第一三二話 甲賀越え

西洋では何処かの教祖様の生誕祭に沸くであろう師走も深くなった頃、さやに導かれるまま山の中の道なき道を歩いていた。


現在俺達は伊勢で酒樽を受け取り、二十人程の隊列を組んで甲賀の山越えをして京を目指している。伊勢から京に行くならこのルートが良いらしい。

一応道は安全という話ではあったが、それは人が踏み入らない人跡未踏の山故に山賊の心配がないという事で、その分道は獣道と変わらず険しい上に野生の獣の脅威は普通にある。令和の感覚では街道と呼ばれる道でも「酷道」というレベルの時代だ。この道なき道は文字通り道なき道であった。先導するさやが迷わないのが不思議である。

さや曰く大人の足なら二日もあれば着くとの事だったがこちとら令和のシティボーイぞ…


「…さや、道?は間違ってないんだろうな?」


「はい、順調でございます」


彼女は疲れを感じさせない能面のような顔でそう返した。いや、ホントそもそもこの道?に突っ込んでしまったのは何かの罠ではなかろうか?今更ながらこいつをどこまで信用して良いのだろうか?


「さやは…京に着いたら何か用事でもあるのか?」


この人跡未踏の山を攻略した後の予定を聞く。目の前の不安から目をそらし次の事を考えれば心に余裕も持てるというものだ。


「私は京の叔父の元に千秋様を案内しましたら奥方様より用事を言付かっておりますので堺へ向かいます」


俺はさやの京についた後の予定を聞かされても全く安心できなかった。


「どう……して?」


俺は不安が募った。


そんな心温まる会話をしているとふと道?の先に人影を認めた。こんな山奥の道なき道の木々の先に怪しすぎる人影…待ち伏せをしている人間も恐ろしいが人間以外の怪異であっても驚くけど驚かない。どうしたものかと内心悩んでいると、


「おじい様!」


そう言ってさやが道の先の人影に駆けていった。


◇ ◇ ◇


櫟野城


雪こそ降ってはいないがこの寒い季節に屋根のある場所で休めるのは助かる。俺は暖かな囲炉裏を囲んでこの城という名の屋敷の主から歓待を受けていた。


「お初にお目に掛かります、滝川一益が父、滝川資清と申します」


自らを滝川資清と名乗った男は先程さやが言っていたように彼女の祖父であり滝川のおっさんの御父君であるようだ。確かに滝川のおっさんの面影を持つ男だった。


「熱田大宮司様におかれましては一益がお世話になっていると聞き及んでおります。愚息がご迷惑を掛けてはおりませぬでしょうか?」


恐縮しているのが伝わってくる。さやもおっさんにはブチ切れていたし家族内ではおっさんがろくでなしである事は周知の事実なのだろう。俺はおっさんの借金三百二十貫を肩代わりして米少なめの雑炊をすすっていた頃を思い出す…が流石に面と向かって初対面の男に文句を言う訳にもいかない。思うところは多々あるが滝川のおっさんが仕事が出来る男で頼りにしている事も間違いではない。


「…」「いや、世話になっているのはこちらの方だ。ご子息は実に良い働きをしてくれていて今後とも長く仕えて欲しいと思っている」


一瞬言葉に詰まったが多少盛りつつも謝意を伝えた。


「…そうでございますか」


俺の言葉に資清は深くため息をついた。心から安堵…という風なため息ではなく、どことなく落胆の色が混じったため息だった。一瞬俺が言葉に迷ったのが良くなかったのだろうか?


「あの馬鹿息子は」


言葉尻に怒気が含まれているのが分かる。


「里では博打に興じ借金を抱え出奔し我ら家族はその尻拭いに奔走致しておりました」


やっぱりあのおっさんクソだな…


「風の噂に織田のうつけ様にお仕えしたと聞いて類は友を呼ぶのか…と頭を抱えておりましたが…」


…さて、この世界では織田信長は織田家中は纏めたものの無謀にも今川義元の大軍に飛び込んで死んだ残念な男という評価である。天下布武なんて大層な事を言っては笑われる正真正銘の「うつけ」であり、それを返上するには実績が足りないという評価だ。個人的には幼少の信長に仕えたのなら先見の明があったのだろうと思うが世間や親はそう思えないだろう。


「熱田大宮司殿にお仕えしたと聞いて喜び半分、ご迷惑を掛けておらぬかと心配をしておりましたが…」


「いやいや、いえ本当に…」


「また何処ぞで博打にうつつを抜かし借金でもこさえておりましたでしょうか…」


その言葉は怒りに震えているのを感じられた。

凄い、息子の事を完璧に理解してる…いや忍者みたいな事をいっていたから謎の情報網から知ったのだろうか?

実家で借金を作って出奔し織田弾正忠家で横領をして借金して…経歴を考えたらなんでこんなろくでなしを雇ったのか分からないレベルの罪人だ。

だが本当に彼の情報のお陰でこの世界に無知な俺が助かっているのは間違いないのだ。できれば関東管領とか長尾景虎とか意味不明な名前で言わずに最初からズバッと上杉謙信と言ってほしいものだが…まぁそれは少し欲張りかもしれない。


「…」「だ、大丈夫、借金の清算は済ませ今は清い身のハズだ。ご子息の監視はさやにしっかりやってもらっている。何より本当に良い働きをしてくれて俺は心から助かっている」


また俺は言葉を詰まらせてしまう。だが隠しても仕方がないと出してしまった借金云々という言葉から一層恐縮させてしまったようだ。


「海よりも深いご慈悲に感謝致します!!」


資清は頭を床に擦り付けんばかりに深く礼をする。


「さや、そなたはよくよく一益を御し熱田大宮司殿にお仕えするのだぞ!」


𠮟責にも似た語気で何の関係もない姪に理不尽の矛先が向いた。


「はい」


相変わらずの能面で素直にそう返事をして俺に対し深々と頭を下げるさやだが、この女これから堺に鋏を買いに行くんですってよ?

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