ペトラのさがしもの

aoize

一章 第1話 「マモノのいる国」

外は雨だ。


ここ3週間ずっと太陽が出ていたからコクモツを育てているモイグさんは泣いて喜んでいるだろうな。あの親切そうな小さな老人が喜んでいる姿を想像すると自然と口角があがる。手元にある、花の模様のある皿をお湯に沈めた。


「おい、おい!」


「うわ、は、はーい!!」


ホールからの怒鳴り声に気づかなかった。お湯に浮かんでくる泡を数えるのに集中していたからだ。メモをひっつかみ急いでホールに出ていく。


俺が働いているこの店は「ミント」という名前で、花やハーブを使った料理と酒を出している店だ。


「おまたせし……」


「おいおせぇよ!1回で出てこい」


「むしろ……ここで正座して待機してろ!」


前に出た瞬間怒声を浴びせられる。どんどんと足踏みをしているせいで店がミシミシと揺れた。さすがマモノ。


「すみません」


にこりと笑って頭を下げる。大抵のマモノはこれで許してくれる。俺の顔が例の父親に似ているからだろうか。


「まあいいや、ビール2タルな」


「はい」


掴んでぐしゃぐしゃになったメモは使わなくて済んだ。ぺこりと軽く頭を下げてキッチンに向かう。マモノの酒の単位は必ず元の容器だから持ってくるのが大変だな。汗をひとつ流した。


揺れた腕をゴツゴツした大きな何かが包んだ。


「お前、綺麗な顔をしているな」


不気味な仮面の口がにやりと曲がった。銀色の模様が描いている服を身につけているがそこから伸びている腕はマモノらしい醜い皮膚だった。



雨の中、小さな手が俺の右手を握っている。強く引っ張っている。雨音が重なった。



それと同じ手だ。


「離せ」


「あ?」


ゲラゲラ笑う声が耳に、頭に響いた。


心の中は暖かな風が吹く草原のようだった。そんな穏やかな草原の風が強く激しいものになって一気に吹き抜けていく感じがした。


「離せって言ってるんだ」


マモノに引っ張られたのと同時に、上げた拳を顔めがけて振りさげた。










「またなの、ハルカ」


眉間に皺を寄せて俺の頬に薬草を染み込ませたガーゼを貼り付ける。藍色の髪を両耳の下で丸く結っているこの子はアイという名で、この店の店主の孫娘だ。エプロンに青色の刺繍糸でミントの模様が縫ってあった。


殴って腕を離させたのはいいものの、もう1人に頬を殴り返されてぶっ倒れたのだ。かっこわるすぎる。


「いた……」


倒れた時擦りむいた腕の傷に薬草が染みる。エクという名前の香りのいい薬草だ。結構好きな匂いだが傷にキツくしみるので治療に使われるのは嫌いだった。


「もういいよ。ありがとうアイさん」


そう言って立ち上がる。アイさんは眉間に皺を寄せたまま俺を見上げた。アイさんの焦げ茶の瞳が店内の明かりで透き通って見えた。


「ほかの傷は?」


「いいんだよ。これくらいは舐めとけば治るし」


「そんな原始的なことよく恥ずかしがらずに言えるわね。自分のせいでこうなってるんだよ」


「……ごめんなさい」


「常連さんだったからビール9タルで許してくれたけど、上級だったら殺されちゃうよ」


上級というのはこの国のマモノの中で権力を持っているやつだ。マモノは人を奴隷にはしないが上の階級にいるマモノにあまりいい気はしない。マモノは力も強いし、何より「魔法」が使えるのだ。だから人は怯えを持ったままこの国で生きている。


でも人も「風龍のうらぎり」以前は魔法を使って暮らしていたらしい。各地にある遺跡は強いマモノを倒すために冒険者や英雄が、新たな魔法を得るために攻略したダンジョン。ロマンある話だが今はもうただの廃墟だ。


気味の悪い仮面モンスターだったのに、またアイさんに相手をさせてしまった。風が心の中を吹き抜けてついマモノを殴ってしまうことがある。マモノが人に無理やり触れているところを見ると嫌悪感でいっぱいになるのだ。



「うらぎり以前はマモノと殺し合いしてたのに、随分平和になった……」


「うらぎり」とは例の戦いの略称だ。


そして名高い裏切り者は、俺の父親だ。会ったこともないが、俺の瞳や髪の毛の色があまりにも似ているから誰にでもわかるらしい。俺は下を向いた。


「あ、ごめんね…」


アイさんが焦ったような声で謝った。


よく軽蔑の目で見られる。


マモノとの生活によって人は怯えながら生きていかないといけないからだ。今は殺されなくても、先の戦いで大切な人を失った人が何人もいるからだ。英雄制度が無くなったせいで犯罪をするマモノから人を守る者がいなくなったからだ。


「…私、ミンちゃん《おばあちゃん》のお見舞いに行ってくるから」


アイさんは俺の頭を軽く撫でて扉を開いた。


外は雨だ。


「ハルカ、ハーブティ入れてあるから飲んでもう休みなよ」


優しげなアイさんの声に俺はただ俯いていた。


バタンと強めの音を立てて扉がしまった。


急にひとりが怖くなった。1人だと考えたくもない父親のことで頭がいっぱいになりそうだ。


勢いよく扉を開けるとゴッという鈍い音がした。


扉がゆっくり閉まる。


額と鼻が真っ赤になったアイさんが、眉間に皺を寄せて立っていた。


「傘わすれたの」


「あ、…」


しょんなりしたハルカをアイは更に睨みつけた。


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