永禄一〇年(一五六七年)
第一三四話 陰気な飲み会
年が明け新将軍様とやらは朝廷の年賀の挨拶を無事にすませた…ようだった?
殿上人であらせられる義元は何を見たのやら渋い顔をしていたが流石に何が起こったのかを漏らすような事はなかった。俺も察する。無事何もなかったね。
そうして正月も七日が経ち、俺は関東管領上杉謙信と相対していた。
「こちらが主君の千秋季忠でございます」
疋田は相変わらずの仏頂面で俺の紹介をしてくれた。疋田はここ京で上杉謙信に招かれ剣の稽古をつけていたようで大分打ち解けているようだ。
「よう参られた」
落ち着いたというにはただならぬ黒いオーラを纏った偉丈夫は俺の少ない未来知識で知っている上杉謙信その人である。黒いオーラといったが鬱気味とでもいうべきだろうか?
武田信玄に会ったがまさか続いて上杉謙信に会う事になるとは…俺が辛うじて知っている戦国武将なので嬉しくないワケはないのだが、先日武田信玄にボコられた身としては上杉謙信の機嫌を損ねてまたボコされたくない。というかこれ以上有力武将に悪い意味で目を付けられたくない…そんなワケでいつも以上に緊張していた。
「亡き近衛前久様に頂いた澄酒…忘れられぬ大変な美酒であった」
しかし上杉謙信からの印象は悪くはなさそうだった。というか生前は面倒事ばかり押し付けてきた
「は…今日お持ちしましたのは特別にご用意させて頂きました澄酒でございます」
俺はセールスマンばりの紹介をして控えていた滝川のおっさんが澄酒を謙信のマイ盃に注いでいく。マイ盃て…そんなものを常に持ち歩いてるのか?そうして普通よりも大きめな盃に澄酒を注いでいく。
「この奇縁を繋いでくれた近衛殿に感謝を」
そういって謙信は酒をゴッキュゴッキュと喉を鳴らしうわばみのように飲み下した。味わうというより流し込む。肝臓壊れないだろうか…?
マイ盃を空にして一息つき、謙信が独り言ちる。
「…上善水の如し…尾張の酒はなんたる美味か」
俺は心の中でそんな飲み方で味が分かるのか?とか尾張の酒じゃなくて伊勢だけどな…などとツッコミを入れていたが、陰気オーラを全開に放つ謙信相手に空気を読まず軽口を叩けるほどの胆力はないのでスルーした。
「これは伊勢の酒にございます」
だが疋田が空気を読まずに切り込んだ。おいばかやめろ。
「ふむ…そうであったか」
謙信と疋田は何か波長が合うのかそんな軽口も流せるようだ。打ち解けすぎではなかろうか?
暫く疋田はちびりちびりと、俺もちびちびと、そして謙信はゴッキュゴッキュと酒を流し込んでいく。無言で酒を流し込むだけの本当に飲むだけの会だったが人心地ついたのか謙信が不意に口を開く。
「なんでも千秋殿は昨今甲斐の武田と相模の北条を招いて競馬なる催しを開いたと聞く」
よく知ってるな…しかしどこからそんな地方競馬の情報なんぞ手に入れたのだろうか?
「某も結果が気になっておりました」
疋田がしれっとそれに乗っかってきた。情報源はおまえか…だが隠す事でもないので俺は出来るだけ簡潔に謙信に伝えていく。
「はい、神無月に尾張の鳴海にて駿河の今川様、甲斐の武田様、そして相模の北条様をお招きして競馬大会を開きました」
「競馬大会とは文字通り騎馬を走らせ一等早く走った者を表彰するという祭りでございます」
「…ふむ」
「走る武者は十名、各国から選りすぐりの武者を三名づつ、そして残る一枠を尾張に縁のある我が千秋家から出しましてございます」
無言で先を促す謙信。
「走る距離は十二町程、終始武田の騎馬隊が優勢な走りを見せておりましたが…人は気合で動けるものですが馬はそうはいきません」
いや人間だって動けなくなる時は動けなくなるが、戦国蛮族仕草では動けなくなっても気合とガッツと根性で動くものらしい。川中島とかで何度も武田とやり合っている謙信に武田の騎馬隊は弱兵と言ったと誤解されては困る。
「最後の最後で体力を温存していた尾張の千秋龍興めが並みいる騎馬を抜き去り一等を攫ってゆきました」
「…千秋龍興とやらは甲斐の狂犬共に狼藉を働かれたりはしなかったのか?」
「あー…どうやら千秋龍興…美濃の一色式部大輔に狼藉を働くわけにもいかなかったようで」
「代わりに自分が武田の者にしこたま殴られました」
流石に二月も経てばボコされた傷もあらかた治ってはいたがそれでも治りきっていない頭の傷をみせる。
「くく…くくく」
陰気に笑い出す上杉謙信。
「某は四度干戈を交えてようやくあの武田めに一泡吹かせたというのに」
「くくくくくく…」
「その時の武田の顔、某も見てみたかったものだ」
「愉快愉快…」
陰気オーラ全開で笑う上杉謙信。なにこの過去一辛気臭い飲み会?
「だが武田は何処かに噛み付かねば済まぬ性分」
「千秋殿も重々気を付けられよ…」
「はぁ…」
謙信はそんな不穏な言葉を残してまた澄酒を流し込む作業に戻った。そんな飲み方をして体を壊さないのだろうか?そうして都合三杯目の盃を空けたところで謙信がのたまう。
「くだらぬ主君であったのなら無理にでも召し抱えようと思っておったが…確かになかなかどうして面白い…」
「疋田、改めて問う。上杉に仕官する気はないか?」
そういって謙信は疋田に向き直りおもむろに引き抜きを始めた。いや引き抜くなよ。
「某はまだまだ至らぬ身にございます」
そして疋田はチラリと俺を見遣り言葉を続けた。
「この千秋殿は大概足りぬものばかりですが」
うるせーな。
「某が生涯気付かなかったであろう新しき道を指し示す光にございます」
「何卒ご寛恕頂きたく」
…俺そんな大層な事したか?
「そうか…」
「誠、残念な事だ」
そうして謙信は口では残念と言いながらゴッキュゴッキュと四杯目の盃を勢いよく空にした。
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