カーネーション
碧川亜理沙
カーネーション
その赤ん坊がこの世に生まれいでた時、人々は歓喜した。
そして、その姿を見た時、血族の者は悲観した。
その赤ん坊──
* * * * *
ふと、書物から視線を離し窓の外を見ると、ちらほらと白いものが舞っていた。
「……寒いわけね」
誰にともなく、ただ広い部屋の中にその声は静かに落ちた。
火鉢の温もりはとうに消え、燃え残りの匂いが薄く充満し始めていた。
「姫様、失礼いたします」
外より声がかかり、木戸が開くにあわせて冷たい風が入り込んでくる。
「炭を取り換えさせていただきますね」
身の回りの世話をしてくれるタキが換えの炭を持ってきてくれた。
「寒くはありませんか? 申し訳ないです……業者がこの大雪で、なかなかこちらに来るのが難しいようで」
返事を返さずとも、タキは口も手も止めることはない。テキパキと、火鉢の炭を換えていく。
いつも通りのことなので、時折相づちを返す程度に彼女の話を聞く。
炭の交換にはそんなに時間はかからなかったはずだが、タキの口からはたくさんの言葉が出ていた。
おそらく、それはタキなりの、外に出ることのない同世代への気遣いだろうが、白雪はそんなことを知る由はない。
「それでは、失礼しますね。次はお夕飯時に来ます」
タキが部屋を辞するタイミングと同じに、「失礼します」と外より声がかかる。
木戸の向こうにいたのは、長老だった。
80にも届こうかと言う年齢のはずだが、彼は未だにこの村の長を続けている。白雪が小さい頃に見た長老よりもひと回り小さくなった気がする。
「姫様、以前よりお伝えしておりました婚儀ですが、予定通り、2月の2日に行わせていただきます」
「……はい。分かりました」
それは、白雪が生まれた日であり、同時に白雪の人生が決まった日であり、更にその人生の終わりを意味していた。
「大雪にならなければいいですね」
あえて感情を押し殺す長老や、悲しそうな顔をするタキとは異なり、白雪はその言葉にたいして悲愴は感じていなかった。
むしろその逆、待ち望んでいたと言っても過言ではない。
「……それでは、また明日、伺います」と言う長老に続いて、タキも部屋を出ていった。
残された白雪は、少しばかり冷えた体を温めようと火鉢に近寄る。
「……もう少しで、会えるのですね」
ここには居ない誰かへ想いを馳せながら、白雪は火鉢のそばで目を閉じた。
* * * * *
白雪は、赤子の時から親とは離れ、この小さな家の中で生活してきた。
約6畳のこの空間が、白雪の全てであった。
物心着く頃になると、白雪は大人たちに「姫様は、16になったら白蛇様へ嫁いでいくのです」と聞かされていた。そして、その白蛇様は、この村の人たちにとって神様なのだと。白雪も、それを信じ、毎日を過ごしていた。
その
白雪が寝食を過ごしていた建物の補修のため、一時的に場所を移すことになり、何年ぶりかに外へと出ることになった。
久しぶりに土を踏むが、特にこれといった感慨もない。
強いて言うなら、太陽の日差しが少し痛いと感じるくらいか。
「久しぶりにご両親と過ごせるなんて、よかったですね!」
まだ少し幼かった頃のタキが笑顔で言う。
白雪は、その笑顔に少し首を傾げた。
白雪にとっての親は、自分を産んでくれた人たち、という認識しかない。親愛込めて接せれるほど、親に対する情は持っていなかった。
補修は7日ほどかかるという。
その間、白雪はほぼ見知らぬといっても過言ではない人たちと過ごすことになる。
とは言うものの、共にするのは寝食くらいで、日中は働きに出る彼らとは逆に、場所が変わっても白雪は家の中で大人しくしているだけだった。
それを破りに来たのがタキである。
「お山の方にね、綺麗な水があるんです! ちょっとだけ見に行きましょう」
行かないといっても引かない彼女に、とうとう白雪のほうが折れた。
太陽の光を極力浴びないように日傘をさしていたが、山に入ると思いのほか暗く、奥に行くにつれて、日傘がなくても問題ないくらい、緑におおわれていた。
「わぁ……綺麗ね」
タキがそう言うように、初めて見た湖はとても美しかった。
ここに皆が言う白蛇様が住んでいる……それはとても自然なことのように感じた。
「姫様、あっちの方、行きません?」
湖の反対側を指さすタキに白雪は首を振る。日頃外に出ない白雪は、体力的に少し休息が必要だった。
「じゃあ、あっちに行ってきます! すぐ戻りますね!」
そう言うと、風のように走っていってしまった。
白雪は、近くにあった大きめの石に腰をかける。
目をつぶると、鳥たちのさえずりや、木々のさざめきがより一層近くに感じる。
「何をしておるのだ」
だからなのか。その気配を感じ取っていたからか、突然声をかけられても驚くことはなかった。
「……自然を、聞いています」
それでも目を開けると、そこには均等のとれた顔立ちの美青年が立っており、少しばかり動揺した。
「ほう……して、何か聞こえたか?」
面白がるような声色に、白雪は「鳥のさえずりと、木々のさざめきが聞こえます」と答えた。
「……あなたの名前はなんと言うのですか?」
今度は白雪のほうから問いかけた。
「名を聞く時は、まず自分から名乗るものではないか」
「……白雪、と申します。あなたの名前を聞いても良いですか?」
「私は──」
遠くで「姫様ー!」と叫ぶタキの声が聞こえる。
ちょうど被ってしまったが、彼の口から発せられた言葉は耳に届いていた。
「これをやろう」
唐突に、彼は白雪に一輪の花を手渡した。
「……花?」
それは赤い花弁が綺麗な、白雪は見たことない花だった。
「かー……しよ……、はて、聞き慣れぬ言葉だった故、分からぬ」
名も知らない花だが、とても綺麗だと思った。
「あの、ありが──」
お礼のため、下げていた視線をあげると、そこには青年の姿はなかった。
「姫様! 向こうにね、もっと綺麗な水があってね! ……姫様、それ、何ですか?」
変わりに、いつの間にか戻って来ていたタキがいた。
手元には、一輪の赤い花。
タキに問われても、白雪はうまく説明することが出来なかった。
あれは夢なのではないか、とも思う。けれども、それは違うと、手にある花が物語っている。
「──」
ぽつり、彼の名を呟きながら、白雪はどこかでまた会えると確信していた。
これは、幼き日の、青年と初めてあった思い出である──。
* * * * *
2月2日、陽はとうに落ちたが、村はいつも以上に明かりに囲まれていた。
白雪は白無垢を着て、村のものたちが執り行う儀式を眺めていた。
視界の端のほうに、他とは違う表情をしている者たちは、おそらく白雪の両親であろう。先ほど祝いの言葉を貰ったが、母親の方は途中で泣き崩れて、他の村人たちに抱えられていた。
白雪は、何故そうも悲しそうな顔をしているのか、よく分からなかった。村のものたちが言うように、今日は祝いの日だというのに。
「それでは、姫様、そろそろ参りましょう」
日付が変わる2時間前。長老たちの声とともに、白雪は立ち上がる。
着慣れない衣装のせいで歩きずらさはあるけど、タキが時折支えてくれるので何とか着崩れを起こすことなく過ごせている。
先頭に長老、続けて村の老人たち。
列半ばに、白雪。
列後ろに村のもの数人が、連れ立って山の中へと入っていく。
雪もほとんどなく、寒さで土も凍っているため、山道ではあるけれども比較的歩きやすかった。そのためか、思ったよりも早く目的地に着いたと思われる。
そこは、幼い頃に1度、タキに連れてこられた湖だった。
湖の入口の反対側に、小さな、人ひとりが入れそうな社がある。
行列はその前で立ち止まった。
「それでは……姫様」
村の人たちが社の扉をおさえてくれ、白雪はその中へと鎮座する。
長老が祝詞を唱え始める声が聞こえる。
社は思ったよりも狭くはなく、白雪が身動き取れる程度の広さはあった。
祝詞が聞こえる間、社の前には様々な貢物が並ぶ。
ふと、その中に赤い花を見つけ、結局あの花の名はなんと言うのだろうと思考を巡らせた。
白雪の思考が他所に向いていたとは誰も知らず、祝詞の声も消え、村人たちがそれぞれに白雪に向かって頭を垂れていた。
「それでは、姫様……我々はこれで失礼いたします」
「……はい」
声をかけられ、一瞬反応が遅れたが、誰もそれを気にする者はいなかった。
村人たちが去っていくと、森本来の静けさが戻ってきた。
白雪は、この後の結末を知っている。
白蛇様へ嫁ぐ……それは、つまり、
それなのに白雪は、少しも恐ろしいとは感じていなかった。
むしろ、待ち望んでいたと言っても過言ではない。
特に何があるという訳でもなく、ただ時間だけが刻一刻と過ぎていく。
寒さを感じてきたと思ったら、空から白い雪が降ってきていた。それは地面を薄く塗っていく。
──どのくらい時間が経っただろう。
あの頃のように、目を閉じ、周りの音を聞いていると、自然と現れたその気配。
「何をしておるのだ」
まるで何時ぞやのよう、と内心で微笑みながら、
「……自然を聞いております」
と答えた。
そして、ゆっくりと目を開くと、そこにはずっと会いたいと焦がれていた青年がいた。
「……何か聞こえたか?」
答えを分かりきっているはずなのに、青年は問う。
白雪もまた、あの頃のように返す。
「静かな森の、息遣いを感じます」
2人してしばらく見つめあったあと、どちらからともなく笑い声が響いた。
「ずっと、お会いしとうございました」
白雪は、青年に向かって微笑む。
「あぁ……私もだ」
青年は、白雪へ手を差し伸ばす。白雪はなんの躊躇いもなくその手を取る。
「ずっと私は、あなたのことを想っていたのですよ?」
「私もだ。お前よりもずっと前から、会えるのを楽しみにしていたのだ」
2人が手を取り進むのを、森が、自然が、まるで祝福するように揺らぎ、輝く。その光景は、まるで神々しさまで含まれているようだった。
「……さぁ、行こうか、白雪。私たちの家へ」
「はい。ともに参りましょう……
──数日後。
村のものたちが湖へやって来ると、社の中の少女と貢物がなくなっていた。
変わりに、いつもの如く、珍品の贈物が貢物と同じだけ置かれていた。
その中に、数本、誰も名を知らない赤い花があったという。
後に、この花は「カーネーション」と呼ばれる花だと分かるが、これは贈物のひとつであったのか、それとも何か別の意があったのか、それを知るものは村にはもういない。
-完-
カーネーション 碧川亜理沙 @blackboy2607
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