二人は遊ぶ

 連絡はあるかないかわからなかったし、正直どうでも良かったけどじきに雫の方からすぐに来た。ただ間の悪いことに僕の心の調子がすこぶる悪い時だった。

「ああ、雫か」

「この間のこと怒ってる?」

「別に、怒ってないよ」

「じゃあ、今日会える?」

「ごめん。今日はちょっとつらい」

 僕は正直に言った。

「ひょっとして私のせい?」

「そうじゃないよ。全然そうじゃない。ただ心に風邪を引いただけ」

「見舞いが必要?」

「いらないよ」

「ううん、おじさんのところ行く。住所教えて」

「教えないよ。一人にしてくれ。そうすればじきに直るから」

「直らなかったら?」

「まあ死ぬだろうね。どうでもいいけど」

「おじさん!」

「ごめんつらい。電話切る」

 そういってしんどい僕は電話を切った。するとまたかかってくる。

「おじさん! 住所教えて」

「わかったわかった直ったら絶対電話するからもう、静かにしてくれ」

 僕はまた電話を切った。それでも電話はまたかかってくる。しかたないので携帯の電源をオフにして僕はベッドに転がった。

『お気持ちは嬉しいんだけどなぁ』

 こればっかりは自力でなんとかするしかない。いや自分と薬とでか。それでも。

『病気、早く直さないとなぁ』

 と思うぐらいには雫のことを気にかけてるくらいのことはした。これが僕の精一杯だ。


 二日後、調子がわずかに改善したので雫に連絡を入れておく。雫は電話に出なかったが着信履歴に僕の名が残るだろう。そのまま折り返しがなくても気にしない。最低限の礼儀を払ったつもり。このまま別れてもかまわない。それは覚悟の上。後は病気と闘うだけ。死のこと、生の意味、原罪のこと。頭の中がぐるぐる回る。堂々巡りのエッシャーの絵のようだ。やがて眠くなり、僕は寝た。寝続けた。寝ていれば余計なお金を使わなくて済む。それだけがありがたかった。



 雫から連絡が来た。

「もしもし、おじさん!」

「はいはい、童貞のおじさんです」

「もう、まだ怒ってるの?」

「いいや、この呼び名が気に入っただけ」

「やめてよ、もう。本当に心配したんだから」

「わかった、やめる」

「それより、心の風邪は治ったの」

「とりあえず収まった、いつ再発するかはわからないけど。たぶんしばらくは大丈夫」

「じゃあまた会える?」

「僕は別にかまわないけど」

「じゃあ会いましょ。いつものコーヒー店で、これから出られる?」

「別にいいけど」

「じゃあ、待ってる」


 電話は切れた。僕は一息ついて精神を落ち着かせると、外へ出る支度をする。


「思ったんだけどさ」

「何?」

「別に電話で済むことでは」

「ううん。顔見ないとダメ」

「そんなもんかな」

「そうなの」

 コーヒーショップで。いつものように会話。ふと雫が僕に頭を下げた。

「ごめんなさい、この間は、失礼なこと言って」

「謝るなら僕だって似たようなものさ」

「おじさん、本当に病気なのね。私疑ってた」

「ああ、障害手帳もあるよ、見る?」

「別にいい」

「そう」

「おじさんはなにをしてるの」

「僕は年金暮らしだよ」

「そうじゃなくて。毎日、いつもしていること。働いてないならヒマでしょ」

「うーん、小説書いてる、かなぁ」

「小説?」

「まだ形にもならないんだけどね。一応それで食えたらいいなとはぼんやりと思っているよ」

「ふーん」

 しばらく沈黙。やがて雫は唐突に言った。

「おじさん、お酒ダメなんだよね」

「まあね。よくわかったね」

「そりゃわかるわよ。おっパブでお酒一滴も飲まなかったじゃ無い。薬のせいなの」

「さあ、わかんない」

 僕は答えた。酒を飲まない理由は酒にすら飽き飽きしていたからだ。いや酒に疎まれたからか。もういい、忘れた。

「なんでそんなことを聞くのさ」

「これからのこと、考えてた」

「これから?」

 僕は首をかしげる。

「ずっとここでだべっているのも変でしょ。女子高生じゃあるまいし」

「それもそうか」

「それでこの後、居酒屋とかは無理よね」

「うん、無理だ」

 僕は素直に言った。

「……カラオケとかは?」

「どうでもいいけど、僕お金無いよ」

「カラオケぐらいならおごるわよ」

「なら、ついて行こうか」

「じゃあ決まりね、行きましょ」

 

 僕と雫は近場のカラオケ店に入った。受付の店員と受付の手続きをしながら雫が言う。

「私お酒飲んでいい?」

「別にかまわないよ。君のお金だし」

「やったー」

 何が嬉しいのか雫は両手を挙げて見せた。

「お酒好きなの?」

「好き!」

「仕事でたくさん飲んでるんじゃないの?」

 僕はおっパブで雫がお酒をおかわりする度にしこたま追加料金を支払わされたのだが……。そんなことを思いながら雫に尋ねる。

「あれは仕事だもん。楽しくないよ」

「ま、なんでも仕事にしちゃうと楽しくないもんだよな」

「だよねー」

「で、何飲むの?」

「カクテル!」

「好きなカクテルは?」

「カシスオレンジ! あと食べ物も頼む! ピザとかポテトとか」

 雫はそう言いながら店員に食事とカクテルを準備して貰う。


「さ、歌おう」

 一通り飲み物と食べ物がくるのを待って雫は言った。

「僕も食べていいかな」

「食べて食べて、何? 遠慮してたの?」

「うん、まあ」

「子供みたい」

「はは、ちょっとこう言うのは慣れて無くて」

「おごられ慣れてない」

 雫が言うと僕はうなずいた。

「そうだね。だいたいの男はそうだと思うけど」

「そっかーなかなか男はねー。むしろおごるほうだよねー」

 そう言いながら雫は器用に端末から曲を入れていく。そして。

「じゃあ、歌いまーす」

 そして雫は浜崎あゆみを上手に歌った。

「パチパチパチ。上手かったよ」

 歌い終えた雫に僕が言うとにっこり笑って雫は言った。

「あゆ好き!」

「そう。僕も好きだよ」

 なんとか僕でも知っている歌い手で良かったと思いながら、僕は相づちを打った。

「おじさんも歌って!」

「そうだなぁ」

「はやくはやく」

 せかされるように僕はスピッツを入れ、そして歌った。

「パチパチパチ」

 満足してくれたようだ。それともお世辞か。いや、そんなこと考える僕が卑屈なのか。

 雫はまた立ち上がりあゆの曲を歌った。次はまた僕の番。

「二人だと早いな」

「いっぱい歌えてお得」

「そういう考えもあるな」

 僕もまたスピッツを歌った。なんだかんだで僕もカラオケ世代なのだ。それなりにレパートリーがあった。


 しばらく歌って疲れてきた。僕は歌うのを遠慮して食事に専念し、あとは雫に任せる。雫は良く歌った。聞いて思う。雫の歌はたぶん上手い方だと思う。ただお金にはならないなとは思った。


 やがて雫も歌い疲れたのか僕の隣に座る。残ったカクテルを飲み干し、身を乗り出して僕に尋ねてくる。

「ね、小説書いてるなら聞きたくない?」

「何を?」

「私の処女喪失体験談とか」

「あんまり興味ないけど話すなら聞くよ」

 僕は言った。

「小説家志望がそんな好奇心でいいの?」

「別に本気で小説家になりたいわけじゃ無いし……」

「じゃあおじさんは、何になりたかったの?」

「立派な社会の歯車。途中で壊れちゃったけどね」

 そう言うと雫は笑い出す。

「なにそれ、おかしい、っあははははは」

「へんかなぁ」

「変よ。人として生まれたのに物になりたがるなんて変じゃない」

「そうかもね。でも僕はなりたかったんだ。愚痴一つ言わない立派な社会の歯車に」

「……」

「歯車にさ……」

 ふう、とため息をつく。本当になりたかったのだ。この社会を支える歯車に。でも反対にみんなに支えて貰っているのが今のナサケナイ状況で。

「そろそろ出よっか」

「うん……」

 時間よりは少し早かったが、僕たちはカラオケ屋を後にした。


「それじゃ」

 駅まで送って、雫と別れる。雫は何かを期待していたようだったが、僕が無視した。

「ばいばい、おじさん」


 とうとう雫もそう言ってくれて、僕たちはいつものように別れた。

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残日 remono @remono1889

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