第 2 話 タカラヅカ 桜嵐記 考①
☆ 桜嵐記よもやま話 その1 ☆
考察1 正時の舅 大田佑則って誰だろう。内藤満幸(之)をインスパイアしたのかな? 満幸は正行の舅で、四條畷を前に幕府に寝返った。戦後、その満幸の娘は正儀によって能勢の内藤家に戻される。なお、このとき正行の次男を宿しており、この子の子孫が近世大名 池田家の祖先という説。('22/02/12)
考察2 正儀が振るってるのは最初、大身槍かと思ったけど薙刀か。細身で反りも少ないようなので、刀を長柄に付けた感じ。これを振るって戦場が遊び場と豪快なことを言ったり、四條畷から泣く泣く離脱するところとかは、和田賢秀・賢快(正朝)を彷彿とさせる感じですね。泣きました。('22/02/12)
考察3 タイトルは桜雲記のオマージュですね。南朝の逸話を綴った後世の史書。南北朝時代はもちちろん、合一後の後南朝までが記載されています。吉野山に咲き誇る桜が幾重にも連なる雲のように見えたことがその名の云われと伝わります。('22/02/12)
考察4 天王寺の戦の後で正行が敵兵を助ける美談。これ、後の正儀にも同様の逸話が残っています。この時の兄の振る舞いが目に焼き付いてたんでしょうね。身寄りのない子を引き取るなど、兎に角、正儀には優しい逸話が多い。('22/02/12)
考察5 北畠親房、四条隆資、洞院実世と南朝の公家の性格にまで細かい配慮。武士に褒美は要らないという親房に、隆資がチクっと諭すくだり。それぞれ性格を示す逸話がモチーフですね。後に四条隆資は後村上帝を守って討死。祇園祭の
考察6 なんと、
考察7 四條畷で正行・正時が討死したあと、正儀はどうなったのか、弁内侍や吉野の朝廷はどうなったのか。それは以下の小説の第16話を御覧ください(すいません、ちょっと宣伝です……汗)。('22/02/13)
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887356643/episodes/1177354054887394414
考察8 諸説ありますが四條畷のとき正行は数え26歳、正時は23歳、正儀は19歳。今の歳だと1~2歳若く、正行は新入社員に毛が生えた程度。正儀に至っては高校生。兄が討死しても幕府軍の進軍は止まらない。正儀の両肩に吉野の命運がのしかかる。高校生が何とかしなきゃいけない状況に。('22/02/13)
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