戦場

「戦場を、見たことがあるか?」

 しばらくして、カイが訊いてきた。

「…いや。」

 僕は短くそう答えた。当然だ。日本に住んでいる高校生が、戦場を見たことなどあるはずもない。そんなことはカイもわかっている。カイは質問をしたかったワケじゃない。質問しながら、“戦場”というモノを、思い出してるんだ。

「ある日、家の中にまばゆい光が飛び込んできた。びっくりして窓の方に目をやると、ゴーッという音がどんどん近づいて来て、カタカタと窓ガラスが震える音が大きくなっていって、爆音と共に、突然弾けるようにガラスが飛び散り、俺は壁に吹っ飛ばされた。ミサイルが落とされたっていうのは後で知った。幸い窓の正面にはいなかったから、壁に叩きつけられた衝撃だけで、大した怪我はなかった。落下地点からも遠かったしな。俺は母さんに手を引かれて、住んでたアパートから外へ出た。先刻さっきまでの街が、今の衝撃で一変いっぺんしてた。建物は崩れ、道にあった車や自転車、ゴミ箱や木が壁際に追いやられて、ひっくり返って、積みあがった状態になってた。道にいた人達は壁に…そして、木や車の間や下敷きに…」

 カイの言葉は、そこで一度途切れた。

「人の怒号や叫び声、泣き声、非常ベル、何かが崩れる音、燃える音、そしてまた爆発音、先刻程じゃないけど、それなりに大きい爆発、おそらくランチャーか何か。銃撃の音も聞こえ出して、俺は母さんに引っぱられて、何処に向かっているのかもわからず、ただ逃げ回った。その内辺りも暗くなって、銃撃の音が一旦止んだ。炎に揺れる街を改めて見て、俺も母さんも呆然となった。その内母さんは俺の手をギュッと握りしめて、フラフラと街を彷徨さまよった。もうそこが何処なのかもわからなかった。街にはたくさんの人が倒れていて、その人達を抱きかかえて泣き崩れている人がいて、血が出ているのも構わず、狂ったように瓦礫を素手で掘り続ける人がいて、誰かの名前を叫びながら探す人がいて、瓦礫や、物に埋もれながら、助けを求める人がいて、声も出せず、震えながら顔だけを、助けを求めて左右に動かす人がいて、…その時、ガッシと俺の足首を誰かが掴んだ。俺がびっくりして目をやると、血だらけで地面に這いつくばった男の人が、声も出せず、ただこっちを見て口をパクパクと動かしてた。その目はゆらゆらと揺らめく炎を反射して、チラチラと仄暗ほのぐらく輝いてた。その輝きが怖くて目を逸らすと、先刻の人達の目が、同じように、仄暗く、チラチラと輝いてた。その仄暗いチラチラとした目の輝きだけが目に入って、暗闇の中、その輝きに包まれて、地面の感覚がなくなって、宙に浮いたような……そんな時、俺の足を持つ手に力が入って、俺は夢の中から無理矢理引き剝がされるように現実に戻って、また足元の男の人の、あの仄暗い目を凝視した。見ている内に俺はどんどん怖くなって、必死にその手を振りほどこうと、足をバタバタと動かした。するとそれに気付いた母さんが、しゃがみ込んで男の人の手を放してくれた。男の人は尚も手を伸ばして、こっちを見てた。俺に追いすがる、あの仄暗く、チラチラとした輝きが、俺の目に焼き付いた。母さんが俺の手を引っぱって、そこから遠ざかって行った。その間も、それからしばらくも、こちらを見る人の目が、いや、何処を見ているかなんて関係ない。生きた人の目か、死んだ人の目かすら関係ない。炎に揺れる人の目が、死体の目が、チラチラと、仄暗い輝きとして、ただただ、俺の目に、頭に焼き付いていった。」

「……」

「街を彷徨っている時に、子供の泣き声が聞こえた。炎が燃える瓦礫の中、泣いていたのは、おそらくは母親の、その子の手を掴んだまま千切れた腕を、左手に握り、右手で、血を吸って真っ赤に染まったぬいぐるみを抱えた女の子だった。母さんは足を止めて、しばらくして、その子に近づき、左手に握った腕を放してやると、右手に抱えていたぬいぐるみをギュッと絞って、ビチャビチャと血を流し切って、また女の子に返してやって、その左手を握った。そして逆の手で俺の手を握ると、また歩き出した。その時の女の子が、…ベルだ。」

「⁉」

「その後は、どうにか父さんと合流し、国を出た。後は先刻言った通りだ。」

「……」

 カイの話は、受け止めるには、僕の許容範囲を超えていた。ただただ、混乱し、怖くなった。

「人は死んだら星になる。空から、俺達を見つめている。……まさしくその通りだ。あの、星のチラチラと仄暗い輝きは、あの時、俺の目に、俺の頭に焼き付いた、あの輝きだ。みんなが、あそこから俺を見てる…」

「……カイ…」

「星は、…呪いだ。」

 そう言って、カイはまた、歯を食いしばった。

 そして、こう、言葉を絞り出した。

「星なんか、…大嫌いだ……」

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