退路を断たれ、いまウェディングベルが鳴る…

「れ、恋夢……」


 虹色に輝くベールの向こうからおずおずとこちらを伺うのは、純白のドレスに身を包み、真っ白なカスミソウのブーケを手に持った花嫁だった。

 春瀬戸はるせと恋夢れんむ

 幼少の頃はヒロマルが妹のように面倒を見ていた幼馴染。あの頃は身なりも汚らしげでよくいじめられていたのに、今では異世界から降臨した妖精かと目を疑うほどの美少女になっていた。そればかりか日本中の男子が恋人にしたいと切望するほどの人気アイドルにもなったのに、それすらかなぐりすててヒロマルを恋慕っている。

 ウェディングドレスを纏った彼女は人の形をした天使かと思うほど美しく、ヒロマルはどう考えても自分があまりにも不釣り合いにしか思えなかった。

 そんな感慨をよそに、女生徒達からは思わず「きれーい!」「素敵……」と歓声が上がる。ヒロマルもその美しさについトラブルを忘れ、強奪される予定の花嫁に見惚れてしまった。


「ヒロマルくん……私、どうかな」

「どうって……」

「どう見えますか?」

「き、き、綺麗です……この世の人とは思えないです……」


 ヒロマルが思わず正直に感想を言ってしまったので、花嫁はボンッ! と、真っ赤になると沙遊璃の後ろに隠れてしまった。


「あらあら、これから結婚する相手から隠れてどうするの?」


 沙遊璃は艶然と微笑みながら「ね? 恋夢ちゃん、ヒロマルくんのことなら心配することなかったでしょ」と背後からそっと押し出した。


「ヒロマルくん、恋夢ちゃんったら支度中『ヒロマルくんに綺麗に見えるかな……』って何度も私に聞いてたのよ。心配する必要なんかこれっぽっちもないのに、ねぇ?」

「沙遊璃ちゃん、それ言わないで……」


 手を振ってあわあわする花嫁に沙遊璃は「ふふふ……」と目を細めた。


「ヒロマルくんも恋夢ちゃんが心配しないように普段から彼女のことをもっと気にかけてあげなきゃ。分かった?」

「アッハイ」


 ヒロマルは思わず素直に謝ったが、ハッとなって「いや、それがそれどころじゃねえんだよ」と、慌てて手を振った。


「本物河さん、それから恋夢も聞いてくれ。実はユウジの奴が腹を壊してトイレから出てこれなくなっちゃったんだ」

「あらまぁ」

「でも、結婚式は強行するんだって皆、オレの言いこと聞かなくってさ」


 沙遊璃と恋夢は顔を見合わせたが、どうしたことかこちらの二人も他のクラスメイト同様、狼狽した様子はない。

 ……もしかしてこうなることをあらかじめ知っていたのだろうか。ヒロマルは何か嫌な予感がした。


「……それで何か問題が?」

「大ありだろ! 肝心のハプニングがないのにどうやってやるんだよ……」

「この際、ハプニングなしってことで」

「いやいや、それだとみんな『何コレ、ただの結婚式じゃん。つまんねー』としか思わねーよ!」

「大丈夫、つまらないなんて絶対に言わせないから。花嫁はこの通り素敵だし、式場も綺麗、花もふんだんに飾ったし料理だって一流ホテル並み。演出も進行も音楽も私達が最高に盛り上げてみせる。心配ないわ」

「そんなこと言ったってこのまま段取り狂った状態で始めて上手くいくハズないだろ。オレはいいとして、花嫁役の恋夢がもし恥なんか掻いたりしたら……」

「だから、そんな心配は……」

「ここはやっぱり中止にするしかない。本物河さんからもみんなを説得……」


 それまで笑みを浮かべて聞いていた沙遊璃がビキッと音を立てて眉間に皺を寄せたので、ヒロマルはそれ以上言い続けることが出来なかった。クラスメイトの一人が「ヒッ」と小さく悲鳴をあげる。


「ヒロマルくん……あなた、死にたいの?」

「は、はい?」

「恥をかく? 式を中止にしたらそれこそ恋夢ちゃんが一番恥を掻くでしょうが! なに勘違いしてるの。それとも恋夢ちゃんに恥を掻かせたいの? もしそうだというのなら……」


 その瞳が次第に血走り、異様な光が輝き始めた。


「本物河さん?」

「いいわよ、貴方がその気ならヘラヘラしているその顔を引き裂いてあげても……」


 両手の爪をカキッと立てた沙遊璃は、上半身をユラユラ揺らしながらヒロマルへ近づき始めた。背中から暗黒のオーラがドロドロと澱み出る。血走った眼を羅刹のように見開き、唇の端を吊り上げた顔には悪魔の微笑み。女子達が悲鳴を上げた。

 花嫁が後ろから「沙遊璃ちゃん、違うから! ヒロマルくん、そういう人じゃないから!」と、必死に引き留める。


「ヒロマルくんは私を心配してくれてただけなの! ほ、ほら、結婚式なんて初めだもん。中止がいいのかなって思っただけだから!」

「……あ、思い違いしただけなのね」


 血走っていた眼差しが元の麗しい瞳に戻り、妖気をまとったオーラもフッと消えた。抱き合って震えていたクラスメイト達は思わず安堵のため息を漏らす。

 ヒロマルといえば、膝がガクガクして情けなくへたり込んでいた。


「ヒロマルくん、ごめんなさい。『コイツ、結婚式を前に花嫁を捨てる鬼畜か』って、一瞬思い込んじゃったもんだから……」

「さ、さすがにそんなことしないよ……」

「ですよねー。私、コロしてやるって頭に血が上っちゃった」


 手で自分の後頭部をペシッと叩いて沙遊璃はテヘペロとお茶目に舌を出したがヒロマルは騙されなかった。結婚式を中止にしたら、間違いなくこの娘は鬼になって自分を殺しに来る!


「仕方ない。中止に出来ないなら今からでも代役を。なぁ誰か……」


 だが、クラスメイト達は誰も手を挙げようとしない。そればかりか「往生際が悪いぞ」と言わんばかりの顔でヒロマルを睨みつけた。


「ど、どうしたんだよ! みんな……」

「ヒロマルくん」


 神妙な顔で自分を睨むクラスメイト達が怖くなり後ずさりしたヒロマルへ向かって、沙遊璃が静かに語りかける。


「実はね、ユウジくんには悪いけど……今日の結婚式、最初からご退場願う予定でいたの」

「な、なんだってぇぇぇ!」

「もうすぐウェディングベルが鳴る……そろそろタイムリミットだから種明かししてあげるわ。ヒロマルくんには、これから恋夢ちゃんと本当の結婚式をあげてもらいます」


 ポカンとなったヒロマルは、次の瞬間「エエエエエエエエーー!」と叫んで顎を落とした。ギャグ漫画なら、さしずめ目玉が飛び出ているところだろう。


「なんで……」

「聞くまでもないでしょう。今日まで恋夢ちゃんがこんなにも貴方を一途に慕っているのに、ヒロマルくんと来たら自分なんかふさわしくない、もっといい人がいるからって一向に応えてあげようとしない」

「だって、それはその通りで……」

「いません、恋夢ちゃんには。幼い頃、辛い思いをしていた恋夢ちゃんに何くれとなく面倒を見てくれた、ガサツだけど心優しい男の子。イジメがあれば怒鳴り込み、学校祭のフォークダンスではただ一人恋夢ちゃんと一緒に踊ってくれた……そんな人と結ばれたいって恋夢ちゃんのいじらしい想いに、貴方は何故今日まで応えようとしてこなかったの?」

「いや、だからさっきも言った通り、恋夢にはオレなんかよりもっとふさわしい人が……」


 言いかけたところに沙遊璃が目をクワッ! と見開いた。もはや妖怪そのもので、震え上がったヒロマルは何も言えなくなった。完全にヘビに睨まれたカエルである。


「想いが通じずに苦しむ恋夢ちゃんを私達はこれ以上見ていられなかった。こうなったらクラス総出で貴方に引導を渡そう……そう決めて、私達はこの結婚式を仕組んだの」

「し、仕組んだだと?」

「表向きは花嫁をさらうアトラクション付きのなんちゃって結婚式。しかし、その実態は本物の結婚式。恋夢ちゃん、幸せになるのよ。ヒロマルくん、覚悟を決めてね。ふふふ……我が策、我が野望、ここに成就せり!」


 陰謀を仕組んだ策士の正体を自ら明かした沙遊璃は悪役令嬢のように「ホーッホッホッホッ! ホーッホッホッホッ!」と高笑いしたが、笑い過ぎて「ゴホッ、ゴホッ」とむせてしまった。


「諮ったな!」


 我に返ったヒロマルの口から、諮ったな本物河! と、糾弾の雄叫びが迸りかけたそのとき、リーンゴーン♪という鐘の音が聞こえた。

 続いて喝采と拍手の音が……


「ほぅら、式が始まる。もう逃げられない。ふふふ……」


 まるで地獄の蓋を開いた悪魔のように沙遊璃は微笑む。

 万事休す。こうなってしまっては、もはやこのまま結婚式に臨む他に選択肢はない。ぼう然と立ち尽くす新郎に向かって花嫁が「ヒロマルくん、ゴメンね……」と頭を下げた。


「でも他に方法がなかったの。もう、こうするしか……」

「恋夢……」

「ヒロマルくん、私のこと嫌い? 恋人にはどうしてもなれない? ……だったら恋夢は諦めます」


 辛いけどヒロマルくんに嫌われたくないから……泣きそうな顔で告げる花嫁に、ここでハイ、ナレマセンなどと誰が言えただろう。


「……そ、そりゃあ嫌いじゃない。二択で言うなら好きだよ」

「本当!?」

「お試しで付き合ってた間はとても幸せだったさ。正直、思ったよ。自分が恋夢に釣り合う男だったらなぁって。そしたらずっと傍にいて欲しいなぁって……でもさぁ、そしたら今まで『モテる奴は絶対許さない』って言ってきたオレの意地は一体……」

「そんなのどうでもいい! じゃあ恋夢と結婚してくれるのね!」


 夢かとばかりに花嫁が顔を輝かせる。


「ま、待て待て待て! 結婚とかイキナリ過ぎる。オレらまだ一六だし! ま、まずは健全なお付き合いを……お試し期間の延長とか……」

「いつまでお試しだ、いい加減にしろ!」


 姑息な引き延ばし案をクラスメイトが容赦なく切り捨てる。


「あとな、女性の婚姻開始年齢は法律では一八からだが改定前は一六からだ。ちっともイキナリじゃねぇ!」

「いや、でもしかし」

「うるせえ! 全国の男子から羨望される恋夢ちゃんと結婚出来る望外な幸せに躊躇する贅沢なんぞ手前にはねえ!」

「そ、そんな……オレはこれでも恋夢の幸せを考え……」

「黙れヒロマル! 恋夢ちゃんの幸せ、それはすなわちてめぇだ! ここまで来てもう四の五言うな!」


 一喝したクラスメイトに向かって「そうだ!」「よく言った!」と賛同や賞賛の声が上がる。


「さぁ、式を始めるわよ。みんな所定の位置に就いて!」


 頃合いやよしとばかりにクラス委員長の冬村蜜架ふゆむらみつかが声を掛け、クラスメイト達は「おう!」と応えるや、それぞれの場所へ散っていった。


「みんな、待ってくれ! オレの話を……」


 オレの、オレの、オレの話を聞け。

 だが、呼べど叫べど聞く者はもう誰もいない。

 半泣きの新郎の傍に花嫁が寄り添う。彼女はヒロマルの腕にしがみついて、これ以上ないほど幸せそうな表情で「嬉しい……嬉しい……」とつぶやき続けている。


「恋夢ちゃん、幸せなのは分かるけどまだ泣いちゃ駄目だからね」

「はい」

「ヒロマルくんは……いいや、好きなだけベソを掻いてなさい。いい気味だわ」

「ひ、ヒドい! あんまりだぁ」


 肩を落とし「どうしてこんなことに……」と嘆く新郎は、隣で頬を染めている花嫁とは余りにも対照的だった。

 進行役のアナウンスが「これより二年B組の催し、模擬結婚式を開催いたします。新郎は小村崎博丸くん、花嫁は春瀬戸恋夢さんです!」と会場に告げる。


 ヒロマルの名前に爆笑した観客達は恋夢の名前にどよめき、次の瞬間大歓声と拍手が巻き起こった。


 続いて「どうぞみなさん、盛大な拍手で二人をお迎え下さい!」とカーテンが開き、ウェディングミュージックが流れ始めた。

 スポットライトの眩しい光が差し込んでくる。大歓声に怖じ気づいたヒロマルは、この期に及んで助けを求め、周囲に視線を彷徨わせた。

 歩き出せない新郎を心配そうに見上げながら花嫁が促す。


「ヒロマルくん……」


 やれやれ、とため息をついたクラスメイトの一人が、往生際の悪い新郎をウェディングロードへそっと押し出した。


「とりあえず結婚しろ。な? 細かいことは後で考えよう……」

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