16●補足:スナイパー腕比べ……セラフィマvsクルッカ(2)★★★(20220504、自伝を踏まえて後半を改稿)

16●補足:スナイパー腕比べ……セラフィマvsクルッカ(2)★★★(20220504、自伝を踏まえて後半を改稿)




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 もっぱら照準眼鏡スコープを使い、精密な狙撃を鍛錬するセラフィマ。

ただし愛用する狙撃銃SVT-40の有効射程は500メートルほど。その距離を超すと着弾の精密度が損なわれて行きます。

 モシン・ナガン系列の銃ならば、照準眼鏡スコープをつければ千メートル近くにまで精密射撃が可能になる、ということですので、適宜、そちらに換えてもよかったのでは?


 一方、クルッカはもっぱらモシン・ナガン系列。野性スナイパーのカンといいますか、ある種の天才的本能を発揮して、照準眼鏡スコープなしでかなりの精密射撃をこなします。ただしその射程は400メートルまで、というところでしょう。


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 照準眼鏡スコープの話ばかりで恐縮ですが……

 『氷風のクルッカ』は、その物語のクライマックスで、照準眼鏡スコープが小道具として決定的な役割を果たします。

 そこが、作品最大の魅力と言ってもいいでしょう。

 クルッカの前に宿敵として立ちはだかるのは、ソ連の女性スナイパー。

 女性同士の狙撃戦が展開します。

 虚々実々の駆け引き。

 しかしついに相対あいたいし、同時に狙いをつけて発射します。

 彼我の距離、わずか52メートル。(氷風P414の4行目)

 このとき両者の運命は、ひとつの点で分かれます。

 相手は照準眼鏡スコープを付けていて、クルッカは照準眼鏡スコープ無しだったのです。

 詳しくは『氷風のクルッカ』のP410~417をお読み下さい。


 照準眼鏡スコープのあるなしで、どのような違いが生じたか。

 敵からはクルッカの顔がしっかりと見え、クルッカからは、そうではなかった。

 クルッカ自身はさほど気にしていませんが……

 実はそのことが、とてもとても切ない幕切れを演出します。(氷雪P423の1行目からP424の7行目)


 少女ミリタリー・スナイパーの物語として、『氷風のクルッカ 雪の妖精と白い死神』は、スナイパーならではの戦いとそのアイテムを存分に活用し、状況を活写した傑作じゃないかと、そう思います。


 “少女スナイパーの物語”としては、『氷風のクルッカ』の方が、『同志少女よ、敵を撃て』よりも洗練されているような。戦闘描写の迫力と兵器描写の正確さとか。

 そして、“狙撃”に集約された、焦点の明確なストーリー。

 あ、あくまで私個人の感想ですよ。

 ただし“戦場百合の物語”としては『同志少女よ、敵を撃て』の方が、いろいろと想像の幅が広がりまして、ムフフだと思いますが……。



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 それはさておき。


 フィンランドとソ連の“冬戦争”はそれで終わらず、1941年6月25日から1944年9月19日にかけて三年にわたる“継続戦争(jatkosota)”につながりました。

 フィンランドは枢軸側についてソ連に挑み、冬戦争で取られたカレリア地方の領土をいったん取り戻したものの、再びの敗戦によってまたまたソ連に取られます。

 これ、根に持っていると思いますよ。

 フィンランド政府と国民は表立って言いませんが、怨念、タダならぬものがあることでしょう。

 で……


 この継続戦争にスナイパーとしてセラフィマたちが参加し、クルッカやシモ・ヘイヘ(史実の彼は冬戦争の終わりで負傷により引退しましたが)と対決したら、どうなったかなあ。

 そんなシチュエーション、あってほしかった。

 スターリングラードなどのメジャーな戦場も良いですが、継続戦争だって、規模は小さくとも三年余り続いたのですから、セラフィマたちの出番、十分にあったことでしょう。


 風光明媚な森と湖、そして白い雪と氷に閉ざされる水面みなも

 サンタクロースとムーミンの国で、ひそやかに戦われる少女スナイパーの対決。

 それもまた、趣が深いと思うのです。



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 セラフィマの愛銃と、モシン・ナガン・ライフルについて。

 1940年に完成し、配備が始まったばかりの半自動銃SVT-40を、セラフィマたちは1942年に“魔女の巣”で受領しますが、その際に、従来、主力として使われてきたモシン・ナガンの系列銃と比較して、イリーナは「最高の銃」と絶賛します。(P84の13行目~P85の4行目)

 カリスマスナイパーのパヴリチェンコ女史が、1941年夏のオデーサ防衛戦で、使用する銃をモシン・ナガンからSVT-40に変更したとされていますので、その影響かと思われます。


 しかしパヴリチェンコ女史の自伝『最強の女性狙撃手』(原書房2018)の巻頭に載せられたマーティン・ペグラー氏の序文では、SVT-40は機構が複雑で信頼性に難があり、パヴリチェンコ女史は「自身ではこのライフルを選択しなかったと思われる」と、いささか異なる趣旨の解説がなされています。(自伝P10の2~11行目)


 さらにパヴリチェンコ自身による本文でも、「SVT-40の欠陥については……」と、わりとケチョンケチョンに指摘(P116の3行目以降)していますし、その欠陥によって戦場で作動不良を起こし、調整のためヘルメットを脱がざるを得ず、そのため頭部に重い戦傷を負った経験を語っています。(P115~117)

 1941年9月に狙撃スコア百人突破を讃えられて、自分専用のSVT-40を軍から受領したことで、パヴリチェンコ女史はSVT-40の愛用者とみなされ、プロパガンダ写真でももっぱらSVT-40を構えて撮影されています。

 だから「パヴリチェンコ=SVT-40」になったのですね。

 しかし自伝を読むかぎり、彼女は目的と環境に応じて柔軟にモシン・ナガン系列のライフルを重用し、1941年12月にはSVT-40の仕様を止め、モシン・ライフルに変更することにしました。(自伝P179最終行~P180の2行目)

 たとえば1942年1月23日、セヴァストポリでドイツ軍の熟練スナイパーと“決闘”した場面では、600~800メートルの距離で“モシン・ライフル”(P211の12行目)を使って勝利しています。なんと、この敵も戦利品のモシン・ライフルを愛用していたとは。


 パヴリチェンコ女史の輝かしい勝因は、その驚異的な狙撃技量に加えて、状況によってライフルを使い分け、ときには数名の機関銃チームを帯同し、自身の狙撃によって敵に居場所がバレて反撃されたときに、機関銃で援護してもらう(自伝P203の13~14行目)など、自分と仲間の生存と帰還に細心の注意を払っていたことにあることが、自伝から読み取れます。

 テクニックだけでなく、“生き延びて還る”ことこそ、カリスマスナイパーの要件であるということでしょう。



 また、『狙撃兵ユーリヤ ~ある東部戦線回顧録~』(著:ユーリヤ・ジューコヴァ、訳:岡崎淳子 ホビージャパン軍事選書2020)のP130~131のコラムにおいても、同様にSVT-40の欠陥が語られ、その機構が複雑で構造が脆弱、故障しやすかったことで、結局、旧来のモシン・ナガン系列が主力の座に復帰していった……とされています。

 著者のユーリヤは年齢18歳にして、1944年3月に中央女子狙撃学校へ入校、同年11月に前線へと出征、翌1945年5月の戦勝まで半年ほどの戦闘参加で、射殺スコアは8人であったといいます。それにしても18歳の少女が仕事で人を射殺し、そのスコアを戦友たちと競っていた、という現実には何ともはや……言葉を失います。


 P135に掲載された、“1944年6月に撮影された写真のユーリヤ”も、構えている銃はモシン・ナガン系列と思われます。


 また、冬戦争に参加して史上最多の戦果542名のスコアを誇るフィンランドのカリスマスナイパー、シモ・ヘイヘ氏も、愛用したのはモシン・ナガン系列ですね。

 総じて、大戦中の超絶スナイパーが愛したのは、敵味方の区別なく、モシン・ライフルだったということでしょうか……


 全編を通じて半自動銃SVT-40を愛したセラフィマですが、『氷風のクルッカ』の表紙で、照準眼鏡スコープ無しでクルッカが構えるモシン・ナガンも、今や数々の伝説に彩られて、独特の風格を放っています。

 両銃の対決も、見たかったものだと思います。

 もちろんフィクションの世界で。


 




                         【終わり】




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