第2話

 -ー緊急車両のサイレンとヘリコプターの羽音を遠く聞いていれば、助手席の扉が開いた。

「……もう良いのか?」

「うん。ひーちゃん、怪我しているからね。今日は帰る」

「わかった。あれは?」

 あれ-ー宿敵とも言える組織やつらのヘリが彷徨く空を一瞥し、しかし興味なさげに男は笑う。

「ひーちゃんの選択にもよるけど、今はまだ放置で」

「そうか」

 車を発進させ、基地へと向かう。


「……スコープ越しだが、案外普通の子に見えたぞ」


『ひーちゃんは、ぼくのヒーローなんだよ』


 男が幼い頃から折に触れて語った「ひーちゃん」という-ー今や一端の女性である-ー女の子。ヒーローだと男が言うから、てっきり者だとばかり思っていたのだが。

「そうだね。正義感なんて人並みにはあっても、それを振り翳す子じゃない。それに、お人好しとも言い難い性格だよ。-ーでも、僕にとっては」

 出会った時は年端もいかない少年だった男と行動を共にする中で、一般論的な“ヒーロー”なら掃いて捨てるほど-ーというか、最初の目的はヒーローを探すことだったのだから、出会えなければ困るのだが-ー出会った。

「『ひーちゃんを助けてくれるヒーロー』は、もう探さないで良いのか?」

「もう、そんな人もいなさそうだし」

 -ー個人であれ組織であれ、様々な“ヒーロー”はいた。

 それぞれが衝突と和解を繰り返し、目覚ましい成長を見せ、華々しい活躍を示した。

 そして-ー。

 その悉くが、男によって幕を引かれた。

 命までは奪っていないとしても、その誇りを堕とされて自ら絶った者はいる。-ーそうでない者は今や男の狂信者だ。


 正義感が有り余り、もはや手段も目的も見失ったまま過去の行為を反芻する者。

 合理性を求めるあまり感情を切り捨て、救ったはずの人々に憎まれる者。

 担ぎ上げられるままに行動し、しかしそれを失って空虚な自分と罪に苛まれる者。

 ビジネスと割り切ったゆえ己の軸となるものたましいさえも他者へ押し売り、その代償に喘ぐ者。


 年端もいかない幼子が一端の男になるには十分過ぎるほどの年月-ーそして積み重ねた時間に伴う、少なくはない犠牲。

 そのすべては、女の子ヒーローため。

「ヒーロー探しは終わり、か」

「そう。だから、君も選ぶ時だよ」

 前方の信号が黄色に変わるのを見て減速する。

 模範的なその行動が、まるで自分の躊躇に因る足踏みに見えた。

「……まさか本当に選ばせる気でいたとはな」

「最初に言ったでしょ。『いつか選んでもらうよ』って」


 年端もいかぬ幼い子供-ー春瀬聖人きよとの“依頼”から始まったこの関係は、いつか“選択”を約束されたものだった。


「僕は君に、ひーちゃんを救ってくれるヒーローを探すを依頼した。子どもだった僕の国内外への移動補助、国を問わない情報収集……いつの間にかできてた集団の統率も、表立ってはしなかっただけでしてくれていたね。きちんとした報酬を渡せるようになったのは二十歳過ぎてからだったかな」

「……いくら依頼者とはいえ未成年、しかも未就学児から金を取るかよ」

 自分で言っては世話ないが善人とはとても言えないし、人としての正道を行くような生き方もしてはこなかった。だが、それでも可能な限り真っ当でいたつもりだ。

 聖人は窓辺に頬杖をつき、こちらを見ることもなく笑う。

「君は真面目だなあ。……正直、適当にあしらわれて帰されるか、かと思っていたけど」

「そこまで堕ちも、困窮もしてねえよ」

「……ほんと、なんで君みたいな人がそんな商売しているんだか……。まあとにかく。あの日の僕の依頼は、今この時を以て終了した。あとは君の選択次第さ。危ない橋は渡るまいとするなら若干ヤバい時期だとは思うけど、君ひとりならまだ余裕で逃げられるだろう?」

 -ーそう。依頼を請けたあの日から自分が手を引いていた幼い少年は、もういない。

 今隣にいるのは、進むことも逃げることも自分の意志で選ぶ“大人”。

 ならば。

 個人的にも仕事的にも-ーここらが潮時だ。

 信号が変わり、アクセルを踏む。

「ま、今この場でどうこうって訳じゃない。せめてアジトまでは連れて行ってもらわなきゃ、僕が困るしね」

「……へいへい」

 悪戯っぽく笑い、聖人は端末を開いた。

「もうすぐ着くだろうから、着いたら早速始めようか。-ー君たちの活躍、期待しているよ?」

 端末の画面に映る女性が、恭しく、大仰に跪礼カーテシーをするのが横目で見えた。


『お任せください』

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不本意ヒーロー 真庭 裕 @yutaka-maniwa

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