第36話 餅菓の禍




 一月ひとつきほど前のことである。

 雨巳あまみ韋駄天いだてんに供して、追ヶ原おいがはら銅土あづちじょうへ上った。

 晩夏の空が眩しい日だったが、遠夜えんやの主城の中は冬のように暗く冷たかった。

 広大な板の間の高座には屏風が立てられ掛け軸が掛けられているが、描かれているのは強い色で精緻に塗られた外法の曼陀羅まんだらや冥界絵図である。小姓がいるべき場所には髪の一筋もない皺だらけの老翁が座しており、灯籠までもが彼岸花を描いた布を通して血のように赤い明かりを投げ掛けている。妖物あやかしものである雨巳ですら辟易するような、呪術狂いの陰鬱な空間だった。

 高座の手前に、韋駄天と半鐘はんしょうがそれぞれ跪いており、雨巳は韋駄天のはるか後方、出口に近い部屋の隅で持していた。どんな用向きで呼ばれたのか、詳しいことはわからない。ただ籠原かごはら十馬とおまに関することだと言われ、韋駄天は雨巳を伴った。

 やがて高座に近い戸が開き、紫色の僧衣姿の充國みつくにが現れた。

 青白い顔にいつもの薄笑みを浮かべ、切れ長の双眸をしたかおは恐らく美貌の部類に入るのだろうが、どこか獣めいて見える。

 らいと、同じ顔をしている。ただその顔が纏う気配と表情は、全くの別人である。

 部屋へ入り高座の上に腰を下ろすと、二人の忍を見下ろしつつ、充國は喋り始めた。

東鷗とうおう慈爺じじが、十馬の鬼霊きだまを感じたそうだ」

 すると、小姓の位置に座している老人が、無言で頭を下げ、持ち上げた。

 この色黒で皺だらけの老人が、東鷗慈爺である。唐土もろこしから来たのだか天竺てんじくから来たのだか知らないが、異国から海を渡ってきたらしい魔術師は、窪んだ眼窩に嵌った大きな瞳と、高い鼻梁を持っている。この魔術師を遠夜へ連れてきたことで、半鐘と望部は株を大いに上げた。

 東鷗慈爺よりも黒い肌をした韋駄天が、部屋の薄闇に沈みそうな低音で呟いた。

「十馬は生きていたと」

 充國は頷いた。

「やはり隠れていたようだ。ただし、深渓みたにの屋敷に姿は見えない。お前たちのどちらかに探してもらおうと考えているが、どちらがよいかな」

 主が問うが早いか、半鐘の硬質な声があがる。

わたくしめと望部ぼうぶとが、主上の御前へ黒鬼を持ってまいりましょう」

 少し遅れて、韋駄天の低音が流れる。

「十馬はいまだ、人の成りをしているでしょうか」

 見慣れた光景の何が愉快なのか、充國は唇を歪めつつ、答えた。

「それは、わからぬ。東鷗慈爺が感じたのは、奴の鬼霊だけだ。それも含めて、十馬を探すのがお前たちの仕事だ」

 韋駄天は頷いて元のように視線を落とし、充國は続けて言った。

「では、黒鬼探しは朔部さくぶと韋駄天に任せようか。くれぐれも、ばらばらにはしてくれるなよ。十馬は、五体満足のままでなければ使えぬ」

 また何が可笑しいのか充國は笑い、何への同意なのか、東鷗慈爺が頭を上下させた。

 半鐘が胸の前で握り締めた拳の節が白く浮いているのを、雨巳は見るともなく見つめていた。







 夜の廃寺である。

 ところどころ剥がれかけた板張りの床には、割れて古びた仏像が転がり、破れた窓から月光が注いでいる。

 柱に凭れるようにして、汚い身なりの男がぐったりと座っている。うつむいた頭に、意識はないようである。

 その手前に跪いた半鐘が、籠手こてから小刀を抜き取ると、刃物を男のくびへ突き刺した。流れる血と共に、ゆっくりと男の命が失われてゆく。

 刃物を手首へ戻すと、半鐘は、背後の柱に凭れて立つ雨巳に向かって言った。

「來は」

「知らね」

 即答した彼女に、半鐘のうっそりとした瞳が向く。雨巳は肩を竦めた。

「探せって言われてねぇから探してねえのよ。來なんぞ何に使うわけ」

 半鐘は彼女の問いを無視し、質問で返す。

「十馬は」

「そろそろ吉浪よしなみだわな。邪魔するもんがなければ二、三日で榁川むろかわ領も抜けるんでねえかと。何、離されるとまずいのか」

「今手元に必要なのは來だ」

 雨巳に訊ねるということは、半鐘は來を見つけられていないのだろう。半鐘は捜索の辣腕だが、どこへ行ったのか見当もつかない忍一匹を広大な山野や人混みから探し出すには数日かかるはずだ。急ぐ理由があるのだろうと、雨巳は考える。

「で、その死人は何に使うのよ」

 死にゆく浮浪者を見下ろし、雨巳は懲りずに問うた。

 半鐘は答えず、懐から取り出した水筒の中身を、男の頭へ注ぎ始めた。

 その背後で、雨巳は一人眉を上げる。

 液体からは、酒のような匂いがした。

 暫く沈黙があり、死にかけている浮浪者の、床の上に横たわっていた指先が、ぴくりと動いた。

「あ……」

 枯れたような声が、死にかけた男の口から流れた。瞼が開くが、白目を剥いている。

 雨巳は、ここにいないはずの東鷗慈爺の気配を感じた。あの魔術師が、目の前の浮浪者の中へ降りたのだろうと想像がついた。

慈爺じじ

 半鐘が呼び掛けると、浮浪者の口元がにやりと笑った。

 浮浪者に降りた魔術師が、答えた。

「おう、おう。聞こえておる」

 頷いた半鐘は、先を続ける。

「來が消えた。慈爺、來の居場所はわかるか」

 浮浪者の口は暫し沈黙し、それから答えた。

「奴の鬼霊は、今、黒鬼の近くにある。黒鬼に目を配っておれば、自ずと犬も見つかろう」

「承知した」

 すると再び、浮浪者の口が笑いの形に歪む。

「急げよ、半鐘」

 その間に、浮浪者の指から腕、足の先が震え始めた。血を失った体が死にかけているのだろう。

 跪いた半鐘は黙ったまま、浮浪者の肉体がこと切れて首が傾ぐのを見守っていた。東鷗慈爺の気配も消える。

 道化が、余計なことを言う。

 雨巳は内心で毒づきつつも、いつもの調子で言った。

「なるほどな。じゃ、來探しに行こか?」

 立ち上がった半鐘は振り返り、暗い瞳を雨巳に向ける。

「……いや、私が行く」

「あ、そ」

 十馬を見張っている雨巳が、十馬のそばにいるはずの來を見つけられない。この意味に気付いた半鐘が自分を疑い始めたのか。雨巳が初めに考えたのは、そういうことだった。

 しかし、半鐘の次の言葉を聞き、想像を改める。

「十馬はお前の獲物ではない。己が任に徹しろ」

 なるほど、私怨に捕らわれるあまり集中力を欠いた能無しになったと思われているようである。内心でほうと溜め息を吐きつつ、雨巳は顔で笑った。

「なに、お役御免てか?」

 半鐘は何も言わずに雨巳の顔を見遣ったあと、また彼女の台詞を無視して話し始める。

「十馬と來は私が見る。お前は影貫かげぬき寺本てらもとにつけ。十馬を追う連中の意図を確かめろ」

「へい、承知」

 そう答えつつ、雨巳は内心で舌打ちした。

 來にもっと強く、十馬を追い回すのをやめるよう言うべきだったか。しかしあの餓鬼は何に取り憑かれたのか、彼女の言うことになどまるで耳を貸さない。

 しかし、今は來の心配をしている場合ではないかもしれない。妖物の雨巳に影貫を張れとは、随分無茶なことを言う。鼠に猫を見張らせるのと同じだ。

 もしや、初めに抱いた懸念はあながち外れていないのか。ならばこちらが考えるのは、使い捨てられる前にどう噛みついてやるかということである。

 韋駄天は、何と言うだろうか。

 それは雨巳にはわからない。

 ただ、一度拾ったものを捨てたくない。

 今確かなのは、それだけである。







 朝のうちに、ろう宋十郎そうじゅうろう孔蔵くぞうの三人は、吉浪の町へ辿り着いた。

 吉浪城は榁川領主元泰もとやすの居城であり、隣国の夏納かのうと共に勢いを増しつつある領国の空気を反映しているようで、どこか荒々しい活気に満ちていた。

「よっしゃ、今度こそ着物買って着替えられるな、篭どの」

 賑やかな通りを歩きながら言ったのは孔蔵である。箕緒みのおの町からここへ歩いて来る間も、篭は何度か単衣ひとえの裾を踏んで転びかけていた。

 相変わらず人通りのある所で声を発せない篭は、頷いた。

 しかし、宋十郎は思案顔である。それを見て、孔蔵が濃い眉を寄せる。

「宋どの、何すか。まだ何かあんですか」

 宋十郎は、通りの先を見据えたまま、落とした声で言った。

「……薛香せっかひめは、無事ここへ辿り着いたのだろうか」

 孔蔵の眉が上がる。

「え? そりゃ、上手くいってりゃそのはず……その辺の茶屋に入って、そんな噂がないか聞いてみますか? でも、なんだってそれを今気にするんですか」

「もし薛香姫が無事に榁川氏に庇護されて既にそれが市井にも知れ渡っているなら、薛香姫が殿方の扮装をしていたことまで噂になっていはしまいか。だとすればもう寺本の耳にも入っていようし、するとここで篭の扮装まで解いてしまうのは危険ではないか」

「まあ、そうですね」

 唇を曲げて、孔蔵が頷いた。宋十郎は続ける。

「寺本主従が今どこで何をしているかわかれば良いが、そうもいかない。薛香姫の消息だけでも確かめようと思う。篭、腹は減っているか」

 訊ねられて、篭は当然頷いた。


 間もなく、篭は大通りの茶屋で、軒先にいくつか並べられた床几の一つに座っていた。

 宋十郎は店の奥へ給仕を呼びに行った。孔蔵は敢えて違う床几に座り、別の客と話している。噂話を集めるためらしい。

 すると、通りが俄かに慌ただしくなった。篭のすぐそばでも、路上で干し魚を売っていた男が駆けてきて、隣の飴屋の主人に声を掛けた。

「おい飴屋、やべえぞ。の姫さまとはちの姫さまが、こっちに向かってらっしゃるらしい」

 飴屋の親父が、げっと声をあげる。

「何だと、そりゃまずい、どうせまた隣の茶屋にお越しなんだろう。茶屋の亭主にゃ俺から言っとく」

 ああと頷くと、干し魚売りはまるでこれから竜巻でも近付いてくるかのように、籠を抱えて駆け去っていった。

 聞いていたらしい孔蔵が、今まで世間話をしていた商人風の男に訊ねる。

「何だ、ありゃ。二の姫さまと八の姫さまって、台風の名前かなんかか」

 すると男は、苦虫をうっかり噛んでしまったような顔で、声を低くして答えた。

「そりゃ、ここのご城主元泰さまの、奥さまたちをお呼びしてるんですよ」

「へえ?」

 孔蔵の目が丸くなった。

「元泰さまには十二人の奥方がいらっしゃって、その中でも二番目と八番目の姫様は大変仲がお悪いんですが、時々城下へいらっしゃってもいがみ合われてばかりなんですよ。先日も巻き添え食らった反物たんもの売りが手打ちにされましてね。それで下町の者は皆、奥方さまが下りてらっしゃると聞くとこの有様で」

 それじゃ私も失礼しますと言い置くと、商人は茶を飲み干し、そそくさと立ち去った。

 そこへ戻ってきた宋十郎が、声を低くして言った。

「薛香姫は、無事到着したようだ。眼帯をして男装の上、馬で吉浪城へ乗り込んだと昨日一番の噂話になっていたらしい」

「あちゃ、そうでしたか」

 孔蔵が眉を寄せ、拳で額を叩いた。

 宋十郎はその横で溜め息を吐いたあと、篭を見遣った。

「ところで篭、茶菓子の種類を選べと言われた。正直私にはわからぬので、奥へ行って好きなものを頼んでくると良い。指で示せば伝わる」

 篭は食べられれば何でも構わないのだが、選ぶというのは面白そうだと思い、立ち上がると、茶屋の奥へ歩いて行った。

 奥からも盆に菓子を載せた女将がこちらに向かっており、女将は市女笠に単位姿の篭を見ると、にこやかに菓子をかかげて見せてくれた。

 丸いもの四角いもの、茶色いもの黄色いもの白っぽいもの、色々あるがやはりよくわからない。何を基準に選ぶべきかもわからない。

 表で孔蔵と宋十郎が話す声が聞こえる。

「しかし、そうなると吉浪にも長居は無用ですね。台風みたいな奥方さまもいらっしゃるようですし……菓子も包んでもらったらどうです?」

「ああ、そうしよう」

 やっと篭が食う菓子を選んだところに、宋十郎がやってきた。宋十郎は女将に向かって言う。

「すまないが、急用ができた。今頼んだものを八つ、包んでもらえないか」

 続けて宋十郎は、篭に向かって言う。

「支払いを済ませるので、表で待っていろ」

 篭は頷くと、軒先へ出た。

 すると、通りの左右から別々に、鮮やかな色の着物を着、それぞれ侍と侍女を伴った女が二人歩いて来た。通りにいた町民たちは、その場で硬直するか足音もなく逃げ去ってゆく。

 二人の女は茶屋の前にほぼ同時に辿り着くと、ぴたりと足を止めた。お互いを睨みつけ、すぐに視線を逸らす。

 二人のうち、若竹色の着物を着た姫が言った。

「店が混んでおるのう。これでは座れぬ」

 しかし、客は皆逃げ去ってしまったので、軒先の床几に座っているのは孔蔵と篭だけである。思わず篭は、垂衣越しに姫君たちを窺い見た。

 すると、もう一方の紅色の着物を着た姫が言った。

「庶民の生活を見聞することこそ、国主の奥方としての務めですわ。そこに座ります。席を作ってちょうだい」

 すると紅色の着物の姫の従者が、抱えていた座布団を床几の一角に置いた。

 それを見てむっとした様子の若竹色の着物の姫が言う。

「とは言え、ここまで足を延ばしたのじゃ。殿お気に入りの大豆だいずもちを持ち帰って差し上げようかの。席を、ここへ」

 今度は若竹姫の従者が、紅姫が座ったのとは逆の端の床几の上に座布団を置いた。

 そこでやっと店の奥から、店主が前掛けで手を拭いながら駆け出してきた。

「お、お待たせいたしました、お姫さま方。本日は、何をお召し上がりになりますか」

 二人の姫は同時に振り返る。

『大豆餅を』

 同時に言って、二人はむっとした後、お互いに顔を逸らす。ややこしい姫君たちである。

 既に青褪めている店主が、不安げに両手を擦り合わせながら言う。

「あ、あの、それが、実は大豆餅は、先ほど最後の八個が、出てしまったばかりなんでございまして……し、少々お時間を頂きますので、その間別の茶菓子でも召し上がって、お待ちになられますか……?」

 なに、と若竹姫の表情が気色ばんだ。

「まだ昼前ではないか。もう売り切れたと申すのか」

 ひい、と店主は縮み上がる。

「さ、昨日、うちに大豆を下ろしている行商が町の東で賊に遭ったそうで。仕入れが遅れていたのです」

 すると、紅姫が眉を顰めた。

「気の毒に。東域は浪人だけでなく瑞城たまきの間者もうろついているそうですし、物騒ですわ。その可哀想な行商が早く商いを立て直せるように、わたくしが殿へ取り次いであげましょう。その問屋は、どこの何という者ですの」

 親切な申し出のはずだが、それを聞いた店主はますます青褪めた。口籠った店主が答えるより早く、若竹姫が早口に言う。

「問屋の立て直しなどするより、東門付近の賊を一掃するほうが先であろう。瑞城の間者も蟻と一緒に掃き捨てていただくよう、殿に注進しておくぞえ」

 店主がこれ以上ないほどに蒼白になってきたところへ、竹の葉に包まれた餅を提げた宋十郎が店から出てきた。

 通りへ通じる軒先が二人の姫の従者で塞がれているのを見て、宋十郎の眉がうっすらと寄せられる。

 すると若竹姫の座布団を抱えていた若侍が、宋十郎の手元を指して言った。

「あっ、お前、その笹の葉包みは大豆餅ではないのか」

 篭と孔蔵と二人の姫君を含め、そこにいた者の視線が、一斉に宋十郎の手元へ向けられた。

 若竹姫が、宋十郎に向かって言った。

「お前、どこの何某なにがしか知らぬが、それは本日最後の大豆餅ぞ。我が殿へ進呈するはずのものであるから、ここへ置いてゆけ」

 宋十郎が明らかに眉を顰める。一方で、紅姫が口元を袖で覆いつつ言った。

「嫌だわ、相変わらずお品に欠けますわね。いくら殿のお気に入りのお菓子といっても、私達に覚えもないような下級武士が購ったものを、横から取り上げるなんて」

 若竹姫の顔色が変わる。一方で、黙って様子を見ていた孔蔵が、床几の上を、音をたてずに篭の方へにじりよってきた。

 声を高くして、若竹姫が言う。

「我とて、どこの馬の骨とも知れん者が一度購った菓子など死んでも殿へ進呈せぬ。この者を呼び止めたのは、この男が吉浪に入り込んでいる瑞城の間者ではないかと疑ったからじゃ。見ろ、この袴などいかにも公家くげ趣味の瑞城好みではないか。榁川の侍でこんな着物を着る者がおるか」

 宋十郎の眉が動き、その横ではっと思い出したように、店主が言った。

「この御仁、確かに、瑞城から逃亡されてきた夏納のお姫さまについて訊ねておりました。薛香姫がいつどのように、吉浪城に入られたのかと聞かれました」

 とうとう宋十郎の顔色が変わった。篭も思わず垂衣の下で青褪めた。

 その場にいた者たちの視線が、宋十郎の手元から顔へ移る。

 宋十郎は、低い声で言った。

「何を仰っているか存じ上げないが、私は瑞城の者などではない」

「では、どこの何者だと申す」

 若竹姫が、問い詰めるように言った。

「東の有秦ありはたで籠原家に仕える五尾いお藤柾ふじまさという。と言ってもここにおられる誰も、我が家のことなどご存じないだろうが」

「有秦の下級武士などが、この吉浪で何をしているのですか」

 今度は紅姫が、宋十郎を眺め上げつつ怪訝そうに言った。

「病に冒されている主に代わり、伊勢いせ平癒へいゆ祈願きがんに参る最中だ」

 宋十郎は単調に言ったが、若竹姫が疑わしそうに宋十郎を睨んだ。

「伊勢参りの武士が、なぜ夏納の娘の行き先など訊ねるのじゃ」

伊久呆いくほの手前の道中でお会いした。かの姫君は他家の主だろうが、挨拶を交わした貴人の消息を気にしても障りあるまい」

 すると孔蔵が、篭の腕に触れないように、彼の袖をつまんで引いてきた。篭が坊主を振り返ると、ついて来いと手招きされる。

 足音を立てぬように立ち上がって歩き始めたところ、紅姫に呼び止められた。

「そちらの二人は、どこから参ったんですの」

 篭は固まる。孔蔵が太い首を回し、二人の姫君を振り返った。

「いえ、俺らは……」

 孔蔵が言いかけると、宋十郎が被せた。

「そちらの二人は、薛香姫と同じく道中で居合わせたのみだ。私を疑うならば結構、どこへなりとも引っ張って問い詰めればよろしいが、無関係の旅人まで巻き込むのはいかがなものか」

 宋十郎は手に提げていた笹包みをそばにあった床几の上に置くと、前へ進み出て二人の姫君を交互に見遣った。

 姫君の言葉を待つ間、宋十郎はちらりと孔蔵に目を向けると、一言付け足す。

「道中世話になった。西で会うことがあればまた飲もう」

 むううと若竹姫が眉を寄せ、その隙に紅姫が従者に命じた。

「この者を捕えなさい。瑞城の間者やもしれません。殿にお知らせするのです」

 篭が泡を食っている目の前で、二人の姫の従者は慌ただしく動き始めると、前後左右から宋十郎を挟んで歩き始めた。侍女に従われつつ、二人の姫君も立ち上がって去ってゆく。最後に座布団を回収した若竹姫付きの侍が、宋十郎が置いた笹包みを掴み上げていった。

 行列は城の見える方向へ向かって、通りを進んで行く。地面の上では、茶店の店主がまだぬかづいている。

 叫び出したいのをずっと堪えていた篭は、孔蔵に向かって、抑えた声を放った。

「孔蔵、宋十郎が」

 孔蔵は頷くと、篭の肩を叩きそうになった手を引っ込め、立ち上がって大股で歩き始めた。篭はその後を追う。

 歩きながら、孔蔵は唸るように言った。

「ったく、なんてこった。無茶苦茶だなあ」

 篭も歩きつつ、抑えた声を孔蔵に向ける。

「宋十郎、どこへ連れてかれたのかな? いつ戻ってくる? 戻ってこれる?」

「行き先はもちろん、吉浪のお城だろ。あんな出鱈目な理由で旅人を牢屋に放り込むってことはねえと思うけど、色々ごちゃごちゃ聞かれるとなると、ちと厄介かもな。宋どのは西で会おうつってたから、先に行ってろってことだろう。ひとまず吉浪を出ようぜ」

 篭は頷くと、孔蔵の大股についてゆくべく、着物で歩きにくい足を動かした。




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