病院
僕と吉田を照らしたライトの持ち主は警察だった。
後で知った話だが、僕がアパートを後にする時にすれ違ったあの男性が、警察に通報をいれていたらしい。なんでも、川に向かうと言った僕の様子がどこか不審だった事が気になり、別れてしばらくした後に警察に連絡を入れたのだという。
後日、ゴミ捨て場で顔を合わせた男性からは「ごめんね、変な早とちりしちゃって」と謝られた。だが、そうさせてしまったこちらも悪いので「いえ」と首を横に振り返した。むしろ、彼のおかげで僕の命は救われたと言ってもいい。こちらが感謝をする事はあれど、むこうから謝られる理由はないはずだ。
警察のライトに照らされた吉田は、瞬間、慌てて僕の胸倉から手を離すと、僕が地面と頭をぶつけるのも無視して、その場から逃げ出した。
だがその後、吉田は警察が呼んだ応援により、河原からそう離れていないところで捕まり、警察署へ連行される事になったという。それを僕は、吉田と対峙したその翌日、病院のベッドの上で横になりながら、事情聴取に来た警察の人から聞く事となった。
自分が、いつどのように病院に運ばれたのかは覚えていなかった。なぜなら、警察が僕のところへ駆けつけてきた時には、僕はもう既に意識を失っていたからだ。
次に意識を取り戻した時には、僕はもう病院のベッドの上に居た。
治療を施され、ガーゼや包帯などで飾りつけられた重たい頭を動かして周囲を見渡すと、ベッドの横に弟が居るのが目についた。警察から連絡が入り、慌てて来てくれたらしかった。両親は何処にもいなかった。弟曰く、病院のロビーで自分を待ってくれている、との事だった。
目が覚めた僕に「馬鹿」と弟は言った。「兄さんは馬鹿だ」と今更な事実を言いながら、顔をくしゃくしゃにした。僕が「馬鹿でごめん」と謝ると、弟はさらに顔をくしゃくしゃにさせながらうつむいた。
「吉田圭人が山里千里の殺人を認めました」
そう僕に教えてくれたのも事情聴取に来た警察の人間だった。事情聴取を行ったのは例の2人の刑事だった。
事態が事態だったからだろう。むこうも昨日の今日でこのような事になるとは思っていなかったらしく、男性刑事は何処と無く落ち着きのない様子で僕のベッドサイドの椅子に腰をおろしていた。女性刑事の方は、彼の後ろに立ちながら、僕の反応を監視するかのように、無言でこちらを見続けていた。
「他の殺人鬼Xの事件との関連性は、まだ明白にはされていませんが、現時点の吉田本人からの証言からするに、殺人鬼Xとの関わりは薄いと思われます。本事件は、これまでの事件とは別件の事件だったようです」
「そうですか」
「……これは吉田が言っていたのですが。殺人鬼XのXはXじゃない、☓なんだ、とか」
「この言葉に何か覚えは」刑事の目が、一瞬鋭く光った気がした。色の濃い隈を携えた目が、僕の反応を値踏みするように見つめてきた。
僕は「さぁ」と返して、病室の壁に目を向けた。自室とは違う、潔癖なまでに清潔な白い壁。それをぼんやりと見ながら「わかりません」と言葉を返した。
その後、僕が病院を後にしたのは、結局それからまた1日経ってからの事だった。頭を殴られたという事もあり、最低でも1日は検査入院が必要との事で、僕は人生初めて入院と言うものをする事になった。
いつまでも傍に居たがる弟を無理やり帰す事以外は、特に大きな出来事もなく、僕はベッドの上で静かに1日を終えた。
翌日、僕は身一つで病院を後にした。財布は持っていなかったので、ひとまず入院費はまた後日、怪我の経過観察を見る為に病院に行く時に支払う事になった。
本格的な夏が始まるよりも先に、懐が薄ら寒くなるだろう事が予測でき、僕の口から深い溜め息がこぼれ落ちた。
2日ぶりのアパートに帰宅した途端、僕は部屋の隅に積み重ねていた布団の上に倒れた。
あれだけベッドの上でゴロゴロだらだらと過ごした筈なのに、なぜか途方も無い疲労が僕を襲う。ドッと一気にやってきたそれに、僕は小さく「疲れた」とこぼした。
何も考えたくなかった。もう動けない。立ちたくない。そう思うのに、なぜか頭だけは回転を続ける。ぐるぐると、ここ数日であった出来事が僕の頭の中を巡る。
山里千里が山里千里ではないと知ったのは、警察署で山里千里の遺体を見た時の事だった。
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