第53話 傀儡の剣




 薛香姫せっかひめに招かれた宴の翌朝、ろう宋十郎そうじゅうろう夏納かのうの城屋敷へ向かった。御前試合に参じるためである。孔蔵くぞうは御前試合には呼ばれておらず、宿で待つことになった。

 試合のあとには薛香姫が手配してくれた夏納の舟で、伊勢いせまで送り届けてもらうことになっている。内海を回り込む必要はなくなるので、彼らには近道となる。

 宋十郎が宿の亭主に聞いたところ、夏納飛梁ひばりが相撲や剣術試合を好むことは領国では有名で、国が小さかった頃には、道端で出会った浪人と家臣を試合させ、腕が立つようならその場で召し抱えたこともあったという。

 今や夏納は大勢力となり、通りすがりの者が突然家来の仲間入りをするということはなくなったが、息抜きとして試合が行われることがあり、それは家臣たちにとっては重要な社交場となっているらしい。


 城へ着いた宋十郎と篭は、城門で薛香姫から受け取った招待状を示し、さらに進んで屋敷の門では腰の刀を預けた。

 広い庭に入ると、大勢の侍がたむろしていた。

 篭がきょろきょろと辺りを見回していると、そこに茂都もとが駆け寄ってきた。

十馬とおまさま、いらっしゃったのですね。申し訳ございません。私が余計なことを喋ったばかりに」

 茂都の顔を見、篭は思わず微笑んだ。

「おはよう、茂都。そんな、大丈夫だよ。昨日は薛香がおいしいごはんをたくさん食べさせてくれたし、今日も舟で送ってくれるんだって」

『まあ、謝ってもらっても何も元通りにならないしね。気持ちは嬉しいけど』

 その時も同時に十馬が喋るのが聞こえたが、篭は無視するしかない。

「それなら、良いのですが……」

 茂都は眉を下げ、ちらりと篭の背後の宋十郎へ視線を動かしたあと、また篭を見た。

「本日の試合形式は勝抜きだそうです。上手く負けてしまえば試合は一度で済みます。もちろん、全力で挑まれれば十馬さまのこと、良い筋までゆかれるでしょうが」

 そこで中庭に夏納の侍が現れ、参加者たちに向かって着席を呼び掛けた。侍たちはぞろぞろと、庭の端の敷物の上に移動してゆく。

「殿、我々も座りましょう」

 宋十郎に声を掛けられ、篭は頷いた。

「茂都、また話しに来てくれてありがとう。頑張ってね」

 彼がそう言うと、若侍は破顔し、一礼してから歩き去っていった。

 歩きながら、宋十郎が言う。

「お前も同じことを考えていると思うが、勝ち抜こうとは思わず、一戦目で負けておくのが良いだろう。私たちは、薛香姫への義理を果たしに来ているだけだ」

 篭は頷いた。

「うん。試合なんてしたことないし、おれ、勝てないと思うよ。ねえ、薛香のお兄さんて、どの人かな?」

 彼は敷物の上に並んで座り始めた人々や、庭に面した屋敷の外縁に座っている侍たちを見回した。五十人を超える人が集まっており、人を見分けるのが苦手な篭には、もはや茂都がどこに消えたのかもよくわからなかった。

「それらしい人物は見当たらない。夏納領主ともなれば多忙を極めるだろうから、御前試合といっても前半は現れない可能性もある。夏納は今、東では梔邑しむら叢生くさなりと争い、西は御所のある都を庇護下に置いて中国四国に睨みをきかせている。天下人と称される所以ゆえんだ。幕府の威光が届く領域は、事実上夏納が宰領していると多くの人は見ている」

『それだから今の将軍さまは飛梁を殺したくて仕方ないんだよね。自分のお城を建ててくれたのも飛梁なのに。何より、夏納を消しても別の奴が取って替わるのが関の山だと思うけど』

 宋十郎に被せて十馬までもがややこしいことを喋り始めた。篭がぶるぶると頭を振ると、宋十郎が怪訝そうに彼を見つめた。

「……どうした」

「あっ、あ。何でもない」

 その時、夏納かのうの家臣らしき侍が外縁の上から語りだしたので、彼らもそこで口を噤んだ。

 侍は書簡を取り出して読み上げ始めた。どうやら宋十郎の予想は正しかったようで、飛梁ひばりはまだ来場しないが、試合を始めるらしい。

 試合では本物の武器は用いず、夏納が用意した木製の偽物を使う。実際に相手を打ちのめす必要はなく、獲物の先が相手の体、特に急所に触れれば一本取ったと見做される。

 一組目の参加者が名を呼ばれ、二人の侍が庭の中央に設けられた土俵の中へ歩いていった。

 土俵の端には槍架そうかがあり、木製の様々な武具が立て掛けられている。二人の侍が各々武器を取ると、試合が始まった。

 招かれているのは腕利きの武人たちであるからして、試合は興味深いものなのだろう。一戦二戦と続くうちに、篭は隣の宋十郎が、いつの間にか食い入るように土俵を見つめているのに気付いた。

 何戦目かで、とうとう順番が回ってきた。

籠原かごはら十馬どの」

 名が読み上げられ、どれくらい経っていたのか、宋十郎に袖を引かれて篭ははっとした。

 宋十郎に頷きかけられて、彼はぎくしゃくと立ち上がった。

 先ほどまでの侍たちの真似をすればよいのである。彼は今まで見ていた光景を思い出しつつ、人垣を抜け、庭の中央へ歩いていった。

 もう一人歩み出てきたのは、随分大柄で厳つい侍だった。

「武器を取られよ」

 行司ぎょうじらしい男に命じられ、篭は慌てて槍架へ駆け寄った。

 ちょうど彼が持ち歩いている脇差くらいの小振りな木剣があり、彼はそれを取った。

 観覧席からいくつもの視線が注いでいるのを感じ、篭の心臓は駆け始めた。

 手袋の下の手が、じとりと汗をかき始める。

 対戦相手を真似て、土俵の反対側に立った。二人の間には七歩ほどの間がある。

 宋十郎は見ているだろうか、そう思って観覧席へ首を回したら、行司の鋭い声が耳に届いた。

「始め!」

 瞬時に、対戦相手が踏み込んできた。

 距離があったことが篭には救いだった。

 完全に不意を突かれていたにも関わらず、篭は槍の穂先を寸でのところで躱した。反らせた身が後ろへ倒れる。十馬の体が、右手を地面に着いてくるりと立ち上がった。

 相手は突きを薙ぎに変えた。鋭い一閃である。篭の体はそれも身を捻って躱す。

 武器は本物ではないが、当たったら絶対に痛い。早く負けた方がいいと言われたが、あれに打たれろというのか。篭は困惑した。

 彼の目には相手の影と動きがよく見える。鬼の体はよく動く。ひらりひらりと躱し続けることはできるが、これでは埒が明かない。

 進展しない状況に観衆が焦れ始めるとともに、相手の男の息が乱れ始めた。

 男は連撃を繰り出すのを止め、逃げてばかりの彼と距離を取る。

 観覧席から呟くのが聞こえた。

「時間制限はないのか?」

「一合も交えない場合、両者とも不戦敗か?」

 どうやら避け続けていることが人々の不興を買っているようである。篭が冷や汗をかき始めたところで、十馬が言った。

『宋のお言い付けなんて守らなくても、要は終わればいいんだよね』

 なるほど、勝った場合でも試合は終わる。

 そう思った時には、彼の体は動いていた。

 突然動きを変えた彼に、疲労している相手が反応するのが遅れた。

 地面を蹴って大きく斬りかかった彼の一撃を、槍の胴が辛うじて受け止める。

 篭の目には、相手の手元が疎かになっていることが見えた。

 止められた刃の向きを変えると同時に身を進め、槍を握る両手の指を落とすつもりで、槍の胴の上に木剣の刃を滑らせた。

「うっぐ」

 指を打たれた侍が呻く。その隙に、彼は身を翻し刀を回して相手の胴を裂いた。

 実際には木剣が胴を打っただけである。

 ぱすんと渇いた音がして、行司が「終わり!」と叫んだ。

 ほおおと、観覧席から感嘆らしき声がまばらに漏れた。

「勝者、籠原どの!」

 続いて響く行司の声に、篭は我に返る。

 心臓が口から飛び出しそうに駆けていた。

 今闘ったのは、彼だろうか、十馬だろうか。

 彼は全身が痺れているように、感覚が遠のくのを感じた。

 襲い来た眩暈を必死で堪える。

 木剣を槍架に戻す手も観覧席へ戻る足も、もはやひとりでに動いているようだった。

 人垣に分け入り、しかしすぐに宋十郎を見つけられず、よろめきながら遠回りしてやっと先ほどの席に戻った。


 隣に座った彼を、宋十郎が問いかけるような眼差しで見つめた。

 宋十郎の言わんとしていることはわかる気がした。

 彼は眩暈に耐えながら、ぼそぼそと言った。

「ごめん、あれで殴られたら痛そうだって、思って……」

 しかし宋十郎は、彼の想像とは違うことを問うた。

「どうした。気分が悪いのか」

 どうやら悪い。そう答えようとした時、十馬が喋った。

『なんだかまだ足がつってるんだけど、何これ。なんだっけ、寺本の忍の術って本当に解けた? 人が弱ってた時にさ、反則だよあの忍。何したかされたかよくわかんないのも気持ち悪いし』

 こんな時に、唐突に嫌なことを思い出させる十馬である。

 考えてみると、影貫かげぬきの術とは何だったのか。もし完全に解けていなかったとしたらどうなのか。影貫は、篭に殺してほしい者がたくさんいると言っていた。この眩暈は、あの黒い腕が出る時のそれに似ている。まさか、これほど多くの人がいる場所で、あれが出たりするのだろうか。

 そう思ったら、今度こそ全身が強張った。心臓が、どくどくと音をたて始めた。

 十馬が言った。

夏納かのう飛梁ひばりが出てくる前に、ここを離れたほうがいいかも?』

 篭は、立ち上がった。

 彼の周囲に座っていた何人かが、顔をこちらへ向ける。宋十郎が、見開いた瞳で彼を見上げた。

 人の間を割って歩き始めた篭を、宋十郎が追ってくる。

 人垣を出て、篭は大股に庭を離れ、渡り廊下に向かって歩く。心臓が鳴るあまり、呼吸が詰まったように感じる。

「篭、どうした。待て」

 宋十郎が追いかけてくる。その宋十郎を振り返る前に、前方の回廊から歩いて来る人影を見た。

 人影は四つである。

 背が高く炭のように黒い肌をした男と、その前を歩く総髪の男。総髪の男が語り掛けているのは、何と寺本昂輝のぶてるである、そして優れない顔色で相槌を打つ昂輝の背後を歩いているのは、影貫だった。

 忍の細められた目が彼のそれと合い、にいと笑う。

『あーあ』

 十馬が呟いた。

 影貫の右手が上がり、躍らせた指がぐいと握られるのを、篭は見た。







 篭の様子がおかしい。孔蔵の挙動も、明らかに以前と異なる。

 宋十郎はそれに困惑しないわけではない。しかし戸惑っている暇は常にない。

 理由を推測する。

 孔蔵は明らかに寡黙になった。必要なことを言わないわけではないが、余計なお喋りをせず、彼とも最低限礼を失しない程度にしか目を合わせない。

 十馬が孔蔵に何か話した可能性は充分にある。しかし十馬が知っていて宋十郎が知らぬことは多いはずであり、孔蔵が何を聞いたのかまでは、憶測の域を出ない。

 ただ重要なことは、それでも坊主は彼らに供し、十馬に憑いた鬼を除く気であるらしいことだ。坊主が彼を欺いている可能性もあるが、それは低いだろうと宋十郎は思う。嘘や隠し事を好まないと言い、彼にちかいの酒を飲ませたのは他の誰でもない孔蔵である。

 一方で篭が変化していることは、あの者と旅を始めた時から常に言えることだ。ただ、富多川ふたがわのほとりで再会した時、彼は篭から鬼の瘴気を嗅いだ。そして昨日姫川岳ひめかわだけで再会した時には、篭は明らかに魔物の気配をさせていた。

 篭は傷を負う度に鬼に近付いてゆく。傷は何も肉体に負うものに限らないのだろう。今の篭はかつての十馬と、ほとんど同じ臭いをさせている。

 彼は、燕だったという篭が何か別のものへ変わってゆく様を見つめている。進む腐食を目の当たりにしながら、何もできずにいる。

 それは、所詮彼が守るものでなく殺すものだからだろうか。あるいはそんなことは自らに向けた言い訳でしかなく、彼は起こるべくして起きていることを見送っているだけかもしれない。怠惰と冷酷は、この場合表裏一体だ。

 否、彼は思う。彼はただ卑怯なだけだろう。彼は哀れで小さなものを、生贄にしようとしているのだ。彼は我が家と彼の兄のために、篭を見殺しにするだけだ。そしてそれは、あの者自身が望んだことでもあったではないか。

 今も、篭に新たな変化が起きている。夏納の御前試合で一戦終えて戻ってきたと思ったら、篭が突然立ち上がった。影を見たのか鬼の声を聞いたのか、篭は無言で観覧席から立ち上がると、屋敷の方へ向かって歩き始めた。

 幸い観覧席の誰も、篭の行動を咎めなかった。宋十郎は兄のなりをした後姿を追う。

 足早に篭が向かった先には、何と夏納飛梁と思しき大夫と寺本昂輝、そして影貫がいた。

 影貫が篭を見るなり影を縫ったのが、わかった。

 まさか。彼がそう思うが早いか、篭の全身が引き攣った。

 余所者の存在に気付いた飛梁は既に立ち止まっており、その護衛らしい黒い肌の男が前に出る。

 ぽかんと口を開いた昂輝が「お前は」と声を発したのと、篭が昂輝に駆け寄ってその腰にあった脇差を抜き取ったのとは、殆ど同時だった。


 はがねが鳴いた。

 ぶつかり合ったのは、篭の脇差と護衛の刀である。護衛の刀は弦月のような弧を描いた曲刀で、明らかに渡来の逸品である。

 目にも止まらぬ速さで、篭が弾かれた刃を切り返す。護衛は二撃目も、曲刀の腹で受け止めた。

「退がられよ」

 飛梁ひばりらしき大夫が言い、抜刀しながら昂輝のぶてるを庇うように腕で制した。その背後で目を細めている影貫かげぬきを見て、宋十郎はここでの獲物が誰かをやっと理解した。

「篭!」

 宋十郎は叫んだ。

 しかし篭は動き続け、止められた刃の軌道を変えて護衛の腹を狙った。

 体格差もあってやり辛いのか、逃れきれずに僅かに腹を裂かれ、黒い肌の男は眉を動かした。その間に、飛梁が篭へ斬りかかる。

 二方向から刀を向けられた篭は器用に身を反らせて凶器を避けると、蝶のように袖を翻し、するりと回転して後方へ退いた。

 この動きは十馬だ。

 そう思った宋十郎が兄の名を呼ぶより刹那早く、昂輝の声が叫んだ。

「陣明、何やっとる!」

 仰る通りではある。昂輝の向こうで無為に突っ立っているように見える影貫は、抜く剣もなく狼狽えている宋十郎と、傍目にはいい勝負だろう。

「十馬!」

 今度こそ、宋十郎はその名を呼んだ。

 呼ばれた後姿が痙攣する。

 曲刀が斜めに斬り下ろされる。

 今度こそ避ける暇はない。

 そう思った宋十郎は、篭の体を突き飛ばし、曲刀の前に躍り出ていた。

 彼が庇ったのが篭であろうが十馬であろうが、その体は斬られてもすぐに傷は塞がる。自分の行動の不可解さに驚いている間に、宋十郎は右腕に燃えるような痛みを感じる。

 眼帯を着けていない右目が振り返り、発されたのは、篭の言葉だった。

「宋十郎」

 みはられた瞳も篭のものだった。その瞬間、彼は自らをじた。あるいは、愧じていたことに気付いた。冷酷な卑怯者になど、彼は、なりたくはない。

「刀を捨てよ!」

 飛梁の鋭い声が、宋十郎の鼓膜に届いた。気付けば飛梁と護衛の二人が、棒立ちする篭に刀を突き付けている。昂輝が言った。

「飛梁どの、この者、私が柳坂で会った侍……確か瑞城たまきに仕える窪谷くぼや家の養子だとか言うておったが」

「誰であろうと、話は牢で聞こう。彌王やおう、」

 飛梁に呼び掛けられた護衛の名は彌王というらしい。しかしその彌王が反応する前に、篭がふらつき、地面に膝を突いた。手から脇差が抜け、地面に突き立つ。

 ここへ来て何が起きているのか気付いたらしい昂輝が、見開いた両目を影貫へ向けたが、忍は素知らぬ振りである。影貫は篭に近付くと、脇差を拾って昂輝へ返し、篭の腕を掴んで立ち上がらせた。混乱した眼をしている篭に、抵抗する様子はない。

 宋十郎は、力の入らない右腕を押さえながら訴え掛けた。

「お待ちください」

 飛梁は刺すような視線を彼に向け、しかしすぐに逸らし、母屋へ向かって声を張り上げた。

「おい、誰ぞおらぬか。曲者と怪我人ぞ」

 彌王は顔色一つ変えずに刀を篭に向けているが、着物の腹には徐々に血が染みつつある。

「昂輝どの、お怪我はないか」

 そう飛梁が声を掛けたところで、屋敷の中からばらばらと人が駆け出てきた。

 昂輝は青褪めた顔で首を振る。若殿は呆然としている篭と涼しい顔の影貫を見比べ、最後に宋十郎に目を向けたが、彼と目が合うなり視線を落とした。

 宋十郎の想像通りならば、寺本は宗家から飛梁の暗殺を命じられていると思われるが、表立って夏納かのうと争っているわけではもちろんない。またこの人の好さそうな若殿の様子からして、篭を操って飛梁を狙ったのは、どうやら完全に影貫の独断である。

 しかしそれを知っている彼らのどちらも、ここでそれを口にすることができない。

 強張った声で、昂輝が言った。

「私は何ともない。その、そちらの男は、窪谷何某なにがしの連れだ。窪谷氏にはてんの病でもあるのだろう、柳坂やなざかで見た時は、侍医じいらしい坊主が供をしていた」

 飛梁の目が、呆としている篭を見ていくらか納得の色を見せたものの、次いで影貫へ向いた。忍は、駆け寄ってきた夏納の家臣に篭を引き渡している最中であり、当然知らぬ顔をしている。

 飛梁は視線を昂輝へ戻すと、一度会話の幕を引くように、言った。

「ご存じの者であると聞いてまずは安心した。ならばあとは医者の仕事であろう。汝ら、ここは任せたぞ」

 頷いた夏納の家臣は、篭の肩を掴んで連れてゆく。別の侍が彌王に状況を訊ね始めた。飛梁と寺本は、影貫を従え中庭へ向かって歩いてゆく。こんなことが起きても、催し事はやめないのだろう。

 彼はというと、屋敷のどこぞへ移ることになった。篭とは違う場所へ連れてゆかれるようである。

 剣も持たず、剣を握るべき右腕から血を流しながら、宋十郎は案内人のあとを歩いた。

 暗闇が怖いと篭が言っていたのを、不意に思い出した。

 闇に棲む鬼になるのは、もっと恐ろしかろう。

 声になり損ねた溜息が漏れた。彼を挟んで廊下を渡る侍たちの誰にも、当然気付いた者はない。

 彼は懸命に、絡まる思考を回そうとした。彼はこれから夏納の役人から受けるであろう尋問への回答を、用意しなければならない。

 腕だけでなく全身が痛むのはなぜだろうか。

 篭に憑いているという妖魔が、昼の日陰の中でくすくすと嗤ったような気がした。




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