南北朝雑記/虚無僧のつぶやき

正田前 次郎

第 1 話 虚無僧の起源

☆ 虚無僧と楠木正勝 ☆


 虚無僧こむそうと言えば天蓋てんがいという深編み笠をかぶり、袈裟けさと明暗と書かれた箱をぶら下げ、尺八を吹いて御布施を得ながら諸国を行脚するイメージですよね。時代劇的には大抵、素性は武士。('22/04/23)


 武士ということでは、室町幕府に負けた楠木正勝(正成の孫/正儀の嫡男)が、深編み笠を被って虚無きょむと名乗ったのが虚無僧こむそうの始まりと伝わる。だとすると西暦1400年くらいのことであろうか。('22/04/23)


 虚無僧を調べると、建長6年(1254年)、中国に渡った臨済宗の僧侶が竹管吹簫ちっかんすいしょうの奥義を受けて帰国し、紀伊国に庵を編んで暮らした。この僧はしょうを吹いて御布施を得た。坐臥ござ用のこもを腰に巻いたので、薦僧こもそうと呼ばれたのが起源とある。('22/04/23)


 薦僧こもそう虚無僧こむそうの起源だとすると、楠木正勝よりは140年くらい前。南北朝時代の始まりからでも80年くらい前なので、正勝始祖説は成り立たない。さて、どう考えるべきか。('22/04/23)


 虚鐸伝記国字解きょたくでんきこくじかいという虚無僧や普化ふけ宗の由緒について書かれた書物によると、薦僧こもそうの数世代後の弟子が虚無=楠木正勝だという。しょうを吹いて御布施を得た薦僧こもそうと、深編笠を被った虚無きょむが織り交ざって虚無僧こむそうが確立していったということか。だとすると正勝が始祖というのも頷ける。('22/04/23)


 納得感をもたらしてくれた虚鐸伝記国字解きょたくでんきこくじかいだが、成立は江戸時代。虚無僧の格式を上げるのが目的らしく、現代の評価は、どうも史実とは認め難い書物の模様。と言うことで、振り出しに戻ってしまった(汗)。('22/04/23)


 南北朝時代の世情を伝える資料として有名なのが吉田兼好の徒然草つれづれぐさ。これに書かれた「ぼろぼろ」「ぼろんじ」が虚無僧のことだ言われる。徒然草は1330年頃乃至1350年頃とされるので、やはり楠木正勝よりも前の話。('22/04/23)


 初期はすり鉢を伏せたような深編み笠で顔を隠したようだが、後に寸胴鍋を伏せたような天蓋に変わった。元来、武士が多かったためか、江戸時代に入ると武士以外の入宗にっそうは認められなかったようだ。('22/04/23)


 虚無僧と南朝武士の繋がりは、虚鐸伝記国字解きょたくでんきこくじかいの成立前から人々に認識されていた模様。虚無僧の深編み笠は、南朝の人たちが幕府から身を隠して行動するのに都合が良かったのかもしれない。('22/04/23)


 想像だが、敗軍の南朝武士たちが、既に存在していた「ぼろ…」と呼ばれた輩に身をやつしたという事実はあったのかもしれない。これが時代を経て虚無僧という具現化した存在となった。('22/04/23)


 後の時代に自らの由緒を直し、格式を上げるため、竹管吹簫ちっかんすいしょうや中国の普化に起源を求めたのかもしれない。('22/04/23)


 一方、南朝武士たちがいたという記憶は受け継がれ、もう一方の開祖を、南朝武士の象徴として、最後の忠臣、楠木正勝に求めた。というのはどうであろうか。('22/04/23)


 でも、やっぱり、楠木正勝は虚無僧であって欲しいな。('22/04/23)

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