第10話

半年後。熊本市のパートを辞めてその足で、天草の恭二の家に来た諒子。晴れて、恭二と暮らせるのだ。幼い時から憧れていた恭二と、夢にまで見た同居。自分だけのものに出来る時間が確保され、こんなに嬉しいことは無い。家に着くと、美咲に挨拶した。そして、お礼を言った。すると美咲も、お礼を言った。誰もいない母屋の二階を、諒子の部屋として貸すので、美咲がしていた分の母屋の世話が減る。主になって管理していた恭二も、当然楽になるのだ。まさに一石二鳥だ。まだ会社勤めの美咲は、諒子が家事全般をしてくれると言うので、さらに助かった。

 こうして、奇妙な三人の生活が始まった。諒子は一人暮らしが長く、料理はとても上手だった。食事の時間になると三人で卓を囲んだ。三人とも酒が好きなので、毎晩、宴会のようだ。しかも、三人が三人とも、大学での専攻が別なので、話の中身が面白い。とても変な関係の三人とは思えないほど、楽しい毎晩の宴だった。

 食事の後、恭二は諒子の部屋へ行くのが常となっている。美咲と寝ることもあったが、子どもが増えて手狭になったため、恭二は早くから隣の部屋に一人で寝ていた。そのため、子どもが成長して家を出てもそのまま互いの寝室は別だった。だから、美咲と一緒の布団で寝ることはなかった。ただ、同じ寝ると言っても、諒子と美咲の間には、セックスレスかそうでないか、と言う隔たりがあった。

 就寝までの時間は、一階のお風呂での入浴が重ならなければ、三人が翌朝まで顔を合わせることはなかった。諒子は朝まで、恭二を完全に独占できたし、恭二も、諒子に対する長年抑えてきた愛を、たっぷりと育むことができた。美咲は、それこそ一人の時間を心行くまで謳歌できた。そして時間は過ぎていった。

そんなある日。恭二が美咲のところに、神妙な顔で現れた。

「ちょっと、相談があるんだけど」

「いったいどうしたの?」

 珍しく、浮かない顔で来た恭二。怪訝だった。

「実は……。子どもができたんだ」

 恭二の困り果てた顔を見ながら、妻は笑顔で彼を迎えた。

「あら、良かったじゃない。彼女、高齢出産でちょっと心配だけど、どうするのかな」

「そうなんだ。高齢出産だけど産むって言うんだ。母体の方が心配なんだ……」

「彼女が生むって言うなら、そうさせるべきじゃないの?私たちの子どもの結婚は、まだまだ先のようだし、今のご時世じゃ結婚するかもわからない。ひょっとしたら、孫の顔も拝めないかもしれないのよ。孫みたいに思えていいんじゃないの」

 妻は、前向きにとらえてくれた。しかし、還暦もそう遠くない自分だから、来年生まれた子どもが二十歳の時には、自分は八十歳ちかくになっている。果たして、それまで病気もせず子どもを育てられるのか、確かに心配ではある。

「要は、あなたが諒子ちゃんとの子どもを認知すればいいんじゃないの」

「て、ど、どういうこと?」

「会社の女性部の勉強会であったんだけど……」

 妻は、図を描きながら、時々恭二の顔を見つつ、丁寧に説明してくれた。関係法令は、主に民法だった。いくつかあったが、認知することで男性側には養育費を払う義務が生じ、子どもは法定相続人の権利を得るという。諒子は働くかもしれないが、今の仕事を非常勤と言えども続けていれば、年齢の関係から恭二の給与が高いことは明白だ。そうすると、諒子の扶養義務があるなしにかかわらず、恭二が支えるだろう。

「じゃ、僕に万が一のことがあった場合、君にも多少損が出てくるね」

 すまなそうに、妻の方を見やる恭二だが、妻は気にも留めないように微笑んだ。

「大丈夫。私は、養育費は払わないから、あなたの遺産を当てにするほど、経済的には困らないし、将来の分もちゃんと貯めているわ」

「へえ、そうなんだ。しっかりしてるね」

「万が一のため、ちゃんとあなたの分の投資も掛けてあるわ。あなたの口座からね……」

 恭二は、嬉しいような、そして何となく置いてきぼりを食ったような、複雑な気持ちになった。

 母屋の二階に上がって諒子にそのことを伝えると、笑顔でおなかをさすった。

「兄ちゃんとの大事な子ども。絶対産んで優しく育てるから。心配しないでね。安心して出ておいで」

 恭二に言うより、まるで、おなかの子どもに向かって話しかけるように、さすり続けていた。恭二は、『認知してくれるんでしょ?』と、確認もしないで微笑んでいる諒子に、恭二には有無を言わせない芯の強さを感じ、同時に、ある話を思い出していた。

 恭二は、若いころから遠藤周作が好きで、彼の本はかなり読んだ。その中のエッセイ集にあった話で、遠藤周作が結婚する時相手の女性に対する印象を書いていたものだ。彼は、結婚する前は、とてもか弱く見えていたその女性が新居に入った時、彼女の足に根が生えて、家の床に深く伸びているように見えたと書いていた。それは換言すれば、『それほど女性は、これから妻になると言う時、腹をくくって結婚生活に入るのだな、と思えた』と言う内容だったように記憶していた。今まさに、諒子にその内容がぴったりだと感じたのだった。『俺が死ぬまで面倒見るんだ』という言葉が、脳裏を走り抜けた。

 住み始めて半年経った頃、予測していた事態が起きた。さすがに近所の人たちが、三人の関係に気が付き始めたのだ。かと言って、改めて説明する場もない。一般的には成立しない人間関係。田舎の人たちの理解が得られる可能性は低い。眉をひそめる人がほとんどだろう。決して素晴らしいことをやっているとは言わないが、やってはいけないことをやっているわけでもない。『決して不倫ではない』という、ここが特に難しい。田舎ではいとこ同士の結婚は、今でこそ少ないが、知り合う機会の少なかった昔は、多くはなくてもそう珍しいことではなかった。しかし、時代が違いすぎる。さらに、棟続きとはいえ同じ屋根の下に住んでいるのだから、不可解極まるだろう。いとこだと言っても、おなかの大きくなった今、なおのこと説明は難しい。

「ねえねえ、お隣の山田さんから彼女との関係を尋ねられたわ。来るべきものが来たって感じよ」

「とうとう来たか……。はあ~」

 予想していたとは言え、やはり気が重い。いったいどうしたものか。諒子も噂になっていることは、いずれ分かるだろう。しかし、彼女を悪者にしたくない。

 近所の人は、事実を知れば何と言いだすか分かったものではない。まして恭二は、市会議員をやっていた人の息子だ。『市民と手本となるべき人の息子が……』非難される中身は十分予想できる。

「で、君は何と答えたの?」

 浮かない顔で妻を見た。妻は、特に気にする様子もなく、

「ああ、あの子は『いとこなんです』って教えたわよ」

 と微笑んだ。

”そ、そんなあ。ストレートに……”

 その微笑みに、返す余裕はない。ひたすら困惑した。

 頭の中でいろんな考えがぐるぐる回った。親せきになんて言う?友達には。知り合いには……。

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