭を掻きむしった。


「と、とにかくヒロマルくん、恋夢ちゃんをお願いします。何年も貴方を探し続けてやっとココに辿り着いたのよ……妹だからつきあえないなんてあんまりだわ!」

「い、いや妹以前の話なんだ。『モテる奴は許せない』と今までさんざっぱら言ってきといて、ここで手のひらを返すような真似は男の筋が通らないというか……」

「そこを曲げてお願いします。このままじゃ恋夢ちゃんが浮かばれない!」


 腕を組んで考え込んだヒロマルの前に、今度は「ヒロマル、オレ達からも頼むよ」と、元・モテ隊の三人が進み出た。

 三人とも先日のバトルロイヤルでリア充派、非リア充派の両方から殴る蹴るの血祭りに上げられ、顔かたちがボコボコに歪んでいる。


「お前が彼女を作ってくれないとオレ達はこの緑ヶ丘高校で永遠に卑怯者として罵られ続けることになる。今は毎日が針の筵なんだ……」

「オレ、捨てないでと彼女に土下座して別れを猶予されたが、それもお前が許してくれたらという条件付きなんだ。頼む」

「こんなコト頼まれる義理などないだろうが、どうかオレ達を哀れと思って……この通りだ……」


 三人はもう恥も外聞も無い様子でヒロマルの前に跪くと仏像みたいに拝み、手を合わせた。


「ううむ……」

「ヒロマルくん、貴方が恋夢ちゃんと付き合うかどうかにクラスの平和が掛かっているの。お願いします!」


 冬村蜜架も頭を下げる。担任のめぐ姉は「乱闘を起こさないためにもヒロマルくん、お願い……」と涙目で手を合わせた。

 恋夢といえばもう、床に膝をついて土下座せんばかり。


「お願いします! お願いします! パシリでもいい、セフレでもいい、恋夢にはヒロマルくんしかいないんです!」

「わ、分かったから……セフレでもいいなんて言うんじゃねえよ」

「恋夢、何でもしますから……」


 ぼろぼろと泣きじゃくる恋夢は震える手で胸元をはだけようとする。周囲のクラスメイト達が慌てて止めた。


(困ったなぁ。こんなに綺麗でいい娘なら、イケメンでしっかりした男でも引く手あまただろうに……)


 思い出の美化補正が掛かっているのだろうが、自分ではあまりに不釣り合いすぎる。ヒロマルは途方に暮れた。

 彼女が運命の赤い糸と一途に想い、辿り着いた想い人。イケメンの王子様ならまだしも、それがモテない妬みをコジらせたトホホな厨二病男、自分だとは。

 それに、このままウンと言って付き合ってしまおうものなら彼氏彼女のいない者達から「お前もしょせんは裏切り者、表裏比興の変節漢よ」と後ろ指をさされ、口汚く罵られよう。

 かといって、頑と拒むのでは恋夢があまりにもかわいそうだった。顔を震わせ、泣きながら哀願する彼女を突き放すような冷血漢には到底なれなかった。

 一体どうすれば……ヒロマルは思わず天を仰いだ。


「ヒロマルくん……」

「ヒロマル!」

「ヒロっち!」

「分かった分かった!」


 迫って来る一同をヒロマルはなだめるように両手で抑えた。


「じゃあとりあえず……しばらくの間、お試しでおつきあいってことでいいかな」

「ほ、本当!?」


 涙に塗れた顔を輝かせて恋夢が叫ぶ。ヒロマルには精一杯の妥協案だったが「おおーーっ!」とクラス中がどよめいた。


「はい、よろこんで!」

「オレなんかじゃ恋夢に釣り合う男なんてとても思えないけど……とりあえず互いに様子を見ましょうってことで……」


 困ったようにヒロマルは笑ったが「なんでもいいんです……ヒロマルくんの恋人にさえなれれば」と恋夢は涙を拭った。


「だからもう泣くな。いい子だから」

「はい。恋夢の初恋はヒロマルくんで、それからずっとヒロマルくんだけです。ヒロマルくんしかいないんです」

「こんなに可愛くなったのにもったいないなぁ。オレなんざぁ、この緑ヶ丘校で彼女になってくれる人って誰も手を挙げてくれなかったのに」

「こんなこと言ったらヒロマルくんに悪いけど、でもよかった……恋夢一人だけで。誰かと奪い合いなんてしたくなかったもの……」

「モテなくてよかったな、ヒロマル」


 ユウジのツッコミにクラス中がどっと沸いた。


「うるせえよ!」と苦笑いしたヒロマルだったが「でも、これからどうしたもんだか……」と、困惑してしまった。無論のことだが、彼は女の子との付き合い方など、何も知らないのだ。


「恋夢に全部任せて下さい! 恋夢はヒロマルくんと恋人同士になれたらやりたかったこと、一杯あるんです!」

「お、おう……」


 ヒロマルの気弱な「お手柔らかに……」に、クラス中が再び爆笑した。「色々モメたけど、まぁ良かった良かった……」「とりあえずは一件落着だな」「二人ともお幸せにね!」等々、クラスメイト達から祝福の言葉がこれでもかとばかりに降り注ぐ。

 裁判が乱闘になったり、人間関係に亀裂が入ったり、ここ数日すったもんだ色々あったものの、これでやっとのことクラスに平和な日々が帰って来るだろう。

 誰もが胸をなでおろした。


「これからよろしくお願いします、ヒロマルくん」

「あー……うん」

「ヒロマル、もっとちゃんと返事しろい! 恋夢ちゃんに失礼だぞ」

「……こ、こちらこそよろしく……」

「声が小さい。やり直し!」

「トホホ……」


 こうして、小村崎博丸は誰もが羨む美少女の幼馴染と仮初めのカップルとして、いったん付き合うことになったのだった。


(結局お試しでつきあうことになっちまったが、どうなることやら……)

(でもまぁ……)


 うまくゆくはずがない。ヒロマルは行き着く先がもう見えたような気がしていた。

 何のとりえもない男に惚れる美少女なんてしょせん都合のいい設定のラブコメラノベだけの話に過ぎない。

 現実は残酷で厳しいのだ。

 今は喜びのあまり見えていないだけで、すぐに自分の小物っぷりや厨二病を目の当たりにして幻滅され、お試し期間はあっけなく終わる……ヒロマルはそうなるだろう、そうなってもしょうがないと思っていた。


(ま、それでもいいか……)


 だが。

 それが「恋は盲目」を知らなかった自分の甘い見通しだったことを彼はこの後、嫌というほど思い知らされることになる。

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