第104話 帰還

 ベッドに仰向けに寝ると、天井と星空を同時に見ることができる。

 風紀委員長のルーレ・リッヒと戦ったときに寮は半壊し、俺の部屋は壁と天井の三分の一ほどが消失していた。

 それでも俺はここで暮らしている。

 寝るときは空気の壁を作っているので安全性は問題ないし、この黄昏寮の人間はみんなほかの寮へと移住したのでプライバシーに関して気にする必要もない。

 しかし、季節が変われば、寒さ、暑さといった快適性の問題が生じることは想像に難くない。

 それに、さすがにこの部屋にマーリンを置くわけにはいかない。

 黄昏寮のほかの部屋で無傷の部屋もあるが、いまとなっては電気も水も通っていない上に、当然ながら御飯も出ない。さすがに不便すぎて移住を考えざるを得ない。可能なら水と電気の経路を修繕してもらってもいいが。


「いっそのこと、旅にでも出るか……」


 俺がそうつぶやくと、それまでマーリンを取り囲んでワイワイしていた連中がピタリと沈黙した。

 キーラ、シャイル、リーズの三人が、また性懲しょうこりもなく俺の部屋を訪れていた。


「旅って、本気? 学院はどうするのよ」


 揺れるワンサイドアップの根元で、ヘアピンのプリムラが月光に照らされ、緑をきらめかせている。

 キーラはフグのように口を膨らませていた。


「四天魔は倒したし、学院は制覇したに等しい。もう学院に用はない。自主退学する」


 俺の言葉に唖然とする三人。

 次に言葉を発したのは、その三人の誰でもなかった。


「僕とは引き分けじゃないか」


 その声は月光に照らされてできた俺の影の中から聞こえてきた。それはダースの声だ。


「聞き耳を立ててんじゃねーよ、陰険陰湿糞野郎が。あのままサシで続けていたら俺の勝ちだったろうが」


「糞野郎が単なるスラングだとしても、陰険と陰湿はひどい言いがかりだよ、エスト。僕は……」


 俺はすべての影を真空の幕で覆い、声や音の伝達を強引に遮断した。


「エスト君、学生の本分は学業だよ。制覇したとか、そういう問題じゃないと思うけれど」


 さすがはクラス委員長。至極真っ当な意見だ。

 冷静なさとし文句を口にしたわりに、彼女の瞳は一石を投じた湖面のように揺れていた。


 キーラもシャイルも俺を引きとめようとしてくれている。それを嬉しいと思ってしまうあたり、俺もだいぶ棘が擦り減ってしまったらしい。


「じゃあ旅先で独学することにする。おまえはせいせいするだろ、リーズ?」


「ふん! わたくしはあなたなんかに興味ありませんわ。だから、学院に残ってもらってもぜんぜん平気ですのよ」


 視線を完全に逸らし、髪を束ねた団子が代わりに俺を見つめている。

 いまの彼女は絶対に本心を言わないだろう。彼女は最初に出会ったころとは大きく変わった。


「マーリン、おまえは旅に出たいか? ……そうだったな」


 マーリンはしゃべれない。うなずいたり首を振ることはできるが、どんな質問にもイエス・オア・ノーでしか答えられないのは都合が悪い。


「エア、盟約の指輪の使い方を教えてくれ」


「指輪に向かって誓いの口上を述べる」


 なるほど。実に簡単だ。

 たしかにリオン城で見た映像でも初代皇帝が胸の高さに持った指輪に向かって語りかける様子が映し出されていた。


「ちょっと、それ、皇帝家の指輪じゃないの!」


 驚きのあまり、リーズのお嬢様敬語が抜けていた。彼女にとっては多少馴染み深く、そして決してここにあってはならないものだ。


「戦利品だ。皇帝の座、しいては帝国そのものを乗っ取らなかっただけ感謝してもらいたい」


「ほんとに滅茶苦茶な人ですわ! それでその指輪で何をするおつもりですの!?」


 俺はリーズにニヤリと笑ってみせた。

 彼女の当惑を意に返さず、俺はマーリンの前に立ち、胸の高さに持った指輪に言葉を送り込む。


「ゲス・エストがマーリンに能力の使用を制限する。制限内容はゲス・エストの真実を問う質問に対してのみ能力を発動すること。その対価として、マーリンが能力を発動していない間はゲス・エストの空気魔法を使うことでおのが意思を声として表現することを可能にする。マーリン、それでいいか?」


 マーリンの瞳がしっとりとした輝きを帯びた。


「そー」


 マーリンの返事を受け取った指輪が光り輝き、色を変化させる。

 宣誓が発動したのだ。

 指輪の光に照らされたマーリンの白のワンピースが赤く染まる。


「エス……ト……」


「マーリンが喋った。喋ったわ!」


 マーリンが両のほおに涙の筋を作った。

 釣られてキーラ、シャイル、リーズの三人が目に涙を浮かべた。

 マーリンは俺に抱きついた。


「エスト……あり、がとー……」


 外野の三人が騒々しく声をあげて泣いた。

 俺はマーリンの頭に手を置き、ゆっくり撫でた。


 三人が落ち着いてから、俺は改めてマーリンに問いかけた。


「マーリン、おまえは俺と旅に出たいか?」


 マーリンは少し間を置いてから、その答えを音に変えた。


「エストと一緒がいー。でも、みんな一緒がいー」


 みんなとは、キーラ、シャイル、リーズの三人のことか。

 三人は絶対に学校を離れないだろうし、仮に全員でついてこられたとしても俺が困る。

 旅の目的が目的なだけに、日毎に敵は増えるだろうし、強敵から四人もの仲間を守りきれるものではない。

 マーリンに俺と来るか皆と残るか選択させるか?

 あるいはマーリンを三人に預けてこっそり俺一人で旅に出るか?

 さて、どうする?

 どっちにしてもマーリンを悲しませてしまう。

 かといって、俺がただ学院に残ってみんなと勉学に励むなんて選択肢はなしだ。


「分かった。自主退学はやめだ。ただし、少しの間だが学院を離れることにする」


「そこまでして、どこに何をしに行きたいの?」


 シャイルが溜息ためいきまじりに訊いてくる。

 その質問の答えを求めているのはほかの二人も同じといった様子だった。


「マジックイーターの頭を潰しにいく」


「そんなどこにいるかも分からない相手を探しに行くとなると、少しの間では済まないじゃない!」


 キーラが声を荒げるが、俺は片手を上げて彼女を制した。


「居場所は分かっている。その正体も」


「えっ!?」


「マジックイーターどもは世界最大の国であるリオン帝国の皇帝家に深く侵食していた。ならばそれよりも小国であるシミアン王国、あるいはジーヌ共和国はすでに手中に納めているのではないかと考えた。だからマーリンに訊いたんだ。どちらかの国の元首はマジックイーターかと。答えは『そー』だった。そして、その元首はマジックイーターの頭かとも訊いた。答えは『そー』だった。それから、マジックイーターの頭が元首を務めているのはシミアン王国かと訊いた。答えは『ちがー』だった」


 三人は愕然としていた。

 中でもシャイルの受けたショックは大きかった。シャイルはジーヌ共和国の出身なのだ。


「……分かった。必要なら、エスト君の休学手続き、手伝うわ」


 その言葉にキーラもリーズも目を丸くした。しかし、少し時間をかけて二人はシャイルに理解を示した。

 二人とも帝国出身であり、今回の一件でどうにか帝国からマジックイーターを排除することができた。とても他人事ではないのだ。


「私たちにも手伝えることがあったら言ってよね」


 キーラがそう言い、リーズもコクリと頷いた。


「だったらマーリンを預かってくれ。今度こそ絶対にさらわれるなよ」


「任せてよ! 私だって強くなったんだから!」


 キーラの頭に刺さったプリムラが、月光を反射してキラリと光った。


「よし、安心してジーヌ共和国を征服しにいける!」


「ちょっと!」


 俺の旅が世界に激動をもたらす。


 しかし、それは俺の目的ではない。単なる結果だ。

 正直なところ、マジックイーターが世界を乗っ取ってしまって世界的な魔導師狩りを敢行したとしても、それは俺の知ったことではない。

 俺はただ強い奴と戦いたい。

 そして、自らの最強を証明したい。

 ただそれだけだ。

 大義なき男が大義に尽くす者どもを蹴散らすとは、なんたるゲスか。


 ゲス・エストがゲスであること。

 それももちろん、目的ではない。

 単なる結果なのだ。



―――――――――――――――――――――――

【あとがき】

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

第二章 《帝国編》はここまでとなります。

次話からは第三章 《共和国編》で、マジックイーターとの決着をつける話になります。

引き続きお楽しみください。


また、★の発生型魔法で評価をいただけると今後の活動の励みになります。

物語が面白いと思っていただけたら、ぜひ評価や応援、フォローのほどよろしくお願いいたします。



(2024/12/1追記)

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