戦争

 僕は上体を起こして、カイを隣に見下ろしていた。

 カイは片腕で目を覆ったまま問いかけてきた。

「俺の国のこと、知ってるか?」

 僕は少し言い淀んだ後、正直に答えた。

「いや、正直、名前もよく覚えてない。」

 その返事を聞いて、カイの口元が笑った。楽しい笑みじゃない。どちらかと言えば、あざけるような、失笑に近い笑みだ。でも次の言葉を聞いて、嘲りの対象は僕じゃないと思った。多分、自嘲の笑みだ。

「知らなくて当然だよ。元々小さい上に、俺の国は、もうないんだ。」

「え?」

 初耳だった。僕は親友の生まれた国がなくなっていることさえ知らなかった。

 そしてカイは語り出した。

「俺が小さい時に、隣の国が攻めて来たんだ。前兆はあった。でもほとんどの人が、本当に攻めて来るとは思っていなかったんだ。あっという間に俺の住んでいた街は焼け野原になって、建物は瓦礫と化し、軍隊が攻め入って来た。誰もが皆、ただ逃げ回った。俺達家族も同じだ。逃げて、逃げて逃げて逃げて、どうにか別の国へと逃げのびた。」

 そう言えば最近ある国が戦争を始めて、毎日のようにそのニュースが流れていた。カイの言った瓦礫と化した街の映像も、何度も目にしている。僕は戦争なんか始めて、酷い国だぐらいには思っていたけど、それは遠い国の話で、どこか現実味のない、他人事ひとごとでしかなかった。

“!”

 そこで初めて、僕は最近カイの様子がおかしかった理由が、あの戦争のニュースのせいだったんだと気が付いた。僕にとって現実味のない、どこか遠い国の他人事でしかなかった事が、カイにとっては、現実に、生まれた国で、実際に自分で経験した事だったんだ。

「避難先の国は、最初俺達を温かく迎えてくれたよ。ただ怪我が治って、落ち着いてくると、いつ国に帰るんだ?いつ戦いに戻るんだ?取られた土地を、国を取り戻すんだろ?そんなことばかり訊いてきて、戦う気はない。戦いが終わるまで待つつもりだって事を知ると、手の平を返して、臆病者、卑怯者、非国民と俺達をののしるようになった。罵るだけならまだ良かった。その内、物を売ってくれなくなり、仕事を回してくれないようになり、果ては家に石を投げ込まれて、ある日、街を歩いていると、直接石を投げつけられた。身の危険を感じた父さんは、家族を守るために、国に戻って戦うことを決心したんだ。避難先の国の人間は良く決心したと、また手の平を返して、父さんを褒めたたえて送り出したよ。その後は残された俺達家族も、それなりに落ち着いて暮らすことが出来た。でも父さんが国へ戻って数日後、父さんの戦死の報せが届いたんだ。たった数日後に……」

「……」

「避難先の国の人間は、立派だった。良く戦ったと、戦場に送り出した時と同じように、父さんを褒め称えたよ。でも俺達家族からしたら、お前達に死に追いやられたんだって気持ちしかなかった。俺達家族は、その国にいるのが嫌になって、その国を出た。そしていくつかの国を転々として、この日本に辿り着いたんだ。」

「……」

 言葉がなかった。同様の話をニュースで何度も聞いていた。もちろん避難先での話なんかはニュースでは流れない。ニュースでは瓦礫と化した街の映像が流れ、戦争が始まり、攻められた国の人間が、たくさんの犠牲者を出し、そしてたくさんの一般人が、避難民となって他国へ逃亡し、それでも必死に戦い、抵抗して国を守っているということだけだ。戦場に戻る話は、一度家族と他国へ避難し、家族を残して、国へ戦いに戻る美談として語られたり、別れのシーンが、悲劇として語られたりもしていた。

 同じ話なのに、何処の誰の話かもわからないのと、親友が現実に経験した話という、たったそれだけのことで、話の重みが全く違ってた。

 カイはまだ片腕で自分の目を覆ったままだ。泣いているのだろうか?

「……、…」

 僕は何か言葉を絞り出そうして、でも何も出てこなくて、カイの顔から、視線を外した。

 最初は下を見ていた。映るのは自分の身体。そして暗い地面…ふと顔を上げると、先刻さっきと同じ、満天の星空が広がっていた。

 こんなに、感動のないものだったっけ…

 星を見ていると、小さい頃に聞いた話を思い出した。人は死んだら星になる。空から大切な人達を見守っているんだって。気休めにすらなるのかどうかもわからない。ただ、星がまたたくのを見ていると、勝手に言葉が口から漏れ出していた。

「日本では、人は死んだら星になって、そこから大切な人達を見守っているんだって、そう言われてるんだ。カイのお父さんも、きっと星になって、カイ達家族を見守ってくれているさ。」

 しばらく沈黙があった。そして――

「…フフッ…フフッ……ハハッ…ハハハ……」

「…カイ……?」

 突如力なく笑い出したカイに、僕は名を呼び、またカイの顔に視線を戻した。

 するとカイはまた先刻と同じ、自嘲気味の笑みと共にこう言った。

「その話、日本へ来てから、何度か耳にしたよ。」

 言われてみればそうだ。カイと僕が出会ったのは小学生の頃。僕が知っていることは、大抵カイも知っているはずだ。ましてやこんな話、知らない方がおかしい。ただ次のカイの言葉を、僕はその話と一緒に聞いたことはなかった。

「俺にとってその話は、…呪いでしかない。」

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