ナーロッパ建築試論

富士之縁

「中世ナーロッパ建築警察」は何故いないのか

「○○警察」……それは、具体的に代入される任意の○○について、小説に書かれていることが現実と異なっている場合に、鬼の首を獲ったように作者の無知を指摘するタイプの人々である。

 最もよく知られている例として、「ジャガイモ警察」が挙げられる。


 ジャガイモは中世ヨーロッパには存在しないので、中世ヨーロッパを範としている(ように思われる)なろう系異世界にジャガイモが出てくるのはおかしい! というわけである。


 多くの読者がご存知の通り、なろう系異世界に限らず、ノンフィクション以外の分野では「現実がこうだからコレはおかしい」みたいな話は基本的に通用しない。

 歴史小説ですら、別に全てを現実に忠実に描く必要はない。むしろ、虚実を織り交ぜる技巧が問われる分野なので上手に嘘をつく必要がある、と言ってもいいだろう。


 そういうわけで、賢明な読者諸氏におかれましては、「○○警察」を相手にする必要がないのだから、未確認生物である「中世ナーロッパ建築警察」を相手にする必要もない=こんな雑エッセイを読む必要もない、とお気付きのことであろう。



 正解! ……なのだが、せっかくなので最後までお付き合い願いたい。



 ちなみに、「ナーロッパ」はヨーロッパ風のなろう系ファンタジー世界を指す用語であり、主に中世ナーロッパとして用いられる。

 詳しい定義は特にないと思われるが、多くのなろう系作品の作者や読者によって緩く共有された世界観である。

 なろう系作品は、作者―読者間で多くの前提を共有することによって長々とした描写を大きく排除するという特徴がある。

 これは、「ストーリー進行に不要なストレスを最小化させる」ことが求められるweb小説の基本的なテクニックの結晶だと見ることもできる。


※この手法は人気ジャンルでランキング上位を目指す場合に身につけておくと上位を取れる可能性が高まる、という程度の代物なのでそういう方向性を目指さないなら気にする必要はない。


 登場人物の名前をカタカナにするとか、テンプレ通りの展開なら描写を最小化させるとか、そういうことが求められるのだ。

 当然、描写を最小化させる過程で、建築に関する描写は最小限に抑えられる。

 あるいは、建築を描写することもなく、「宿屋」や「教会」などのビルディングタイプだけの記述に留められる。

 まあ、あまり異世界系ファンタジーを読んでいないので9割偏見なのだが、そんなに外していないとも思っている。


 最小限しか描写がなければ、どういう建築なのか把握できない。

 つまり、「そんな建築が中世ヨーロッパ風の世界にあるのはおかしい!」と指摘することもできない。

 これが、「中世ナーロッパ建築警察」がいない理由の一つである。


 また、建築学科の教授陣が毎度嘆いているように、(私も含めて)日本人が建築に関する興味や知識をほとんど持っていないという問題もある。

 作者サイドが建築に対する造詣を深めて文章に反映させようとしても、読者にとっては(その描写がストーリーの駆動に関係ないなら)興味のない話や、(使う単語が難しいと)よく分からない単語の羅列を見せられている状況以外の何物でもない。

 建築ごときのせいで読者が離れるのなら描写しない方がよい、と考える方が合理的だ。

 これも、「中世ナーロッパ建築警察」がいない理由の一つである。


「どうしようもないから、この記事はやっぱり無駄なのでは?」


 と思ったそこのあなた。


 コミカライズやアニメ化された時のことを想像してみてほしい。


 文章では省略できても、漫画やアニメといった媒体では建築から逃れられないことが理解できたかと思われる。

 もちろん、作者が建物を描くわけではないだろうし、ひとつひとつ「こういう建物でお願いします」と発注することもまあないはず。

 しかし、「原作者の判断が欲しい」となった時に慌てて悩むより、事前に少しは考えた方がいいのではないだろうか?


 とはいえ、賢い読者諸氏から次のような反論が来ることも想定される。


「異世界コミックとか異世界アニメって既に大量に出てるけど、建築描写でごちゃごちゃ難癖つけてくるやつとか1人もいなくね?」



 ……その通り!

 やはり「中世ナーロッパ建築警察」は未確認生命体と言える。


 先ほどまで不安を煽っておいてアレだが、何故「中世ナーロッパ建築警察」がいないのかというメカニズムを知って、安心して創作活動に励んでいただくためにも、あと少しだけお付き合いいただきたい。



「中世ナーロッパ建築警察」がいない理由は以下の3つに集約される。


①、建築に詳しい人は基本的に忙しいのでなろう系とかわざわざ見ない。見たとしてもわざわざ指摘するのは野暮だと心得ているから。

②、西洋建築史の講義を受けた程度では中世ヨーロッパの(特に教会以外の)建築についてドヤ顔で喋れるぐらいにはならないから。

③、我々一般庶民が気軽に中世ヨーロッパの(特に教会以外の)建築についての知識を得られるような書籍があまりないから。


 ①については個人の問題なので特に掘り下げない。偏見といえば偏見なのだが、実態には合っているはずだと思っている。


 ②は、建築学科で学んだ人間なら共感していただけるだろうが、基本的に半期の講義を1個受けた程度では正直どうにもならない。

 しかも、中世の西洋建築史は基本的に宗教建築の話しかしないと言っても過言ではないので、その辺の建築学生を捕まえて「中世ヨーロッパの民家ってどんな感じなんですか?」などと質問しても(自分含めて)まともな回答は期待しない方がいい。

 仮に、「一般的な特徴はこんな感じ」と説明できたとしても、地域ごとに差があるはずなので「こんな描写はおかしい!」みたいに強く罵るところまで行くのは難しいだろう。そもそも、ヨーロッパという括りが広すぎる。


 要するに建築を学んでいる人の中でも、西洋建築史を専門的に学んでいる人でなければ土台に立てないのである。

 ちなみに西洋建築史は建築学科でもマイナーな方なので専門家は多くない。


 そうは言っても、ジャガイモの専門家でも何でもない人たちがジャガイモについてアレコレ言えるのと同じように、インターネットや書籍で簡単に知識を得られればよいのだが、この問題に対する銀の弾丸は今のところ存在しないと思われる。


 ③はそういう話だ。

 西洋建築史に関する一般向けのやさしい本は少ないし、(学校でも基本的に宗教建築などの有名どころがメインなので)一般的な建物に対する描写のリアリティ向上に即座に役立つことが書かれている可能性は低い。

 もちろん、漫画の背景などに役立てるための資料本なども散見されるのだが、そういう本は往々にして写真メインであるため、それだけを頼りにゴチャゴチャ言うのはやっぱり難しい。

 海外の書籍にあたれば多分何かよさげなものがありそうだと思うものの、ハードルが高い。


 要するに圧倒的資料(史料)不足によって作者も指摘する側も困っているというのが実情だろう。

 異世界ファンタジー需要はそれなりにあるのだから、この辺を一気に解決する決定版のような(主に漫画・イラスト界隈向けの)資料が出ればそれなりに売れるのではないか、と思うのだが……。

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