08●スターリングラードに遅刻するな! 虚実ないまぜの歴史改変。
08●スターリングラードに遅刻するな! 虚実ないまぜの歴史改変。
『同志少女よ、敵を撃て』の大きなテーマは、何でしょうか?
ありがたいことに、作品中で明瞭に表現されています。
「そう。自分は女性を守るためにここまで来た」(P442後ろから4行目)
「女性を守るために戦え、同士セラフィマ。迷いなく敵を殺すのだ」(同18行目)
「同志少女よ、敵を撃て。」(P443の2行目)
この一連のモノローグ風の描写が、この作品の生命であり、中心点を示していることは間違いないと思います。つまり……
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『同志少女よ、敵を撃て』は、狙撃という手段で“女性を守る女性たち”の物語。
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文字どおり、作品中では、イリーナという先駆的なスナイパー指揮官のもとで、“女性が指揮して、女性の狙撃手を育て、女性のために戦う集団”が誕生します。
育成から実戦まで、女性指揮官のもとで一貫して活動する、女性スナイパー小隊。
これが、いわゆるミリタリー小説のジャンルで、『同志少女よ、敵を撃て』が打ち出した新たな特色であり、それをライトノベルの作風でなく、リアルな史実をベースにした作品世界で描き上げたことが、作者様の大きな功績であると思います。
ということは……
男が介在しない、女だけで完結する狙撃小隊。
これを極力、史実に反しない形で作品中に実現しなくてはなりません。
しかし、実際の歴史は、以下のように進んでいます。
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●史実の年表
※注……【 】内は筆者の注意書きです。
1939~40年初頭:赤軍はフィンランドとの“冬戦争”でスナイパーを投入。
1941年夏:レニングラード管区にて、大規模なスナイパー育成に着手。
1942年3月20日:“第一狙撃師範学校”を設立。【男性中心】
同年11月27日:これを“中央狙撃師範学校”に改称。【男性中心】
同年12月7日:【★1】同校で、女性を対象とした三か月の講座を開設。好評。
1943年5月21日:ヴェシニャキーに“第一女性狙撃兵養成学校”を開設。
同校の就業期間は7か月に延長。
【★2】女性スナイパーを専門に養成する世界初の機関となる。
同年6月22日:同校第一期生卒業。104名が前線へ。125名が教官となる。
同年7月:同校が“中央女子狙撃学校”と改称。
【★3】校長はノーラ・パーヴロヴナ・チェゴダーエヴァ。
【★4】同校、ポドリスク市へ移転。
同年7月25日:第二期生の訓練開始。
1944年1月24日:第二期生887名のうち585名が前線へ送られる。
……以上、『狙撃兵ユーリヤ ~ある東部戦線回顧録~』(著:ユーリヤ・ジューコヴァ、訳:岡崎淳子 ホビージャパン軍事選書2020)のP103~104及びP107の記述より。
『狙撃兵ユーリヤ ~ある東部戦線回顧録~』はノンフィクションの自伝として書かれており、そこに記された歴史は、史実であると解釈します。
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ご覧のとおり、女性スナイパーの専門的な育成は、【★1】の、“中央狙撃師範学校”における“三か月間の女性向け講座”に始まります。
この講座が開始されたのは1942年の12月。「コムソモールや、狙撃手の資格認定を受けた多くの女性たちの働きかけ」(『狙撃兵ユーリヤ』P104)で開設されたとされますので、同年6月までクリミア戦線で活躍していたパヴリチェンコ女史の影響もあったことでしょう。
一方、スターリングラードの戦いは、1942年6月28日から、翌1943年2月2日までとされます。(ウィキペディアより)
映画『スターリングラード』(2001)の主人公、男性カリスマスナイパーのヴァシリ・ザイツェフが活躍したのは1942年の11~12月。
おそらく作者様としては、この時期に間に合わせて、イリーナが率いる女性狙撃小隊をスターリングラード市街に送り込んで、作戦参加してほしいところでしょう。
しかし、史実の年表では……
【★1】の“女性向けの三か月講座”が始まったのは1942年の12月。
【★2】の女性専門機関、“第一女性狙撃兵養成学校”の開設は1943年5月です。
史実における女性スナイパー育成講座の開設を待っていたら、1942年11~12月のスターリングラード戦には間に合いません。
間に合わせようとしたら、男性中心のスナイパー養成施設に入って、男性の教官のもと、男性の兵士に混じって訓練を受け、男性と共に前線配属され、男性指揮官のもとで戦うことになります。
つまり、男中心社会の軍隊の中で、女性である特性を押し殺して戦わねばなりません。事実、映画『ロシアン・スナイパー』では、パヴリチェンコ女史は男性に混じって訓練を受け、男性の上官とともに狙撃に挑みます。
また、『戦争は女の顔をしていない』(著:スヴェトラーナ・アレクセーヴィチ)でも、まさにタイトル通り、女性狙撃兵は男ばかりの軍隊で孤立し、男性の上官が彼女たちの処遇に困惑する様子などが語られています。
『同志少女よ、敵を撃て』のセラフィマたちがこのように男性軍人の中でいろいろと苦労する……という展開になったら、物語のリアリティは増すものの、作品のテーマにはそぐわなくなりますね。
何とかして、“男が介在しない、女性だけで完結する狙撃小隊”を成立させたい。
そこで、作品中の世界では、このように歴史の流れが変わりました。
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●1942年2月:セラフィマはイリーナに半ば強制されるように、“中央女性狙撃兵訓練学校の分校”に入学(入隊)する。
●1942年3月:女性狙撃兵を専門に養成する“中央女性狙撃兵訓練学校”がポドリスクに設立される。
※校長はノーラ・パブロヴナ・チェゴダエワ。(P96)
※セラフィマたちの訓練施設はその分校であり、女性狙撃兵養成の先行実験。
●1943年から、“中央女性狙撃兵訓練学校”は本格的に活動を開始する。
(以上、P56の8~10行目の記述より)
●1942年11月12日:セラフィマたちの“分校”の最後の訓練、卒業。(P112~129)
「これより、最高司令部直属の狙撃専門小隊として遊撃する」(P129)
同年11月22日:第39独立小隊としてウラヌス作戦に参加、戦場に到着。(P152)
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そこで、先に述べた、史実の年表と照らし合わせてみましょう。
1942年3月に、男性中心の“第一狙撃師範学校”を設立。【史実】
つまり作者様は、この史実を、「女性狙撃兵を専門に養成する“中央女性狙撃兵訓練学校”」が設立されたという内容に置き換えたわけですね。
かつ、その所在地は年表の【★4】で、史実の“中央女子狙撃学校”が1943年6~7月に移転した先のポドリスク市としたわけです。
また、校長のノーラ女史は、【★3】の、実在した校長の名前をそのまま持ってきています。しかもP96で実際に作中に登場させています。
このように歴史を改編し、しかもセラフィマが入学したのは、“中央女性狙撃兵訓練学校”そのものでなく、特別な先行実験を行う“分校”とされました。
厳密に史実に従うと、この物語が始まった1942年2月の時点では、女性専門の狙撃兵養成学校は存在しません。
そこで、上記のように虚実ないまぜの設定を構築して、セラフィマたちの訓練校(ただし分校)を物語の中に出現させたのだと思います。
史実ではまだ設立されていない“女性専門の狙撃兵育成施設”を物語世界に創ったのは、この時期に開設されていないと、セラフィマたちがスターリングラードの戦いに間に合わなくなる……という事情があったからだと思われます。
だから物語のスタートが、諸事を逆算して、1942年の2月にされたのでしょう。
セラフィマが入学したのは1942年2月。
それから9か月後の11月に卒業し、スターリングラードの戦いの前座といえるウラヌス作戦に出撃する……というのは、まず合理的なタイムテーブルです。
こうして、イリーナに率いられた、セラフィマたち最高司令部直属の狙撃専門小隊を誕生させることができたわけです。
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以下、私の個人的な推論をまとめますと……
『同志少女よ、敵を撃て』の物語のスタートは、当初、1941年の夏に設定されていた。
しかしそれでは、セラフィマはカリスマスナイパーのパヴリチェンコのことを知らず、憧れの存在として描くことが難しくなります。
また、1941年の夏ですと、女性専門の狙撃兵養成施設どころか、男性中心のスナイパー養成学校すら未設置です。となると、セラフィマは男ばかりの、一般的な兵学校に入らなくてはならなくなります。
そこで物語のスタートを1942年2月へと、後ろ送りに移動しました。
女性専門の狙撃兵養成施設はまだありませんが、男性中心の養成校は史実では3月に開設されますので、物語ではこれを女性専門の養成校とし、その校長ノーラと所在地ポドリスクは史実をそのまま借用。
さらにセラフィマたちは本校でなく、実験的な“分校”の所属とすることで、訓練教官も実戦の指揮官も女性が務める、女性狙撃手だけの、最高司令部直属の狙撃専門小隊を作り出して、スターリングラード戦の参加に間に合わせた……
そういった制作作業が読み取れます。
かなり複雑で面倒くさいプロセスですが、それらの検討を重ねて、『同志少女よ、敵を撃て』のストーリーが緻密に組み立てられていったようです。
これがライトノベルですと……
さっさと、“クレムリン直属の美少女狙撃小隊:アサルトパルナス・スナイパーズ5~モスクワの味な乙女たち~”、なんちゃって……な感じのチームが成立し、ウラル山脈だかバイカル湖畔あたりに“秘密基地+とらのあな”的な鬼訓練施設を有して、狙撃だけでなく“くノ一”なスパイ技能と魔法忍術とハニートラップのノウハウも会得して、万能魔法特殊戦隊として凶悪なナチス相手にガールズランボー怒りのピロシキ……なノリで、波乱万丈の冒険を繰り広げてくれたことでしょう。
独ソ戦の格闘型魔法美少女ゲーム化みたいなものですね。
参加できる作戦も、いろいろ。
例えば『1942年のハイドリヒ暗殺』『フィンランド継続戦争』『重水製造工場の破壊工作:テレマークの要塞』『ロンメル暗殺計画』『ペーネミュンデ破壊工作』『プロエスティ爆撃とキャッチ22』『マルタ島潜入と、やる気のないイタリア海軍をもっとダレさせる作戦』『1943カサブランカ会談を守れ!』『ナヴァロンの要塞と失われたアーク探し』『史上最大の作戦のドサクサに紛れた最小の作戦』『マーケット・ガーデン作戦でもう一つ橋を取る』『ムッソリーニ誘拐作戦とスコルツェニー退治』『ドラキュラ城をナチスから守れ!』『大列車作戦をお手伝いする』『マックイーンの大脱走をお手伝いする』『ヒトラー暗殺作戦をお手伝いする』『サン・テグジュペリを撃墜から救う』『戦艦陸奥を呪詛で爆沈する』『孤高の戦艦ティルピッツを撃沈せよ!』『カリブの海賊Uボート退治』『エイルシュタット公国の救援』……
いやとにかく、うっかりラノベ化すると、トンデモな方向に転がっていきかねない設定なのです。それはそれで面白いかな? でも文学賞はもらえませんね。
そのように、安易にラノベ化に堕することなく、虚構と史実の絶妙なバランスを取って、“女性狙撃手だけの独立小隊”をリアリティ豊かな世界に構築されたことは、まさに『同志少女よ、敵を撃て』の作者様の慧眼であると思います。
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とはいえ……
『同志少女よ、敵を撃て』のミステリーは、まだまだあります。
セラフィマたちの戦場での戦い方とかに、あれこれと不思議が……
詳しくは次章で。
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