日本

 しばらく、僕もカイも黙って動かなかった。

「…お前は、この国を、日本をどう思ってる?」

「え?に、日本…?」

 僕はカイの不意の問いかけに、何も答えられなかった。これまでの話で、すでに頭は混乱していた。その問いかけが、さらに輪をかけて、僕の頭の中を混乱させた。何も頭が回らなかった。

「俺にとって日本は、夢のような、…理想の国だ。」

 夢?…理想…?

「現実はどうあれ、軍隊を持たないと主張し、自分から戦争をすることはしないと宣言している。日本へ来る前は、そんな国はありえないと思ってた。」

 カイは少し間をおいて、こう訊いてきた。

「スイスは、永世中立国をうたってるだろ?」

「スイス?あ、ああ。」

 もちろん聞いたことはある。常識レベルの話だ。

「じゃあ、スイスは日本と同じ様に、戦争をしないと思うか?」

「永世中立国なんだから、そうじゃないのか?」

 中立っていうのは、そういうことだと思っていた。

「スイスには、軍隊もあれば、徴兵制もある。」

「え?」

「一般家庭に、自動小銃が置かれていたり、ライフルを持った人が買い物してたり、核シェルターもあちこちにある。」

「いや、待って…」

 また頭が混乱し始めた。入ってくる情報に、頭がついていかない。いや、聞いた気もする。でも、何で中立と言っている国が、徴兵して、一般家庭に自動小銃なんかがあるんだ?ライフル持って買い物?核シェルター?

「シグって言われる銃、聞いたことないか?」

「あ、ああ。小説やドラマで、…」

「もとはスイスの会社の名前だよ。」

「え⁉そうなのか⁉」

 もうワケが分からない。スイスっていうのは、アルプスで、放牧して、ミルクやチーズを作ってて、…とにかく、イメージが全く合わなかった。

「銃の所持を規制している国は、実は先進国でも結構あるんだ。」

「そう、なのか?」

 アメリカのイメージが強いせいか、どこの国も銃は所持できるものと、勝手に思っていた。

 そう言えば、前にテレビで、イギリス人は警官も銃を持たないと言ってたような…

「ただ、犯罪発生率が、日本は群を抜いて少ないんだ。」

 それは、聞いたことがある…

「銃で撃たれる心配もない。犯罪に巻き込まれることすら、ほぼない。まぁ、軍隊も、ない。そんな国が、本当にあったんだ。戦争から逃れてきた俺達家族にとって、日本は夢の国だったよ。」

 夢の国…考えたこともなかった。もちろん、平和な国だとは思っていたけど…

「平和ボケって揶揄やゆされることがあるけど、俺達には、その平和ボケの世界が、理想だったんだ。」

 平和ボケが、理想…。

「そして何より、学校の授業で、戦争することを否定するだけでなく、戦時中に戦わない人を、非国民と責めていたことを、悪い事だと教えてた。もちろん、実際に戦争が起こった時、日本人がどういう態度を取るのかはわからないけど、同様に戦わないと言って、臆病者、非国民とののしられ、結果父さんを亡くした俺には、やっぱり、日本は夢のような、理想の国だよ。」

 カイの口が、微笑っていた。

先刻さっきのスイスの話だけど、中立っていうのは、戦わないってことじゃないんだ。もちろん基本はそうだけど、どちらにも属さないって意味だ。攻められたら、自国が焦土となるまで戦うって、スイスは言ってる。」

 焦土って…

「今回の戦争は、日本も他人事ひとごとじゃないって言われてる。」

 確かに、ニュースやネットでも見聞きする。でも、やっぱりそれは、僕にとっては他人事で、現実味のない、まだ、遠い話でしかなかった。

「日本で戦争が始まった時、お前はどうする?戦うか?それとも、逃げるか?」

「⁉」

 考えたことがないワケじゃないけど、改めて答えられる程、考えたことは、なかった。

「日本では、…少なくとも今のところは、お前が選べるんだ。戦うか、逃げるか。この選択肢があるっていうのは、凄い事なんだよ。」

 そこまで言って、カイはまた黙った。そして、こう続けた。

「俺は、もう戦争に関わりたくない。いや、母さんやベルを、戦争に関わらせたくない。俺は、その時が来たら、二人を連れて、逃げる。」

「……」

 僕はそう言ったカイを、ただ黙って見ていた。

 するとカイは目を覆っていた腕を外し、俺の目を、真っ直ぐ見てこう訊いてきた。

「なぁ、お前は、どうする?」

「!……」

 僕は、答えを出せず、真っ直ぐカイの目を見つめ返すことも出来ず、目を、満天の星の夜空に向けた。

 カイの言葉が甦る。チラチラと、仄暗ほのぐらい輝き……身近な存在が、戦場で、泣き叫び、狂ったように瓦礫を掘り、声も出せず、こちらに手を伸ばして、助けを乞い、ケガ人として、…遺体として、その目が、炎を反射し、チラチラと、仄暗い輝きを放ち、こちらを見ている。そして、足首を掴み、地面に這いつくばって、血だらけで、口をパクパクと動かす、…自分――その目も、チラチラと、仄暗く輝いて……

 夜空の星が、チラチラとまたたく。その輝きは仄暗く、見つめていると、地面の感覚がどんどん薄れていき、暗闇と、瞬きの、その中へと、身体が、心が、彷徨さまよい始める。

 僕は、ブンブンと頭を振って、満天の星空から視線を外した。無理矢理、現実へと、自分を引き戻す。

 その時、カイの先刻の問いかけが、頭に響いた。


「お前は、どうする?」


 戦うのか?

 逃げるのか?

 満天の、チラチラと仄暗い輝きの下で、僕は、日本の、現実の、自分事としての、“戦争”というモノに、ただ、恐怖していた――


「お前は、どうする?」

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満天の星~大嫌いと呪い~ @LaH_SJL

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