07●映画『ロシアン・スナイパー』について。そして、“最初の一発と最後の一発”。
07●映画『ロシアン・スナイパー』について。そして、“最初の一発と最後の一発”。
ソ連のカリスマ女性スナイパー、リュドミラ・パヴリチェンコの青春と戦争を描いた映画『ロシアン・スナイパー』(2015)。
やや史実を離れた、エンタテイメントとしての脚色もかなりありますが、私個人の感想としては、映画としてはどうしてなかなか、大傑作の部類に入ると思います。
ただ残念ながら、大ヒットしたという記憶はありません、というのは……
映画はロシアとウクライナ、二か国の共同制作。
そして、公開は2015年4月。
なんと、ロシアによるクリミア半島の併合が、その一年前、2014年の春。
ということは、映画製作中にクリミアがロシアに取られてしまった!?
主人公のリュドミラ・パヴリチェンコはウクライナの出身だけど、ソ連軍のスナイパーとして活躍し、309人を射殺した。いわば、ロシアに貢献した人物。
うーん。
ロシアではともかく、ウクライナでヒットするとは思えない、タイミング的に。
映画を両国が共作するなんて、ひょっとして、この作品が最後になったかも……
しかも、2022年の今、ウクライナ戦争の渦中であることを
ウクライナ出身、だけどロシアのスナイパーになっちゃった……
しかも、演じる女優さんはロシアの人。
いやほんと、複雑な事情を含みつつ……だからこそ注目すべし、かな。
そのような悲劇的な生い立ちを背負ってしまった作品だけに、2022年の今こそ、DVDなどでぜひご観賞をおススメします!
*
映画の中で、パヴリチェンコはソ連すなわち現在のロシアの狙撃手として、ナチスのファシストを次々と撃ち殺します。
彼女は1942年にアメリカへ派遣されたとき、「私たちソ連はファシストの侵略者と闘っています」と、彼女を取材するアメリカの記者に対して胸を張ります。
しかし、そんな彼女に対して、記者の一人がこんな風に尋ねます。
「でも、ソ連も侵略者だ、フィンランドやポーランドを蹂躙した! かくいう私はロシア人(米国への移民か亡命者)だがね」
ソ連は決して正義の味方ではなく、ドイツに攻められる前にフィンランドと戦争し、ポーランドとも戦争して、領土を奪っています。それも一方的な侵略戦争で。
それが歴史的事実であることを、映画はきっちりと押さえています。
この点、非常に好感を持ちます。
ソ連は正しい、ウラー! おれたちは戦争に勝った。ヨーロッパの解放だ。これが国際正義だ、ヒャッハー! ……と言わんがばかりの超大作戦争映画とは、一味も二味も異なった、“ウクライナ視点”が含まれているわけです。
また、敵を射殺することが正義であるスナイパーの彼女に対して、幼なじみの女性が女子看護兵として必死に働き、主人公のパヴリチェンコと見事な対照性を見せてくれます。
例えばこんな感じですね。
「今日は二人殺した」とパヴリチェンコ。
看護兵の彼女は即座にこう言います。
「私は二人の命を助けたわ。そのうち一人は敵のドイツ人だった」
しかし、助けたはずのドイツ人は、じつは……
人の生きざまとして、何が尊いのか、神様は何を望まれているのか?
この二人の立場の
で、じつはこれにかなり近いシーンが、『同志少女よ、敵を撃て』にもあります。P452の最後の4行分ですね。
また、狙撃の腕を上げたパヴリチェンコが、ターゲットにしたドイツ兵を一発で殺さず、ニコニコといたぶって“楽しむ”状況があり(怖いゾ!)、同行していた上官が諫めたりもしますが、同様の場面が、『同志少女よ、敵を撃て』のP264の8行目に見られます。
『ロシアン・スナイパー』は映像で、『同志少女よ、敵を撃て』は活字で、双方の場面を重ね合わせてみると、よりリアルなイメージを味わえますね。
なお。映画『スターリングラード』(2001)では、中古ヘルメットを使った“疑似餌”で敵のスナイパーの発砲を誘う仕掛けが使われ、『同志少女よ、敵を撃て』でも同じスターリングラードで同様の仕掛けを用いています(P244の10行目以降)。
そして圧巻は……
超人的な射殺スコアをものして有名になったパヴリチェンコが、プロパガンダに利用され、戦闘で心身ともに傷つきボロボロになりながら、マスコミ対応の写真撮影に応じねばならず、その後、すぐさま前線への出撃を命じられる……という悲壮感に満ちた展開となります。
国家のために英雄の虚像を押し付けられ、それゆえに敵を殺し続けねばならない。
祖国の人々を守るというよりも、軍事宣伝のための射殺。
彼女は敵の敏腕スナイパーと、荒野で一対一の勝負を強いられます。
愛する人を失い、戦傷も癒えず、出血する身体に鞭打って狙撃銃を構えます。
生きていることに、極限まで疲れ果てた彼女。
やがて意を決して立ち上がり、敵の方角に顔の正面を向けます。
彼女の額には、自分の血で描いた十字のマーク。
これは標的です。撃ちなさい、殺しなさい、あたしはもう、それでいい……と。
その一瞬、敵はためらいます。トリガーを引く指が、コンマ何秒か、遅れる。
刹那、彼女は敵を発見し、撃ってしまいます。
敵が一瞬ひるんだ原因は、後でわかります。
敵の狙撃手は、新婚だったのです。国に新妻を残してきました。
だからパヴリチェンコの“女の顔”を銃のスコープ越しに正面から見たとき、
“戦争は、女の顔をしていない”は、2022年のいまや有名なフレーズです。
その“女の顔”が戦場に垣間見えたとき、男の冷静さが乱れ、足元に地獄が口を開けてしまった。
人の命をカードゲームのように瞬時に、しかも簡単にやり取りする、そんな戦争の恐ろしさを象徴するシーンですね。
そして狙撃手を引退後、まだ大戦中の1942年、彼女は使節団の一員として米国へ派遣されます。そこで演壇に立ってスピーチするに際して、彼女は、あらかじめ政治委員から渡されていたメモを握りつぶし、自分の言葉で語るのです。
その意味合い、ニュアンスは……
“
そんな感じです。309人も射殺した私には男性のどなたもかないませんね、という意味合いに加えて、“戦争するしか能のない殿方たち、そんなことでいいの?”みたいな気骨も感じさせます。
彼女は女として戦った。戦わざるを得なかった。
では男はどうなのか。男が偉そうに戦う理由は、愚か過ぎはしないか?
このあたりを含めて、多くは映画用の演出であり、フィクションなのでしょうが、『ロシアン・スナイパー』は単なる戦勝ヒャッハー映画でなく、スナイパーを志した女性が自身の生きざまを自問し、戦う男たちの生き様を問いかける、奥深い設定が講じられていることに感動を覚えるのです。
このように『ロシアン・スナイパー』(2015)は、二度も三度も観て楽しめますし、何度も考えさせられる、なかなか意味深な傑作なのです!
そして男性版スナイパー映画『スターリングラード』(2001)も絶対必見!
で、両作に共通して、しみじみと感じることがあります。
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実戦の最初の一発、そして実戦の最後の一発。
そこにスナイパーの人生が凝縮されている……
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そういった視点で、『同志少女よ、敵を撃て』を繰り返しお読みになってはいかがでしょうか。
また違った味わいがあることと思います。
さてパヴリチェンコ女史の件だけでなく、『同志少女よ、敵を撃て』には、一見、史実に即しているように見えて、フィクションゆえに歴史のタイムテーブルを都合よく改変した部分もあります。
これも避けて通れないので、詳しくは次章で。
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