第一五〇話 七難八苦

結局義元は稲葉山城には一日滞在しただけで足早に駿河へ戻っていった。出立の際にしっかりと面倒事を投げつけて。


まだ朝靄の濃い折に義元の見送りにと城主の光秀と共にうしおが頭を下げて見送りをしている。

その折にうしおが義元に向かいはっきりと覚悟を口にした。


「治部大輔様」

「どうかこの身に七難八苦をお与えくださいませ」

「父上が翻意など持ちましたらこの首を差し出させて頂きます」


周り…特に織田の兵がぎょっとしたのが分かる。少々直球過ぎだが自分の立場を理解しているようだ。まだ数え六つだぞ!?うちの子天才すぎでは!?

義元はそれうちのこの天才ぶりを見て懐かしむようなそれでいて悔むような目をしていた。


「…竹千代、元康と似た目をしておるの」

「厳しい立場が人をそうさせるのかもしれん」

「…氏真にも……」


義元は珍しく何か口籠っていたがそれ以上は聞き取れなかった。


「千秋の」


「はっ!」


「武田は今まで内密に匿っていた元・美濃守護、土岐頼芸を担ぎ出し旗印に掲げ美濃奪還を企てておるという話がある」


「…え?」


どうして今そんな話を!?大変な話過ぎでは!?

…というか美濃守護土岐頼芸って行方不明と聞いていたのに…生きていたのか!?


「まぁ都合が良すぎる。本人かどうかはわからぬ、影武者かもしれんし騙りやもしれぬ。」

「例年通り北信濃へ軍を向けるやもしれぬ」

「だが備えておけ」


「は、はっ」


そうして義元は龍興を一瞥し


「三国同盟杯の事は聞き及んでおる」

「一色式部大輔殿、恨みを買うたな」


龍興は肩をすくめた。


「そなたもじゃ千秋、そなたの義弟となったからには付き合う義理があろう」


令和の感覚だと義理は義務ではないがこの時代では義理は義務だ。義理を欠くと戦国社会ではマジで生きていけなくなる。村八分的な意味で。だが正直こんな酷いゴタゴタに巻き込まれるとは思わなかった。だが俺もこの義理を欠くつもりはない。


「はっ…コイツ龍興を見捨てる事はできません」


フンと鼻を鳴らす義元。


「…武田を相手に今川は兵を出せん」


まぁそもそも論、美濃と信濃の国境に今川が援軍を送るなんて物理的に無理だ。もし全面的に戦うなら駿河から留守になっている躑躅ヶ崎館でも攻めた方が現実的だろう。だがそんな最終戦争をしない為の親子二代で血縁を作ってまで培った甲相駿三国同盟だ。今までの努力を反故にしてまで美濃に介入する理由も俺を助ける義理も無い。


「出せぬ…が」


義元の言葉が濁る。出せぬが…美濃は惜しいのかもしれない。明智光秀の下、親今川で美濃は纏まりそうだったのだ。義元も戦国の世を生きる者としてみすみす美濃という大魚を逃すのも忍びないのだろう。


「…鉄砲は預けておく」

「此度は其方が勝手に美濃でやった事は目こぼししよう」


丸投げが過ぎるが「動かず守りきって死ね」なんて無茶な命令されるよりは断然ありがたい。結局は戦国大名、同盟を組んでいようと美濃をみすみす武田に明け渡すつもりもないのだろう。


そうして視線をうしおに戻し暫しの沈黙があった。


「此処は戦になるやもしれぬ。奇妙丸うしおは那古野にやっておけ。最早其方だけの子ではない、織田を継ぐ者ぞ。」

「井伊の娘にも言いつけておく」


「は、はー!」


朝靄の中、空には薄く三日月が見えた気がした。


そうして今川の軍を見送りながら考える。今はまだ初夏だ、だが正月に挨拶に行けと言いつかっているが年を跨ぐまでに終われるのかコレ…?

そして俺は気になっていた事を側にいた滝川のおっさんに聞く。


「滝川、武田は兵をどれくらい動員出来るものなんだ?」


「はっ…少なく見積もって一万、多ければ二万程になるのではないかと…」


滝川のおっさんも青い顔である。


「……はぁ?」


現在の稲葉山城の兵力は千に満たない程度「誰と組むかは任せる」というのは美濃の国人衆を四の五の言わずに纏めろという事だろうか?


そうして数日、光秀と共に慌ただしく美濃の国人衆に出兵を要請する日々が続いた。どうかき集めても四千…いや少し盛った三千が関の山だ…西美濃三人衆とも手を組めないでいる。こんな数では武田の騎馬隊に鎧袖一触とボコボコにされるだろう。何か条件をつけて撤退を促そうにもこの時代一当てして武威を示す事が前提だったりする。鉄砲を使って何か一当てくらい出来る奇策は?四百丁程度で何か出来ないだろうか?


どうも武田信玄は香坂とやらの死を俺か龍興かそれとも両方のせいと恨んでいるフシがある。競馬で負けて勝手に自刃したアイツが全面的に悪いだろとは思うのだが、この時代権力者の逆ギレは広い心で認める風潮にある蛮族社会だ。更には元・美濃守護の土岐頼芸とやらを担ぎ出してきている辺り彼が本物であろうがなかろうが美濃攻めに正当性を持たせている。本気も本気、面倒極まりない。


そして撤退の条件に「龍興の命」となると見捨てるワケにもいかなくなる。その条件に「俺の命」が入らない事を願うしかないが、ともかく徹底抗戦になる。だが一万と三千では勝負にならない。

どうしたものかと右往左往しているとほどなくして義元の言った「誰と組むかは任せる」の真意を理解した。


京から疋田が戻ってきたのだ。

何故か上杉と九千の兵を連れて。

何の巡り合わせかこれぞ天の采配か…だが今川の手前本当に助力を請って良いものか、俺は葛藤していたが上杉謙信はその機先を綺麗に制した。


「此度は帰郷の前に立ち寄っただけ…戦をするつもりは…ない」


そんなつれない事を宣った。

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