第43話 賽の目にうらなう




 柳坂やなざかの街は宵闇に落ちている。

 孔蔵くぞう博打ばくち小屋にいた。

 狭い小屋の中では、着物もろくに来ていない河原者こじきから町人、商人、下級武士まで、袖まくりして膝を崩した連中がむしろを囲み、血走った眼で踊る賽子さいころを睨みつけている。

 孔蔵自身は小屋の壁際に、像か何かのように突っ立っている。

 有象無象の連中に、女着物を着て笠を脱いだ十馬とおまが混ざっているのを睥睨しつつ、孔蔵は自分の眉間に皺が寄るのを感じていた。

 なぜ博打か。理由は二つある。

 一つ目には、着物を買う金が必要だと、十馬が言ったからである。

 盗むのも死人から頂戴するのもだめならば、博打をやって稼ごうと青年は言った。ついでに孔蔵の怪しい記憶によると、彼の学んだ経典では、博打そのものは直接禁忌とされてはいなかった。

 二つ目には、十馬曰く、ここに小鬼が現れるはずであり、その小鬼が凶鬼まがおにとやらを倒すための手掛かりをくれるはずだというのである。

 小鬼は鋲鉢びょうはちという名前で、一見町人風の痩せた男の外見をしているという。

 昔から十馬が賭け事に興じると頻繁に姿を現す小鬼であり、締め切られている博打小屋の中でいつの間にか頭数が増えているようなことがあれば、そいつが鋲鉢だという。

 孔蔵は腕組みをして、その小鬼が現れるのを待っている。

 今夜出なければ出るまでやるのかと問いたいところだが、ごろつきどもに混ざってわあわあ騒いでいる十馬を見る限り、答えはと返ってきそうである。

「はい、またおれの勝ち? 他にこの目に賭けてた人いないの? いない? じゃぁこれ全部もらってくよ」

 今や膝と両手で床に貼り付いている十馬は、他の連中が膝元に積み上げていた小銭に腕を伸ばし、ざらざらと搔き集めている。

「捻り殺すぞ糞餓鬼」「いかさまかふざけんな釜野郎」等々、小銭を奪われた他の客からは不平と野次の嵐だが、青年はお構いなしである。

 孔蔵も餓鬼の頃は馬鹿なことをいくつかやったが、賭け事にだけは全く食指が動かなかった。笑う十馬にも喚く男どもにも首を捻りつつ、なぜ十馬が勝つのか後で聞いてみようと思う。

 しかしその時、有象無象うぞうむぞうの連中の背後に立ち、騒ぎを見てうひゃうひゃと嗤っている男がいることに気付いた。

 薄っぺらい着物を着た、痩せた町民風の男である。先ほどまで、あんな男はいなかった。

 直感的に、こいつが小鬼に違いないと感じる。

 孔蔵は男に近付くと、低く「おい」と声を掛けた。

 男が振り返って彼を見上げ、さっと青褪める。

 小鬼がそんなことをするのかわからないが、逃げ出したり騒ぎだしたりされる前に、彼は男を睨んだ目を外さずに、表へ続く戸を顎でしゃくった。

「ちょいと、出てもらおうか」

 低音で、孔蔵は言った。

 青褪めた男は、孔蔵の顔と握られた拳を見比べると、身を縮め、狭い小屋の中を歩き始めた。

 薄い戸に近付いた時、男が足を速めた。人間ならば戸に激突するところだが、小鬼が逃げようとしていると気付いた孔蔵は、胸元に持ち上げていた片手で印を結び、呟いた。

ウン

 びくりとして、男の体が凍り付く。

 その隙に孔蔵は腕を伸ばすと、男の肩越しに戸を引き開けた。


 暗く細い裏通りで、孔蔵は小鬼と思しき男を睨み下ろした。

「お前が、鋲鉢か」

 男の額から、にょっきりと小さな角が八本ほど現れ、皮膚が心なしかあおみがかった色へ変わる。男はへへへと、気まずそうに笑った。

おれの名前をご存じですか。旦那、黒鬼さまのお連れさまで?」

「黒鬼ってのは、十馬か」

 へっへへと、鋲鉢は卑屈に笑う。

「御名を口にするのは、己には畏れ多いんで」

 あの餓鬼が、そんな大したたまには見えない。孔蔵が首を捻ったところで、今し方彼が閉めた戸が開き、笠を手にした十馬が現れた。

「や、鋲鉢」

 声を掛けた十馬を、小鬼が振り返る。

「旦那。またお久しぶりだと思ったら、今日は随分立派なお召し物ですね」

 相手に合わせたように、十馬がへっへへと笑った。

「おれはあか牡丹ぼたんが好みなんだけど。桃花とうか淡桃あわももでもいいかもね。ねぇ鋲鉢、今日もお前に稼がせてやったわけだから、ちょっと教えてくれないかな」

 あっさりと話題を変えると、単衣の袖を手遊びに摘まみつつ、十馬が小鬼の顔を覗き込んだ。

 鋲鉢は露骨に顔を顰める。

「言うほど今夜は稼いじゃございませんぜ。何ですか」

 十馬はにこりと微笑むと、言う。

麹見岳きくみだけの戦で首の数を賭けてた時のこと覚えてるよね? あの時お前は上埜うえの兵の首が足りないからって、凶鬼を焚きつけてもっと首を刈らせようとしたらしいけど、あの時お前が出したのは、誰の名前だったかな?」

 鋲鉢の顔が、明らかに青褪めた。小鬼でも青褪めるのかと、孔蔵は変に感心する。

「そ、そりゃあ……」

 口ごもる小鬼に、十馬が首を傾げる。

「うっかり馬鹿なことを言ったから、お前は痛い目見たわけだけど、もう一度言ってくれないかな? 今凶鬼は留守にしてるし、お前が喋らないと、代わりにこっちのお兄さんが、お前の目玉を灼き潰すかも?」

 ふと孔蔵は、小鬼の両耳が千切られてなくなっているのに気付いた。

 そしてお兄さんというのが自分のことらしいと気付き、孔蔵は眉を曲げて十馬を見たが、青年は彼の方など振り返りもしない。

 へっへへへへと冷や汗をかきながら空笑いする鋲鉢は、やがて観念したように、口を開いた。

「しゃ……」

「しゃ?」

 十馬が聞き返す。

 ひゅっと息を吸い直した小鬼は、言った。

舎雉鬼しゃじき……」

「しゃじき?」

 確かめるように繰り返した十馬に、鋲鉢はぶんぶんと首を縦に振った。

「そ、それ以上は知らねえ。大湖おおうみの巫女を当たってくれ。もう己ぁ、とばっちりはごめんですよ」

 傾けていた頭を戻すと、十馬は笑った。

「じゃあ、おれのところに来なきゃいいよね?」

 小鬼は少しずつ横歩きして十馬から離れつつ、言う。

「好きで来てるんじゃありませんや。黒鬼さま、あんたはいかれ亡者の糞の吐き溜めですよ。早いとこすり尽くしてぼったくられて凶鬼に刻まれて、冥府へおさらばしたら二度と戻らねえでくだせえ。己はあんたの匂いも嗅ぎたくねえ」

 台詞の終わりがけには、既に鋲鉢は後ろ歩きで、彼らから離れつつあった。

 しかし、いくら十馬相手とはいえ、あまりな言い草である。孔蔵は鋲鉢と十馬の顔を見比べ、言いかけた。

「おい、」

 十馬はくるりと彼を振り返ると、まだ鋲鉢を真似ているように、へっへへと笑う。

「舎雉鬼に大湖の巫女だって。覚えましたか、孔蔵さん?」

 遮られた孔蔵は眉間に皺を寄せつつ、十馬を睨んだ。

 しかしもうその十馬の向こうには、小鬼の姿は見えなかった。







「さて孔蔵さん、おれ、今夜の宿を決めました」

 賭場を出て、銭が詰まった袋を懐へ詰めながら、十馬が言った。

 天邪鬼が喋ると嫌な予感しかしない孔蔵は、それでも一応相槌を打った。

「どこだよ」

 十馬は楽しそうにくるりと半回転し、通りの先に見えるひと際大きな屋根を指す。

「あの旅籠でーす」

 いちいち癇に障る喋り方はさておき、その旅籠は、この街で一番立派な宿である。恐らくあそこに宿泊するのは、領主やそれに近い身分の侍くらいだ。

 たしかに賭場で荒稼ぎした今なら不可能ではないが、そんなところに金を注ぎ込む意味がわからない。

 孔蔵は眉を寄せた。

「なんでだよ?」

 十馬は答える。

「楽しそうだから」

 孔蔵のこめかみに青筋が浮いた。あははと笑った十馬が付け足す。

「宋が来なさそうだから」

「なに?」

 まだ青筋を浮かべたまま、孔蔵は下顎を突き出して天邪鬼を睨んだ。

 十馬は説明する。

「だから、さっき言ったよね。宋がいたら仕事ができないって。うっかり追いつかれたら簡単に撒けないから、そろそろこの辺から気を付けといたほうがいいかなって」

 言われて、孔蔵は考える。しかし。

「その程度、説明してわからねえ宋どのじゃねえだろ。心配して探し回るかもしんねえじゃねえか。適当な旅籠見繕って、置手紙くらいしとくべきじゃねえのか」

 すると天邪鬼は、両手の人差し指と共に首を小さく振る。よくもまあ、こうもいちいち癪に障る動作を思いつくものである。

「あのね孔蔵さん、あんたも聞きたくないだろうし言っても信じないかもとも思ったから黙ってたけど、おれと宋ってすごく仲が悪いんだよ」

 眉どころか鼻筋も唇も歪めた孔蔵は、十馬を睨み下ろす。

「んなこた、聞かなくても想像くらいできらぁな。あんたら、死ぬほど似てねえ兄弟だよ」

 あっはっはと十馬は笑う。

「まあね。でも仲悪いって、多分孔蔵さんが思ってる以上。おれが延々寝ることになった経緯、宋から何か聞いてる?」

 一応聞いていることは聞いている。孔蔵は一瞬迷ったものの、知っているままを答えた。

「鬼んなったあんたが叔父さんを殺して、それを後悔して腹切ったって、」

 それを聞いた十馬がへらりと笑う。孔蔵の中に、悪い予感が波のように立ち上がった。

「そう、それそれそういうの。あのね、守十もりとみを斬ったおれを斬ったのは、宋だよ。おれはとっくの昔に、自分じゃ自分を殺せないこと知ってたからね。宋は、鬼と一緒に片付けられないかなって、おれを斬ったんだよ。まあ、上手くいかなかったけど」

 孔蔵は思わず、黙り込んだ。

 彼がどう反応するか最初からわかっていたのだろう十馬は、にこにこしながら言葉を続ける。

「つまり、おれと宋じゃ、やり方が合わないんだよね。孔蔵さんはどうする? 宋を助けておれを殺すの? それとも、おれのこと、助けてくれる?」

 これも、わかって訊いているのだろう。

 一対の黒いびいどろが、観察するように彼を見つめている。

 胸の底で、何かがどろどろと渦巻く。

 どれがまことで、何がせいだ。

 孔蔵は、荷を負った背が、暑くもないのにじっとりと湿っているのを感じた。




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