忘れ者
青山 未
忘れ者
何か自分に特別な能力があったらいいなと思ったことはないだろうか。テレビや漫画の世界で多種多様な能力を駆使して戦う姿に憧れたことはないだろうか。
僕は、無い。
有るから無い。
僕には能力がある。しかし、あることは知っていても僕自身がそれを確認することは出来ない。さながらウミガメのスープのようになってしまったが、特段隠し立てするつもりもなければ隠すことは出来ない。
正解を発表しよう。僕は「他人から僕個人だと認識されない」能力がある。
どこかから「え?それだけ?」と非難の声は聞こえてきそうだが、自分の親や容姿が選べないように能力でさえ選べたりはしない。地味と言われればそうであり、何らかの技術を習得すれば似たような状態を作り出すことは出来るかもしれない。
僕がこの固有性に気づいたのは小学校にはいった頃だった。幼稚園児と言うものは何か自分に変わりがあるかなんて気づかない生き物であるし、毎日関わる両親は僕を僕だと認識していた。つまりある一定の以上の交流があれば無効化されてしまうようなモノなのだ。
入学式をすまし、各々が割り振られた教室に戻り自己紹介をするのは自然な流れだった。ここで重要なのは僕がただ影の薄い人間と言うわけではない点である。自分の番は回ってくるし、名前を言った際に他人がそれが聞こえなかったり別の言語に聞こえるわけでもない。ただ「見たことあるけど誰だったっけな?」と思われやすく、人より何倍も覚えられずらい。
そんなことに気づいた僕は案外冷静だったと思う。教室の中で純粋に浮いているような奴に話しかけ、できる限り早く「他人」の域を出る。毎日自分から話しかけ、ペアワークもそいつを頼りにした。こんな風にいうと利用していたようで不当に僕の株が下がりそうで不服ではあるがこんな僕でも浮いていたアイツにとっては唯一の友になってあげたのだし、アイツは僕にとっても唯一の友だった。僕ら二人にかかわらず誰もが誰かを利用し利用されている。
が、小学三年生になったとき、僕はまた振出しに戻ることになる。二年生ではアイツがまた同じクラスだったからよかったものの、「二度あることは三度ある」ではなく「三度目の正直」で状況は悪い方に進んだ。
半年。それがアイツに僕が覚えられるまでにかかった時間。
三年生になった時、僕は新たに声をかけ続けようと決めていた人物がいた。半年かけてその人物に認識されようと努力する覚悟があった。しかし、三年生になって一か月が経ったある日、ひとり廊下を歩くアイツがいて声をかけた。
それに対する反応はつい一か月前のそれとはあまりにも違った。いや、完全に忘れていたわけではない。コーヒーを淹れているときのようなじわりじわりと思い出している。そんな印象だった。
一か月。それがアイツに僕が忘れられるまでにかかった時間。
ここでも僕は冷静だった。いや、冷淡であったという方が僕と言う人間を正確に表しているかもしれない。僕は努力をやめることにした。悲しくはあるが、辛くはない。どちらかと言えばこれから積み上げる努力が水の泡になっていくことを知りながらこのまま進む方が辛いのだから。
悪いことばかりではないのだ。授業中に大便をしたくなっても誰からも揶揄されないし、危険な香りのする先輩に目を付けられることもなく、人間関係のいざこざに巻き込まれることもない。
平和に暮らすことにはどうやら向いているのだ。
僕は高校生になった。好青年とはいかないが人との関りが少ないにしてはどうだろう、かなりまっすぐ育ったと思う。人には人の生き方があるし、僕には僕の生き方がある。公立の中学校に通っていた僕はほとんどが小学校の持ち上がりの同級生で面白みを感じていなかったし、中には小中の六年間でかかわりはなくとも僕の認識が若干強くなってきている人間もいたため、何かアクションを起こすにもすこし躊躇われるものがあった。
そして高校生になったということはつまり周囲の人間がガラッと変わる。卒業式で渡された資料を見るに、僕と同じ高校に通う者はいない。居ても気づかないだろうが。
だから僕は商いを始めることにした。責任屋だ。僕は責任を売る。
中学二年生の時、この時期によくある話として自己が増長していた僕は校内のあらゆる立ち入り禁止の教室に入るなどして自分の能力を乱暴に使っていた。それが何なんだということではあるが、意味が分からないのがこの時期であって意味も何もないようなことが楽しいのであった。その中で校長室に忍び込んだ際、花の飾られた花瓶を誤って落とし壊した。その瞬間それまであった全能感は消え失せ現実に引き戻されるような感覚に陥り怖くなってそこから逃走した。誰かのせいにしたいが自分の顔以外思い出せなかった。次の日のHRでその件を担任教師が触れたのを鮮明に覚えている。いつもならどんな連絡であっても自分に伝えようとしているわけではないと聞き流すことができるのに、今回ばかりは自分に向けて四方八方をスピーカーで埋め尽くされた部屋に一人、全身でもって聞かされている気がした。罪悪感に勝てなかった僕は自分の特性など忘れその場で言い出しても変わらないはずなのに、HRと次の授業の少しの間で職員室に急ぎ、扉を開き開口一番、懺悔をした。その場に居合わせた校長は怒りをにじませながらも低い声で
「後ほど校長室に呼び出します。覚悟をしておきなさい」
と僕の喉笛に切っ先を突き付けた。
すぐに授業が始まるタイミングだからこその言葉だったがすぐさま介錯をしてくれた方がどれだけよかっただろうか。
寸止めのまま教室に戻って授業を受け、
そのまた次の授業を受け、
そのまたまた次の授業を受けた。
昼休みになった時さすがに呼び出されると思い、人気の少ない校内の端っこで判決を待つ被告人になっていたが待てど暮らせど、呼び出しの放送は流れなかった。午後の授業が始まり終わり、放課後になった。担任も僕を呼びに来なかった。怒られない方が都合のいい僕は当然帰る。もう、速足で。忘れたのならあちら側の落ち度であり、僕個人は罪の告白をもうすでにしているのだから。
次の日、僕は校長にも担任にも、誰にも呼び止められなかった。周囲の生徒の噂話によればある生徒が謝罪に来て事なきを得たという認識らしい。
つまり、校長や教師陣は生徒が謝罪に来たことは記憶にあるがそれが誰であったかの記憶はなく、しかしそれでは意味が分からないためこの件が終息したことにしたようだった。
これを知った時、僕は大いに笑った。
そして思いついた。
自分の責任を無かったことにできるということは、誰かの責任を肩代わりし無かったことにもまたできるということに。
ここからも僕がまっすぐ育ったことが分かっていただけるのではないかと思う。ここで自分の責任のために能力を使うのではなく、他人のために能力を使おうというのだから。
手始めに、高校で責任屋を始めた。校内の掲示板に「責任売ります」の一言と張った日付、メールアドレスだけを書いたポスターを張っておく。そして昼休みの放送権を持っている放送部のコーナーに責任屋の噂を投稿する。高校生と言うのはモノ好きばかりなので少しずつ依頼が来た。初めは「借りっぱなしで延滞料金がたんまりあるCDを代わりに返してほしい」や「無くしたと思いみんなに探してもらっていた財布を間違えて持って帰ってしまった人をやってほしい」などの小さな願いから「無断で使っていた体育倉庫を使っていた責任を肩代わりしてほしい」や「仲のいい男の子から告白されそうなので、その子の前で告白して振らせてほしい」などヘビー級の依頼がやってきた。その大小によって報酬額はかわった。
断っておくが僕は善人ではない。だが悪人でもない。出来高制で後払いの口座振り込みの形式を取っているが、一度報酬未払いの不届き者がいた際には「責任を返却いただく」ことで対処した。つまりその本人の負ってほしい責任を本人に取らせるということ。正直、不届き者を成敗したときが一番面白かった。
大いなる力には大いなる責任が伴うように、大いなる責任には大いなる代償が伴う。
高校を卒業するとき僕は大学進学をしなかった。責任屋という仕事があまりにも自分にマッチしていてこれを続けることこそ自分のアイデンティティであった。金遣いも荒いほうではなく高校内での稼業によって貯金も十分すぎるほどあったため、あまり心配はなかった。
中学生の時に徒然にかじったHP作りの技術を使いHPを立ち上げSNSも活用してまた0からスタートさせた。小さな依頼からこつこつと実績を重ねたが、当然のごとく如何わしさがぬぐえていないような気がした。高校ではそれこそ校内の誰かがやっていることは明白であるし、ポスターを毎日変えるという努力からも直接見えずとも人間味を演出できたのだろう。
そんな限界を感じ始めていたある時、舞い込んできた依頼のメールの件名はこうだった。
「責任を取ってほしい」
依頼をするにしてはあまりにも大雑把な指令であったが、その詳細を見ると
・依頼人は女性
・自分と一緒にある人物と会い話をしてほしい
・報酬は一千万
とのことだった。
あまりに法に触れそうな案件のように思えたが、なりふりを構っていられるほど僕に余裕はなかった。
指定された日時に指定された喫茶店に向かう。心臓は僕の一歩前を歩いていた。店につくと伝えられていた席に赤いロングコートに水色のジーンズを履いた黒髪ショートの女性がいた。その服装と相まってかわいいというよりは格好よく、凛々しい様相だった。年齢は二十五前後とみた。
「あなたが責任屋さんね」
と想像より低い方で言われよりこちらを委縮させた。
「すぐもう一人来るから待っておいて」
とこちらに言うと
「タバコ、いいかしら」とこちらに尋ねる。
依頼人の機嫌を損ねるわけにもいかない上、元々気にならないため了承した。
「あ、私、織田雪子。貴方は今日基樹でお願い」
なるほど、そういうことかと思いつつ、ある程度この後くる人物と展開を予測させた。
少しすると入口の扉がカランカランとさえずってスーツケースを持ち総黒地のテンガロンハットとロングコート、気立てのいいスーツを着た実に男性的魅力を兼ね備えた老熟な男性が入ってきた。対面に座っていて入ってくる人物が見える僕と背中側で見えない雪子と言う依頼主。こちらに近づいてくるその男性にただならぬ気配を感じここで一度この依頼を受けたことを後悔した。
その男性が依頼人の肩に手を置きそれに応じて振り返る。
「おう、雪子、久しぶりじゃねえか」
見た目通りのハードボイルドな声がこちらの蝸牛まで響き沈む。
「あら、水上さん。どうしたの」
と返事をした依頼人。
会話を聞くに今回のターゲットではないようだった。
「今日は用があるから、また今度ね」
と水上と言う男を返すとまた店内は流れる小粋なBGMだけになった。
結局本当のターゲットが来たのは三十分後だった。「すぐ来る」と言う言葉の範疇ぎりぎりな気がするが仕方ないだろう。
先ほどと同じように扉が鳴き、下駄の足音が聞こえたとき織田雪子は立ち上がって入ってくる着物の女性に深く頭を下げた。自分も面食らったものの、つられて頭を下げる。
自分と織田雪子が隣に座り、着物の女性と向かい合う。お年を召しているが年齢的な弱弱しさは露にも感じず空色の着物に藤色の帯がとても板についていた。
店員に注文をし、最初に口を開いたのは雪子の方だった。
「お母さま、本日はこのような場所にご足労頂きましてありがとうございます」
「……煙草、おやめになられていないんですね」
取り付く島もないような無表情で冷厳な姿勢を崩さない。
「すみません。私は貴方の望むような娘にはなれませんでした」
「私がまだ貴方を娘と思っているとお思いですか」
まだ一言も発していない僕でさえ、先のスーツの男から感じた圧の比ではない空気の重みを感じ、体が内側から破裂しそうだった。
「だからこそです。だからこそ最後に私は貴方をお母さまと呼び、今日伝えなければならないことがあるのです」
眉を少し顰めて視線を僕に向ける。僕は置いてけぼりである。
「私、この隣にいる井上基樹さんと結婚前提でお付き合いをしています」
突然置いてけぼりから最前線に駆り出されたものの動揺を顔に出さないように精一杯の努力をした。
「ふうん、大層いいお家柄なんでしょうね」
関西圏の発音から放たれるこの文言には剣で切りつけられるのと同等かそれ以上の殺傷能力があることをこの身で思い知る。
「そんなことどうだっていいの。彼は私を生まれも育ちも関係なく接してくれた」
目の前にいる般若のような人物に負けんばかりの剣幕で雪子は言う。
「認めてほしいなんて言いません。勘当されても構いません。でもこのことを伝えることだけは二十六年間貴方の娘として育てられた私の義務だと。それを伝える責任があると思ったんです」
「もう、帰ってこないで頂戴」
そう言って一口も頼んだ紅茶に手を付けずその女性は立ち上がる。足を扉の方に向けて進みだしたその背中に
「今までありがとうございました。そしてごめんなさい。
さようならお母さま」
聞こえたかどうかはわからない。でも、聞こえていてほしいと思う。
その後、何日かして報酬が振り込まれていることを確認し、依頼を完遂した。
それからというもの、多額の報酬金を元手にあれやこれや試行錯誤し今では暮らしに困らないくらいになった。
今日も依頼が舞い込んでいる。今回の依頼人は男らしい。都会の定番の待ち合わせ場所で到着を待つ。
人の流れを見ていると話しかけられた。音楽を聴いていたイヤホンを外しそちらを見ると子供を連れたセミロングの女性が
「責任屋さん、お久しぶりです」
と話しかけてきた。
僕は答えた。
「すみません、どちら様でしょうか」
忘れ者 青山 未 @Aoyamahituzi0
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます