14●H氏の受難と「登場人物」の謎。で、本質はやっぱり百合!?
14●H氏の受難と「登場人物」の謎。で、本質はやっぱり百合!?
セラフィマの仇敵となる、ドイツ軍狙撃兵、H氏。
第一章の登場以来、第六章でピリオドを打つまで、セラフィマの憎悪の対象として、物語の伏線であり続けます。
しかし……
H氏、そんなに悪人なのか?
読み終えて残る、素朴にして重大な疑問。
全編を通じて、H氏がしたことを振り返ってみましょう。
身内のドイツ部隊に対して銃を向けて発砲姿勢をとった民間人を射殺しますが(P28~32)、戦争中に兵士に向けて戦闘意志を示した民間人はゲリラとみなされても仕方ありませんし、ドイツ側にしてみれば正当防衛、おおむね違法とは言えませんね。H氏、仕事に真面目なだけです。
相手との合意のもとで愛人は作ったれど、婦女暴行はしていない(P269~272、296~299、307~308)。誠実です。
傷ついたセラフィマに包帯を巻き、手当てしてやる(P422)。親切です。
本人の直接的な罪でもないのにくどくどと弱気な言い訳を繰り返し、セラフィマに「頼む、許してくれ」と丁寧に詫びる(P424~426)。小市民です。
真面目、誠実、親切、小市民。
いやどうみても、それほど悪人ではないのです。
むしろ人間像としては、意外といい奴の方みたいです。
一緒に居酒屋で飲んだら、ちょっと愛想悪いけど、味のある話をしてくれそうな。
もちろん狙撃兵として数十人は射殺してきたでしょうが、あくまでお仕事の内ですし、セラフィマだって同じことを、もっと狡猾にやり遂げて来たはずですね。
H氏とセラフィマ、二人が並んだとき、どちらがより悪い罪びとなのか、いささか判断に困ってしまいます。
そこが、この物語の不思議な謎のひとつ。
最大級の伏線かもしれません。
それでもセラフィマはH氏を憎む。
八つ裂きにしても火あぶりにしても飽き足らないほどに憎みます。
*
さて、負傷してセラフィマと対面したH氏は、彼女に何か語り掛けます。
しかし、ドイツ語なので、周囲のソ連兵には理解できません。(P447の9行目)
ドイツ語のできるセラフィマが通訳します。
このときセラフィマは、イジワルにも、わざと違った意味の言葉に、つまりウソの翻訳をして、周囲の誤解を誘います。
ウソ翻訳であることは確かです。
「見ていたぞ」(P447の12行目)とセラフィマが訳しますが、H氏は倒れたまま動けず、見ることができたはずがないのですから。
そこで、ひとつの謎です。
H氏は、本当は何と言ったのでしょうか?
本文中には、全く触れられていません。
しかし、ヒントはしっかりと残されています。
この仕事が終わったら「投降する」(P434の5行目)と、H氏は仲間に告げていたのです。
だからおそらくセラフィマに、こういった意味のことを言ったのでしょう。
“おれは降伏する、ジュネーブ条約の捕虜として扱ってくれ。……頼む、彼女に会いたいんだ”
セラフィマ、ものすごーいイジワルを、ここでしたわけです。
その少し前に、H氏の愛人に関して残酷なウソをついていたことを告白します(P441の9行目)し、敵視する人間をとことんいたぶる癖がついているようです。
P264の8行目でイリーナから「楽しむな」と叱られているのが、その証拠。
セラフィマ、怖い。
SとMなら間違いなく、見た目はMでも中身はガチガチのハードSな女性です。
正直、男性が安易におつきあいすると、とんでもない火傷を食らいそうな、魔性の
さすが“魔女の巣”で鍛え上げられただけのことはありますね。
ということで、哀れH氏。
結局のところ、全編を通じて、救いなき受難に甘んじたわけです。
しかし、そこで一段と気になるのは、H氏の愛人のS嬢。
この顛末を知ったら、普通、セラフィマを憎みます。とことん憎みますね。
どうなるのか、あたしゃ知りません。
戦後何十年かして、セラフィマはその報いを受けなくてはならないかも……
そう考えると、S嬢も全編を通じて、救いなき受難に甘んじたわけです。
H氏とS嬢。
お二人とも、ある意味、存在感の
ひょっとして、いなくてもいいキャラクター、だったりして?
*
戦争、という狂気の時代が、イリーナを、そしてセラフィマという憎悪をたくわえた女性を作り出し、ごく普通の純真な少女だったセラフィマを、般若の面を被った、冷酷非道で残虐な鬼女へと変貌させていく……
そんな、美しくも恐ろしい一篇が、『同志少女よ、敵を撃て』のストーリーの
*
といいますのは……
『同志少女よ、敵を撃て』の最大にして根本的な謎が、本文のさらに前に置かれた、P4の「登場人物」に隠されているからです。
そこに挙げられた「登場人物」をご覧ください。
大事な人物が、足りませんね。
セラフィマの仇敵となるH氏。
その愛人のS嬢。
そして実在のカリスマスナイパー、リュドミラ・パヴリチェンコ女史です。
物語における役割の重要性を考えれば、エカチェリーナやミハイル、そしてマクシム以下四人をみんな割愛しても、上記三人は「登場人物」に記されていなくてはならないはずです。
これは奇妙です。“うっかりミス”とは思えません。
校正の際に、真っ先に見るページでしょう。ということは……
作者様が意識的に、あるいは無意識的に、H氏、S嬢、パヴリチェンコ女史の三人を外し、そのことで読者に謎をかけられたのではないかと……
勘ぐりすぎかもしれませんが、そのような仮説を提示しておきたいのです。
*
これを、読者への挑戦状とも言うべき、作者からの謎かけと仮定すれば……
いかにして謎を解くべきか。
『名探偵コ●ン』みたいなレベルの推理で恐縮ですが……
事件の手掛かりが、この小説原稿の束に隠されている……としましょう。
最初の一枚の「登場人物」を見ると、極めて重要な三人が省かれている。
そんな場合、名探偵少年はこう結論づけるでしょう。
“小説の原稿から、この三人の要素を取り去るんだよ。そうすれば、残った本文のストーリーに真実が浮かび上がる。それが、作者が本心から伝えたかったメッセージなんだ。……そう……犯人はおまえだ!”
*
なぜならば……
本当に必要な人物なら、「登場人物」に載せられているはずだからです。
そういうことです。
H氏、S嬢、パヴリチェンコ女史、この三人の要素を、この一冊の物語から取り去れば、何が残るでしょうか?
セラフィマの、男性というものに対する憎悪と復讐の物語が、消えます。
実在人物の年長女性による、説教っぽいカリスマ的な影響が、消えます。
そして残るのは……
自分の意志に反して、イリーナのスカウトによって戦場へ連れ去られたセラフィマの怒りと憎しみ。
そしてイリーナとセラフィマの、命をかけた戦いの日々。
狡猾にして非情な狙撃の道を極め、戦場の鬼と化してゆく二人。
しかしカリスマの理想像に頼らず、自力で切り開く、人間の生。
不幸と恐怖の只中から、死力を尽くして二人が拾い上げる、あたたかい感情。
やがて。
戦場の過酷な日々を通じて成長するセラフィマが、その“お姉さま”的な役柄であるイリーナへの怒りと憎しみを克服して……
二人の間の、かけがえのない絆を“愛”に昇華する物語。
それが、この作品の、本来あるべき姿として、浮かび上がってくるのです。
戦場の
ならば、作者様が本当に書きたかった、この小説の最初の構想は、そのあたりから出発したのではないか?
あくまで私の個人的な感想ですが、作品のおおもとは、やはり“百合の物語”だったのでしょう。ここ数年の、ちょっとした“ロシアン百合”のブームが、発想の背景にあったかもしれませんね。
女性の、女性による、女性のためのスナイパーチームが構想段階で登場し、そこに歴史的に最も劇的な“戦争”という舞台と、身勝手な男性への復讐談、そして実在人物の登場によるリアリティを何層も積み上げていった結果、『同志少女よ、敵を撃て』という作品が組み上がっていった……そのように見えるのです。
その芯に隠された本質はやはり、“美しき百合”にあったのだと。
*
以上はあくまでも、私個人の感想にすぎません。
『同志少女よ、敵を撃て』という作品に対して、何かを決めつけるつもりは全くありません。
ただ、作品を一読して、いろいろな謎に気付き、読解の混乱を解決しようと思いをめぐらすことで、以上の感想を持ち、そして、楽しませていただきました。
『同志少女よ、敵を撃て』は、やはり(とりわけ百合的に)素晴らしい作品です。
作者様に感謝申し上げます。
多少、謎が謎のままで残りましたが……
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