無縁社会

 山里千里の遺体が発見されたのは、大学近くの河原での出来事だったという。


 隣の県との県境にあたるその場所は、普段から近くの土手を多くの近隣住民がジョキングや、犬の散歩やらで通り行く場所だった。人通りの多さ故か、草が生い茂る河原には、草々に混じって空き缶などの細かなゴミから不法投棄された大型のゴミまで様々なものが落ちており、時折ボランティア集団が掃除を行っていく程の度合いとなっている。下流の方には大きなグラウンドが作られており、休日に土手を歩いていると小学生のサッカークラブと思われるチームが練習をしているのを目にする事もあった。人の多い場所だった。


 しかしそれはあくまでも明るい日中の事で、夜になると一気に人通りの少ない場所となる。土手には街頭らしい街頭もたっていない為、周囲の家々の明かりや、時折川にかかっている橋を通りゆく電車の光がなくなると、非常に暗い場所になってしまう。

 それを狙って、時折河原の方でカップル達がイチャついているという噂もあるが、そんな時間帯に出歩いた事はない為、その辺りの真相は闇だ。


 山里千里の遺体があった場所は、そんな河原の上流の方だったという。


 その辺りは、河原の中でも最も不法投棄が多い場所で、草地に混じってテレビなどの大型家電から自転車まで、更にはいつかの橋工事か何かの名残だと思われる鉄棒らしきもの等が地面に刺さっている事もあるような荒れ地だった。

 見つけた男性は、近隣に住むボランティア団体の人間で、近々ボランティア仲間達とこの辺りの掃除に挑む予定だったらしい。その下見を兼ねてやってきたところ、何か妙な臭いがする事に気づいたという。


 何か鼻にくる香り。その原因を探ろうと、臭いのもとを追いかけた先で彼が見つけてしまったのが、腹がX型に裂かれた状態で遺棄されていた山里千里の遺体だった。


『X型』。その言葉に肩が揺れた。と同時に、どうして目の前の二人が僕のところにやってきたのかを悟った。


 目の前の男性と女性は、殺人鬼Xの事件を担当する刑事との事だった。

 彼らは僕が山里千里が死んだ事を知らなかった事に驚いていた。曰く、話題の事件の新たな被害者とあってか、この事件はすでにニュースに取り上げられているとの事だ。


「ニュースをご覧になられていないのですか」と、女性刑事が同年代として信じられないものを見るような目で見てきたので「うち、テレビがないので」と正直に返せば、またしても信じられない、といったような目で見られた。


「こんなところではなんですから」という男性刑事の言葉に従って、僕らは大学近くのファミレスへ移動した。

 店内の奥、あまり人が居なさそうな場所にあった4人がけの席に腰をおろし、ドリンクバーを3人分注文した後、山里千里の話を始めた。


 男性刑事が僕に様々な質問をしていく。

 大学生活中の彼女はどうだったか、何か気になるような事は言っていなかったか、例えば最近誰かに見られている気がするなど、最後に会った時に変わった様子等はなかったか――。


 続けられる質問に、ひとつひとつ僕はゆっくりと答えていく。

 だが、どの返答も彼らにとっては有益な情報をもたらしてくれるものではなかったらしい。険しいシワを眉間に作りながら、男性刑事が顎をさする。


「先輩、そろそろ」と女性刑事が彼に声をかけた。「ん……、あぁ、そうだな」と男性刑事が彼女の言葉に頷き、僕の方へ顔を向け直した。


「お話の程、ありがとうございました。お時間を取らせてしまい、すみません」


「飲み物代は我々が支払いますので、お気になさらず」と机上の透明の筒にいれられた伝票を取って、男性刑事と女性刑事がその場を後にしようとした。


「あの、」と思わず声が出たのは、その時だった。


「彼女の遺体を見る事って、できますか」


 彼らが驚いたように僕を見てきた。丸い四つの目が、僕を見てくるのに耐えられず、僕はうつむいた。


 どうしてそんな事を言ったのか、自分でもよくわからなかった。彼女の遺体を見たところで、何がどうなるわけでもないというのに。昨日の事実がなかった事になるわけでもない。


 ただ、もしかしたら彼女が死んだという実感が欲しかったのかもしれないと思った。

 刑事の質問に答えながらも、僕は未だ山里千里が死んだという実感がなかった。ただ訊かれた事に答えていくだけ。そんな普段からしているような事務的な会話では、山里千里が死んだという事実を僕が感じる事はできなかった。


 何かを熟考するかのような間が、僕の頭上に広がった。そうしてしばらくした後、男性刑事が「少々、お待ちください」と言葉を返してきた。


 それにつられて顔をあげると、男性刑事がズボンの前ポケットからスマホを出している姿が目に飛び込んだ。

 何処かに電話をかけ始める彼の姿を僕はぼんやりと眺めた。


「はい……、例の被害者の……、そうです……、はい、ありがとうございます」


「許可が取れました」と刑事がスマホをしまいながら僕に言った。「許可」と僕が呟くと、「署内にある霊安室への入室許可です。山里さんのご遺体がある場所ですよ」と男性刑事が返してきた。


 警察署までは彼らの車で送って貰う事になった。運転席に刑事が座り、助手席に女性刑事が座る。後ろ席に僕が1人で座る。

「無理言って、すみません」と発車した車の中で僕が謝れば、「いえ」と男性刑事がサイドミラー越しに僕を見やりながら返してきた。


「我々としても、山里さんの身元を確認できる方を探していたので、実を言うと助かりました」

「身元確認って、ご家族の方がやるものじゃないんですか」

「本来ならばそうです。ですが、山里さんは行旅死亡人こうりょしぼうにんだったので」

「行旅死亡人」

「全く身元がわからないご遺体や、身元が判明してもそれを確認したり、引き取って頂けるご親族がいないご遺体の事ですよ」


 女性刑事が冷たい声音で僕に返してきた。

 曰く『行旅』という言葉からわかるように、元々は旅行や遠出に際し、その地で亡くなったはいいが身元がわからない、親族が見つからない、といった遺体の事を指す言葉だったそうだ。


 しかし孤独死をする者が多くなった現代社会においては、旅行先や遠出の有無に関わらず身元の判明がしない者、判明しても様々な複雑な事情で引き取りをして貰えない者が多くおり、近年ではそのような死者に関しても『行旅死亡人』として扱うようになったのだという。


「最近の社会は、どうにも人同士の繋がりが希薄になりがちですからね。身元を特定するのも難しい方々が多いんです」


「『無縁社会』っていうらしいですよ、今のような社会の事を」と男性刑事がハンドルを切りながら言った。

「無縁社会」小さく男性刑事の言葉を僕は口の中で転がした。なんて虚しい響きの言葉だろうと思った。


 警察署は車で10分とかからない場所にあった。「こちらです」と言う刑事に連れられ、署内を歩く。女性刑事は僕の後ろを歩いていた。今なら、トーストに挟まれたサンドイッチの具の気持ちを理解する事ができるような気がした。


 山里千里の遺体は霊安室にあるとの事だった。案内された霊安室に入り、山里千里の遺体と対面する。山里千里の顔は見ないように隠されていた。もちろん、隠されていたのは顔だけじゃなかった。その全身が見えないように布で隠されている。


 僕は山里千里の腹があると思われる辺りを見た。Xと書かれているというその場所を見つめていると「お顔を」と男性刑事がゆっくりと山里千里の頭部の布を外した。


 瞬間、走る衝撃。信じられない現実を前に、己が目を瞠ったのがわかる。口が開いたまま閉じれなくなり、ヒュッという小さな呼吸を飲み込む音だけが、開けっ放しの口の奥から聞こえた。


「山里千里さんでお間違いないでしょうか」男性刑事が口を開いた。僕を気遣うように、その眉間に険しいシワが刻まれた。


「……はい」


「山里千里で、間違いありません」そう頷きながら、僕は言葉を返した。


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