第一四九話 再興の芽

水無月の下旬、今川義元が六万の兵を率いて京から駿府へ戻る途中に稲葉山城に入った。


「そうか、鉄砲は無事回収出来たか」


「はっ!」


今川義元は今日も変わらず無駄に威圧感のある筋肉を纏った偉丈夫であった。毎度見る度に思う。俺の知ってるおじゃるで蹴鞠をしている令和の今川義元と一〇〇パーセント血が繋がってない。何者なんだコイツ?


「ようやった」

「その方は年明けに駿河に参りその鉄砲を献上せい」


その声は義元にしては珍しく安堵の色を伴った柔らかいものだった。


「承りまして御座います!」


鉄砲四〇〇丁は一財産だし安全保障の意味も大きい。尾張に蔓延る織田の不穏分子を一掃出来た事に関してはきっと那古野に駐屯しているお裕殿もニッコリだろう。


「千秋の、何ぞ望みはあるか?」

「鉄砲四〇〇の代わりじゃ、それなりに考えてやろう」


「…それなら一つ」


義元は殊の外機嫌が良さそうだ、今なら大抵の事は聞いてやろう感がある。同時に「聞き流してやろう」という慈悲の心を願って一つの望みを口にする。


「尾張の斯波様、そして今川様にお仕えするべく、織田弾正忠家の再興を願えませんでしょうか?」


俺はしっかり頭を下げているが周りの空気が変わったのが分かった。今川の臣下からは刺し抉るような視線、そして俺の下に付いている旧織田家臣からは息を飲み強張るのが伝わってくる。

そうして緊張の中、沈黙が場を支配する。


「…其方本気で申しておるのか?」


暫くの後に開いた義元の口からは恐ろしく威圧的な言葉が漏れた。正直言わなきゃよかったと若干後悔していた。ピンポンダッシュで捕まった小学生を咎める位のノリで聞いて欲しかった…まだ本能寺?とか関ケ原?とか戦国ちゃぶ台返しチャンスはめじろ押し、今ここで願わずとも機会は巡ってきたかもしれない。頭の中でレッドアラートが鳴り響くが…それでもここは引くべきではないと感じていた。


「鉄砲四〇〇丁という牙を抜き、信長の乳兄弟が腹を切った今、残った四〇〇の男手は戦に、農地に、開墾に堤防の築造…あまりに惜しい労働力でございます」

「何卒今一度、今川様の下で新しい織田として働かせては頂けませんでしょうか」


俺は義元の信長に対する個人的な評価を本人から聞いている。信長に対して憎しみだけではない感情を持っている事を知っている。無論それはあくまで個人的なもので表立って弓を引いた織田家の再興は今川家のメンツを考えれば厳しいものである事は間違いない。

だから今このタイミングだ。鉄砲四〇〇丁の献上を約束する今この瞬間なら再興のハードルが低くなっているのではないだろうか?そのようなワンチャンを狙って話を振ってみたのだが…

ちなみに残念な事に次の世代、氏真の時代には織田家の再興は今以上に難しいのではないかと思う。なんか俺に対して妙に当たりがキツそうな感あったし。


顔を上げてまた後悔する。義元は顔を紅潮させ厳しく俺を睨みつけていた。視線だけで射殺されそうで思わず目を逸らしたくなる…俺の瞬きは多くなり、額から垂れる汗で目が滲む。


「三河の吉良様と松平のように斯波様、そして尾張には織田が必要と考えます」


「尾張から織田の残党を掃討した其方が織田の代わりに斯波や尾張の為に尽力しようとは思わぬのか?」


俺に斯波や尾張の為に働けというのはわからんでもない。

だが斯波義銀にやたらと上から目線でタカられてクソ面倒な事を背負わされる未来しか思い浮かばん…足利の分家だからとマウント取る奴を敬って働きたいとは全く思わなかった。そんな面倒事は織田家に全てなすりつけて酒を飲んで賭け事をやりラクに楽しく生きたい。

志が低いとかいうなかれ、むしろそんな志が高い奴らばかりだから戦が終わらんのだ。なんで小市民の俺が天下とか狙って戦場に出る必要があるんだよ!ああ俺は唐突に理解した、修羅道とは避けるべきと見つけたり…だ!

そうして俺は神を利用しおおきくでた。


「千秋は熱田の大神を祀る家なれば、政を離れ民に寄り添い世の安寧を祈る者でありたいと願っております」


競馬や富籤は民に寄り添ってるのでセーフだしお神酒も神を祀る為に必要なのでセーフだ。…これは天罰を食らわないようより一層しっかり大神を祀り祈らないといけないな。


「ふむ…」

「なるほど政を離れ民に寄り添い世の安寧を祈る…尊く高潔な生き方であるな」


なかなか評価が高いような言い方でちょっと恥ずかしい…と思ったが全くそんな事はなかった。


「それは其方の生き様と真反対であろう!」

「剣も槍も弓も馬にも秀でた才がない、足りぬ事に努力はせぬし持ち前の強運だけで世を渡り、女の尻ばかりを追いかけ常識もなく今も儂を口八丁で煙に巻こうとしておる不届き者め!」


ウワァーー!?酷い言われようだが大体合っている…正直そこまで俺の事を正しく理解されているとは思わなかった、というか今まさに煙に巻こうと必死なのを指摘されていたたまれない!そうして一通り俺をなじった後、義元は不機嫌そうに宣う。


「…だが結果は出しておる」


一転して苦い顔をする義元。


「…其方、今は亡き近衛前久様から官位を直接打診され、それを断ったらしいの」


周りがざわつく。

…そんな事あったか?そういえばあったな…なんだか明確にあのおじゃるの下になるのが嫌で断ったハズだが相変わらずこの人はどうしてそんな事を知ってるんですか?


「三河で一向衆による一揆が起こった折に逃げて来た民を集め共に畑を耕したとも聞いておる」


ちなみに栄村はせっかく大きな村に出来たかのように思えたが一揆が落ち着いたら七割位の者が三河へ戻ってしまった。


「それもこれも熱田大神を祀る為と申すか」


「む、無論この乱世でそのような綺麗事ばかりが通るとは思っておりません。ですが尾張にはやはり織田が必要です」


弾正忠家は一応警察扱いの役職と聞いた。斯波氏が存命の尾張には必要な役職といえるだろう。

今川の下、尾張の斯波と織田は、三河の吉良と松平のような関係を構築出来ないだろうか?いや、構築するべきなのだ。

今川の無茶振りと斯波の面倒事、その矢面に立って一手に引き受けるのは織田家であるべきだ…!俺はそんな面倒から逃げて酒と賭け事にうつつを抜かしたいのだ!


「尾張には織田が必要か……」

「考えておこう」


「はっ……あ、ありがとうございます!」


結論は今は出さないようだ。前向きに検討するという事で良いのだろうか?俺は頭を深々と下げた。


「そしてそこな子が織田の子か」

「其方には一度会っておる、覚えておるか」


この場には城主代理の明智光秀と共に信長の子、うしおも参列している。


「はい、治部大輔様。それがしは織田信長の子、奇妙丸にございます」


うしおは言葉一つで首が飛ぶであろう場でまだ数え六つだというのに空気を読んでその名で応えた。


「……聡き子じゃな」


義元は幼いながらも悠然とした佇まいを見せるうしおを見て何か感じ入っているようだ。うしおは義元の目をしっかりと見据えている。

暫くの沈黙の後、義元は目を伏せると不機嫌に鼻息を鳴らして宣った。


「首魁の信長の乳兄弟、池田とやらの首はとっておるからの」


あー…最低限のケジメは取っているといえるのか?俺は信じてたぞ池田…お前の首の価値が高い事を…!


「年明けに鉄砲四〇〇丁とそこな奇妙丸、それと母の帰蝶と言ったか、あの女も連れて駿府に来い」


よくある人質外交だがこの今川教育は受けておくと将来神君徳川家康公のような英傑になる可能性がワンチャンある。長い目で見たらこれはうしおの為になるだろう、きっと。


「織田家の再興は追って沙汰を出す」

「そして残った元織田の家臣共にも伝えおけ、その方らが不穏な動きをすれば千秋の首だけでなくこの子の首も落ちるとな!」


「ははーっ!」


あぁ俺の首は当然落ちるんだ…?彼らにしっかりと伝えておこうと気持ちを強くすると同時に俺の首がこの修羅の世においてとても儚い事を残念に思った。

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