ほころびの少女

雫からの電話はすぐにかかってきた。僕が想定するよりも遙かに早かった。なにせ翌日の起き抜けにはもうかかってきたのだから。

「今日暇?」

「……うん」

 寝ぼけた声でそう返す僕。

「町出てこない、昨日会ったカフェで午前十一時ぐらいに落ち合う感じで」

「用事は?」

「一緒に昼ご飯でも食べましょ。その後は食べながら考えるみたいな感じで」

「うーん」

 用もないのに出かけるのかぁ。それは僕の主義じゃないなぁ。僕が迷っていると雫が背中を押した。

「お金なら、私が出すから」

「……わかった」

 そう言われては断りづらい。僕は雫の提案を承諾した。時計を見る。午前九時ちょっと前。僕は長めのシャワーを浴び、しばらく時間を潰し、外に出た。

 時間よりやや早かったが雫はもうそこにいた。今日の装いは比較的ラフな格好だ。あまり人の顔とか見るのは苦手だったが昨日とは化粧も変えているみたいだ。

「おはよう。化粧変えた? 昨日とは大分変わった印象を受ける」

 なので僕はそう言った。雫は尋ねてくる。

「どんな風に?」

「昨日はかっちりしてたのに今日はかわいい感じかな」

「あっそう」

 髪の毛を掻き上げ、気のない様子で雫は言った。そして僕は遅れたことを謝罪する。

「あとごめん、待たせちゃって」

「いいよ。まだ時間前だし、それに呼び出したの私だし。行きましょ」

「ああ、まだラテ、ほどんど手つかずで残ってるよ」

 立ち上がりかけた雫に僕が慌てて指摘すると、雫はそんなこと気にしたこともなかったかのように笑った。

「いいよ、太るし」

「もったいない」

「いいの、いいの」

 そういって雫はラテを無造作に返却口に置くとバッグを肩にかけて外に出る。

 もったいないと思ったけれどそれを言うのはさすがに浅ましいような気がして言えなかった。

 近くのファミレスでお互い少なめの食事をし、その後冬服を見て回りたいとの雫の要望で二駅ほど電車に乗り駅に隣接しているショッピングモールまで行くことになった。

「お金とか大丈夫? 切符代出すよ」

「電車に乗るくらいなら平気さ。それにまともな婦人服の店、もうこの町には無いでしょ」

「そう、悪いわね」

 そんな会話をしてすいた電車に乗る。んーと指を組んで腕を前に伸ばす雫。

「やっぱりこの時間はすいてるね」

「そうだね。満員電車は昔働いてた頃乗っていたけど今乗れるか自信ないよ」

「そうなんだ。痴漢とかした?」

 笑いながら雫。どうもシモのように持って行きたがるなこの子は。

「してないよ」

「ふーん」

 値踏みするように雫。なんか試されている気がするな。端から見ればおじさんと若い子のカップルだ。僕たちは周りからどんな風に見えるだろう……と考えて止めた。そんなの気にしても仕方ない。僕は確実に壊れているし、雫も僕に関わってくるくらいだ、たぶんどこか壊れている気がする。


……。

……。

……。



 ショッピングモールで。雫の買い物を手伝う。といっても僕にできることはせいぜい荷物持ちぐらいで。それと着替えた雫の姿を脈絡無く褒める役。僕の褒め言葉はびっくりするほど貧弱で、雫を満足させるのが大変だった。

 それにしても雫はたくさん買う。これもびっくりするぐらいたくさん。一休みした折に僕がやんわりと指摘すると彼女はすねた。

「お金は稼いでいるわよ」

「もっと建設的なことに使えばいいのに」

「たとえば?」

「将来に備えて貯金するとかなんか資格取るとか」

「勉強とか嫌い」

「そっか、じゃあ貯金は」

「どうせ男に持ってかれるだけよ」

「ふうむ」

 僕は少し考える。どうも出会ったばかりでは立ち入れない線をそこに感じた。深く追求するのを止める。

「まったく、自分で稼いだお金なんだからどう使おうが勝手でしょ」

「まあね、僕も雫みたいに稼いでたら同じこと言うかも」

 いや事実稼いでた頃は言っていたような気もする。……でもそれはもう、昔の話だ。

「そうでしょ」

「ただ、遙か年上としては自己を省みて若いのに説教したくなるもんなんだよ。気分悪くしたらごめんね」

「悪いと思ったら言わなければいいのに」

「ごめん、ごめん」

「お詫びに何かおごってよ」

「それは無理だなー。お金無いし」

 僕はカラカラ骨みたいに笑う。あきれた顔をしてみせる雫。

「……。ま、期待してなかったけど」

「荷物持ちぐらいしかできない男で悪いね」

「本当に最悪」

「……もう言わないから機嫌直してよ」

 まあ別に直さなくてもいいけど。僕はそう思いながら言った。

「ああ、まったく、つまんない男!」

「そうだね」

 僕はその通りだと思ったので深く同意した。

「じゃあ、この荷物私のアパートまで運んで。それで許してあげる」

「住所僕にわかっちゃうよ、いいの?」

「……インポなんでしょ。かまわない」

「じゃあ運ぶけど」

「じゃあこれも買う」

「りょーかい」

 僕は言い、そうして荷物は果てしもなく重くなって行く。


「私の部屋でセックスしてく?」

「なんでそうなる」

 彼女のアパートにたどり着きドアの前で唐突に雫が僕に言った。

 支離滅裂だ。僕がインポで無害だからここに案内したんじゃないのか。

「なんでってそのためについてきたんじゃ無いの?」

「純粋に荷物持ちとしてだよ」

「……じゃあ、とりあえず荷物持って上がってよ」

「はいはい」

 鍵を開けたドアの中に失礼して入っていこうとしたところで呼び止められる。

「ねえちょっと聞くけど、おじさんってばひょっとして、女性の部屋に上がったこともない?」

「ないなーそういえば」

「インポって元から?」

「いや鬱になってからだよ」

「じゃあそれまでは普通に性欲あったんだ」

「まあね」

「かわいそー。ひょっとして年齢イコール彼女いない歴?」

「うーん、そうだね」

「ますますかわいそー」

 なんか同情された。僕は言う。

「僕はそれほど困ってはないけど」

「いや悲劇だって絶対」

「そうかなぁ」

「わたしがおじさんの立場だったら絶対嫌だわ」

「そう」

「嫌だわ」

「まあ、そうだろうね」

「い・や・だ・わ」

「そうかい」

「え、ここまで言われて怒らないの」

「今の自分を受け入れてるよ。僕は」

 なんだかおかしくなって僕は言った。

「ふうん。昨日といい今日といい、おじさんってば馬鹿じゃないの」

「馬鹿なのは自覚してるさ。あはは」

 僕が笑うと、雫の眉がくの字に曲がった。語気を荒げ叫ぶ。

「いい加減怒れよ。怒って見せろよ!」

「そんなに僕を怒らせたいの。そっちのほうが不自然に感じるよ僕は」

「うるさい、うるさい、うるさい!」

「ねえ、怒った僕にどうされたいの?」

「うるさい! だから童貞なんだ! 二度と来るな死ね!」

「うん、そうだね。童貞だね。じゃあ帰るね」

「……」

「おやすみ」

 荷物を通路の入り口に並べて置いてそう言うと、急に寂しそうな声で後ろからうめく様に雫が僕のことを呼んだ。

「待って。また連絡する……」

「はいはい」

 僕はそう言い残して雫のアパートを出て家に帰った。ふう、結局ないお金も使ったしひどい一日だった。そして雫のことを思う。

『犯されたかったのかな』

 と言うより、被害者でいたいんだろう。いつでも、いつまでも。男に侵犯され、搾取される被害者。被害者は楽だもんな。恨んでいればいい。妬んでいればいい。僕も会社に対して昔はそうだった、いやいまでもたまにそう思う。

『そして雫は自分の性しか他人にあげられるものがないと決めつけているんだろう』

 そんなこと無いのにな。雫はいい物をたくさん持っている。たとえば、若さとか、若さとかよくわからないけど若さとか。若くない自分はそう思い、そして眠りについた。

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