第一一四話 博打に酒

「ウオアアアアアアアアアアアアアア!!」


大歓声に包まれ疾走する馬、立ち上がる砂煙、轟く轡の音。

競技場の中央で一位と二位の騎馬の数字が書かれたのぼりが立つと場内はたちまち混沌の坩堝となる。服を脱ぎだす馬鹿に他人の服を剥ごうとする馬鹿、脱糞する不届き者に始まる乱闘騒ぎ、そして場内に舞い散る外れ木札。

鳴海競馬場は今日も悲喜交交、壮絶な混沌をこの戦国の世に生み出していた。


競馬を楽しむなら貴賓席ではなくこちらの方が良いだろうと俺は龍興を連れて一般席で参加していた。そして荒れ狂う大音声の中で龍興は悲痛な叫びを上げていた。外れ木札を握りしめてがっくりとうなだれ震える龍興。なにせこの一回のレースでコイツが酒も飲まずにコツコツ稼いだ一週間分の給金が飛んだのだ、その衝撃たるや計り知れない。魂すらここにあらずといった風だった。可哀想に…暫く放置しておこう。


「千秋の兄ィ」


服部小平太が場内にいる俺を見つけて耳打ちをしてきた。


「岡部の殿様が来ておるぞ」


岡部元信、近くにある鳴海城の城主だ。正直脳筋で俺がIQを下げないと話が通じない系オッサンで苦手なのだが今回のレースでは一位と二位がこの岡部の家臣の馬である、挨拶をしないという訳にもいくまい。


「わかってる。すぐに向かう。ソイツは警備で預かってくれ。一応滅茶苦茶大事な客人だ、丁重に頼んだぞ」


「え?」


一色式部大輔…斎藤龍興は美濃から追い出されはしたが一応まだ今川義元と同じ治部大輔という肩書を持っているヤベー奴なのだ。


「あと酒は飲ますな、茶を出してやってくれ」


「えぇぇ…」


俺は未だ衝撃に心が追い付かないでぐったりとしている龍興を小平太に押し付け貴賓室へと向かう。謎の貴人らしい廃人を押し付けられ小平太は困惑しているようだが迷子の世話よりはラクなものだろう。


◇ ◇ ◇


貴賓室では酒宴が開かれていた。そして俺の入室を確認するなり岡部元信は大声で満面の笑みで俺に声をかけてきた。


「おお来たか!千秋の!!」


「この度は大勝利、おめでとう御座います」


俺は深々と頭を下げて素直にワンツーフィニッシュを祝う。


「うむ、苦しゅうない!!」


岡部は上機嫌である。別に俺は龍興に競馬を教える為にわざわざ鳴海競馬場にやってきたわけではない。今回の岡部の大勝利には裏があり、十枠ある馬の出走枠のうち五枠までが岡部の家臣なのだ。元々この岡部の家臣団は脳筋な武闘派揃いで強い、頭角は顕していた。何度か単勝もあったのだが三河の強豪連中相手にどうしてもワンツーとまではいかなかったのだ。


「近年皆々様の実力が上がっていたのを目の当たりにしておりました故、こうなる日も遠くはないと思っておりました」


俺は更にヨイショしておく。実はこの度の競馬は三河の松平家臣団の連中が突然出れなくなったという知らせを受けたものだ。松平には三枠振ってあり、その強い馬がいきなり三枠も欠場では競技自体が成り立たなくなってしまう。そしてその枠を岡部のオッサンがカバーすると言ってくれたのだ。ちなみに熱田千秋家は一枠でとてもではないが三枠なんてカバーできる余裕はない。俺はその申し出に感謝し、そして今回の勝利を持ち上げておく。


「まぁ祝いに水を浴びせたくはないが松平が留守じゃからな。だが勝利は勝利じゃ!!今宵は競馬の歴史に残る一戦となったであろう!乾杯!!」


調子の良いオッサンである。俺はオッサンの自慢話を聞き流しつつ、空になった盃に酒を注ぎテンションを上げる作業を続けた。


しかし元康が国を空けるとは何かあったのではないかと勘繰ってしまう。史実の永禄九年には何があったのか?随分と世界線がズレてしまった為、余り参考にならないかもしれないがそれでも教科書の内容だけでも覚えておけばよかった…


そうして顔に笑顔を張り付け、心ここにあらずと淡々と話を持ち上げつつ酒を注ぐだけの作業を続けているといつのまにかオッサンのテンションは天元を突破して…そして遂に俺の前には陸に打ち上げられたアザラシのようになった岡部のオッサンが完成していた。


「殿!殿!お気を確かに!」


正体不明になった主君を家臣が労わる。家臣の一人に「本日は殿の気分がすぐれぬようですし、ここでお暇させて頂きます」と帰る宣言をされるも、体育会系だからなのか腫物扱いされているのか誰もへべれけとなった岡部を背負おうなり引き摺るなりしようとしなかった。

仕方なく俺はオッサンの如きアザラシを引き摺り、雑に籠に押し込む。というか酔っている人間は本当に重い。鳴海競馬場から鳴海城までは岡部のオッサンからしたら庭のようなものだし適当で良いだろう。だがオッサンの家臣からは眉をひそめられた。ならさっさとお前らがやれよと言いたい。そうして前後不覚のアザラシとなった岡部元信は自らの城に帰っていった。


◇ ◇ ◇


岡部のオッサンを追い返すと警備の詰め所にて意識を取り戻し、多少元気になった龍興と相対した。だが酒臭い俺を見るなり胡乱気な顔をする。ちなみに俺は(大して)飲んでない…が目を逸らす。


「旦那ァ…俺に内緒で一人で酒を楽しむのは酷くねぇか?」


「一人じゃねぇし…俺は大して飲んでねぇよ…さっきのオッサンが五月蠅いから潰しただけだ」


だが龍興はじいっ…と恨みがましい目で俺を睨んでくる。そんな彼に根負けして俺は鳴海競馬場の外に立ったドヤ街で龍興に薄い酒を奢る事になってしまった。

博打の後に決して美味くはない薄い酒、それを幸せそうにちびちび飲む俗な姿を見ていると…「コイツを仏道に入れるのは不可能なんじゃねぇかな…」などと考えてしまった。

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