第一三三話 身を案じる

どうにか年内に京に到着した俺達は義元が滞在している建仁寺にすべり込んだ。久々にやってきた京は相変わらず底冷えするような寒さだった。


「これはこれは千秋殿!」


建仁寺で俺達を出迎えてくれたのは義元の無茶振りにどこまでもついていく久野さんだった。


「お疲れかと思いますが奥で治部大輔様がお待ちでございます」


…いやぁ確かに挨拶は必要だと思うんだけど滝川のおっさんからいろいろ聞いてからお会いしたいなぁ…などとは言えず。


「はっ!只今参ります!」


クセなんだ、長いものに巻かれるの。


◇ ◇ ◇


「そなたの草の文は確認しておる、この度は取り逃がしたがまぁ内容は都合の良い物であったし不問としよう」


え?まるで何度も取り押さえていたかのような言いぐさ…あのおっさんから連絡が少なかったのは検閲があったからか?


「さて、本題に入ろう」


さらっと流されたが滝川のおっさんは生きてるのだろうか?俺は困惑と緊張の中、あらためて今川義元がヤベー奴であるという事を心に刻んで話に耳を傾けた。


「三好の残党は内部で揉めておっての、戦自体は大した事は無かった」


先の関白近衛前久を暗殺した三好三人衆とやらを朝敵としたものの、兵を纏める征夷大将軍がいなくなって延び延びになっていたのだ。そしてどこからか足利所縁の義親とかいう男を引っ張り出してきて故・近衛前久の妻の父、久我晴通が後見人となり朝廷から従五位下・左馬頭に叙任されて広く三好の討伐命令が出たという事らしい。


「左馬頭様は年明けには朝廷にご挨拶を申し上げ、関白従一位近衛殿下並びに左近衛権中将に狼藉を働いた朝敵を打ち倒した功をもって征夷大将軍に任ぜられる…そういう筋書きとなっておる」

「そしてワシも関白を害した朝敵を討伐した功をもって従四位上の位を、関東管領も従五位上を与えられる運びじゃ」


まぁこの朝廷の与える位階に関しては幕府での序列と齟齬が結構ある。ただ上の者より下の者の方に高い地位を与えるとやはりギクシャクする…というか、まぁ言外に仲違いしろという分かりやすい離間計だ。新将軍がまともならせっかく就任したのだから幕府内での争いは避けて先ずは運営の立て直しをするのではないかと思うが…


「左馬頭足利義親様は…なんというか少々世情に疎く気位の高いお方だ」


義元は足利義親に対してひとかけらも誉める気のない不安な人物評を口にした。


「朝廷も将軍宣下の為に贈られた銭の中に悪銭が混じっているとケチをつけてきおる」


目に見えて幕府を軽視する朝廷に見え透いた離間計に引っかかりそうな将軍か。義元はストレス溜まってそうだな…


「義憤に駆られて招集に応じた関東管領も呆れて年明けを待たず兵を纏めて越後に帰ろうとする動きすらあった」


はずれクジを引かない為の戦略的撤退か…謙信さん新将軍に見切り付けるの早すぎじゃないですかね?


「話は変わるが疋田が先の戦で随分な戦功をあげておってな、それを関東管領に疋田が上泉信綱の弟子で左近衛権中将殿の兄弟弟子である事をそれとなく伝えた」

「それからは疋田を呼んでは話やら稽古をつけてもらっておるそうじゃ」


疋田アイツそんな事になってたのか。


「そうして今の主君が誰かと問われてそなたの名を出したそうじゃ。すると関東管領がお前の名に聞き覚えがあったそうでの」


はて…俺の名前に?何かあっただろうかと小首をかしげる。


「酒を贈っていたそうではないか」


…そういえば近衛前久おじゃるから酒を贈っておいてくれと頼まれて送ったのが関東管領だったか…?俺は敵に塩を送った罪人か?俺の顔が青くなるのを見て義元は呆れたように言う。


「そんな事で一々咎めるつもりはない。何よりワシは関東管領となるべく関わりたくない」


まぁ今川と上杉は直接国境を接していないから諍いは無さそうだが同盟の武田と北条は手を焼いてるみたいだしな。せっかくこの間一応三国同盟の絆を深くした()のだから余計な波風は立てたくないのだろう。


「さりとて将軍就任を前に幕臣が仲違いをしているのもいかにも体面が悪い」

「じゃが三国での同盟関係が成っておるのも上杉の脅威あっての事」

「万が一左馬頭様が将軍就任前に越後に帰る関東管領を不届とでも言い出し討伐命令でもワシに下ったら面白くない」


要は妙な言いがかりをつけられないよう体裁を整えたいという事か。駿河から越後は遠いし争って土地を得ても管理が出来ない、上杉と戦うのは今まで通り武田と北条に任せておきたい…と。


「そのような理由ワケでせっかく京に来たのだ、そなたは左馬頭様の征夷大将軍の任官まで関東管領を京に引き留めておくよう最大限努力せよ」


「は、はっ……」


俺は最大限の面倒事を押し付けられた。


◇ ◇ ◇


滝川のおっさんは建仁寺の離れの一室に軟禁されていた。監禁でないのは義元的温情なのだろう。


「おお…殿!まさか本当に助けて頂けるとは…」


滝川のおっさんは相変わらずのひげ面で目を潤ませている。


「当たり前だ、手が足りないんだ。お前にはまだまだ働いてもらうぞ」


そう、これから上杉謙信と会うのだ。絶対数多の面倒事が沸き上がるだろう。イザという時に動いてもらえるよう秀さんは熱田に置いてこの旅に同行させていない。頼りになるのはこのひげ男と疋田…そして姪のさやくらいなのだ。


「さやにもきちんと仕事を与えておけよ」


そう、彼女に堺に行く暇を与えてはならない。俺は滝川のおっさんに釘を刺しておいた。


「?」「さやにはもう京に戻らぬよう厳命しておりますが…?」


え?確かに彼女とは京に着く前に別れたが…


「…どう…して」


「治部大輔様は我らの存在を察知して見張りをつけております」

「下手に暴れて殿に翻意があると誤解をされても困りましょう」

「さやは今回は見逃されたようですが、のこのこと戻ってきても良い事はないとの判断です」


「そう…か」


俺はさやの身を案じた。甲賀か熱田か羽豆崎か…無事に戻ってくれることを心の底から祈った。どうかどうか堺にだけは向かいませんように…

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