第一一三話 失踪

お祐殿は三日ほど付ききりで看病()し、無事に体調を取り戻した。

彼女は元気を取り戻したのだがそれに対して俺は少々やつれ気味だ。

これが熱力学第二法則というやつだろう。現代知識チートは今日も役に立たないと分からされた。


そんな中で事件は起こっていた。俺が彼女に付ききり()でいた為に発覚が遅れた。なんと龍興が失踪していたのである。


龍興は美濃に不和をもたらさぬようお忍びで那古野に入ってもらっていた都合、周りには「名は明かせないが(まだ出家していない)やんごとなき身分の方」「酒は絶対に飲ますな」という監視するとは程遠いが、それでもゆるい軟禁を行っていた。

そのようなわけで美濃の企てを知らぬ者の認識としては「面倒な貴人がやってきている」として丁重に奥座敷に通して注意、監視はしていたようだ。だが御簾の奥に人がいるかまではおいそれと確認は出来ず、食事を配膳した者は膳に手を付けていない事を不審に思いながらも「貴人の口には合わなかったのだろう」と深く考えずに下げ渡されたとして残りを給仕の者達と共に綺麗に平らげており発覚が遅れた。そうして失踪に気付いたのは最初に食事を取らなくなってから一日と半分程が経過した後だった。現場は失踪に気付いてどうしようと右往左往して…結局俺が龍興の安否を尋ねるまで報告にも上がらず現状に至ったというワケだ。うーん現場猫案件である。

何が不味いって俺の説明も中途半端で良くなかったと反省する。これなら座敷牢にでも入れておくべきだったか?


さて、失踪した龍興だが広く人相書きを配るわけにもいかず苦しい時の滝川のおっさん頼み…とその配下を頼りに足跡を辿ってもらった。今安定しつつある美濃に戻って龍興を担ごうとする一派にでも見つかって取り込まれたらたまったものではない。

そうして更に二日が経ち、龍興を発見したとの報が上がってきた。俺達は急いで現場に向かうとそこにはすっかり変わり果てた龍興の姿があった。


「土はこっちに捨てろ!!」


泥にまみれた龍興は灌漑工事に精を出す日雇いの無頼漢共に混じって大声を張り上げていた。何やってんだアイツ…俺は頭を抱えた。そうして出来るだけ穏当に工事の責任者に龍興を引っ張って来て貰う。


「うへぇ千秋の旦那じゃねぇか」


「うへぇ…じゃねぇだろ。こんな所で何やってんだおまえ…」


「いや旦那が色恋にうつつを抜かしてるってのにこちらには酒もねぇし女っ気もねぇこうなったら町に繰り出すしかねぇな…と」


なるほどヒマだったから抜け出したと。


「そうして町に出て久々の酒に舌鼓を打っていたら店主から店じまいと言われるじゃねぇか。それで熱田大宮司のツケで頼むと店主に言ったら「そんなの認められるか!」って怒鳴られてな、結局一晩世話になってこの仕事を紹介されて、それからその酒屋と現場を行ったり来たりよ!」


うーん自由フリーダムである。


だが見た所大きな怪我も無いようで何よりだ。力仕事ではあるが、この時代の人はなんだかんだ動く事を厭わない。コイツだってアル中のくせに山城の天守まで上り下りしても息の一つも切らさないのが当たり前だったようだし、更には俺とここ数ヶ月朝から晩まで土を耕していたのもあってこの仕事をするにも不足はなかったようだ。

昼間は大声を出し力仕事で汗水を流し、夜にはこの無頼漢共と場末の酒場の薄めた酒を飲む。このまま生きていけそうな逞しさも感じるが、先にも言ったように美濃の変な勢力に取り込まれると不味いのだ。

だから俺の選択は一つだった。


「しゃーねーな…俺も手伝うわ」


こちとらここ数か月土を耕していたのだし作業に文句はない。

「よっしゃそうこなくっちゃ!」という顔をする龍興。

滝川のおっさんは「連れて帰るんじゃないの?」そんな顔をしていた。

そして「え、何言ってんのこの人?」という顔をする現場監督。

まぁ突然の闖入者が仕事をすると言い出したのだ、作業を放ってサボるのを止める為に監視しているのだから増えるなんて面も食らうだろう。


「え…熱田大宮司殿では…?」


「ウチの殿がああ言ったらどうしようもない、迷惑はかけぬからやらせてやってはくれぬか?」


「はぁ…」


背後で滝川のおっさんが現場責任者と摺り合わせをしてくれているようだ。まさかの出来る男である。


「そのかわり一杯おごれよ?」


俺のその言葉に仕事の後に酒が飲めると確信した龍興は破顔する。


「いいぜいいぜ!そうこなくっちゃな!」


そうして俺は滝川のおっさんと共に灌漑作業に加わる。


この時代において龍興のように立場があってもその立場に見合った土地を支配する権限のない者は珍しくない。三河の吉良が良い例だろう。駿河、遠江を統べている今川は吉良の分家らしいが、当の吉良は駿河、遠江ではなく三河の地で生きている。今川の旗下でも勿論松平の傘下でもないようなので、立場としてはかなり宙ぶらりんに感じる。それでいて今川義元も一定の配慮…というか格上として扱っているようだ。そういえば三河で一向一揆とやり合った時も元康は吉良に命令を出せず持て余している感じだったな…

そうなると龍興は尾張で小さな土地を持たせた方が美濃は丸くおさまるのではないだろうか?そんな事を考えてそもそも俺が自由に与えられる土地なんて尾張に無いと自覚する。よし、やっぱりコイツは出家させよう。

そんな益体もない事を考えているうちにこの日の作業は終わった。


「オッシャ旦那!酒だ酒!酒を飲みに行こうぜ!!」


龍興がノリノリで仕事上がりに酒を求めて町へと繰り出す。水で薄めた酒だがアル中にどこまで飲ませていいのやら…ただ働いて汗をかいた後に飲む酒は確かに旨かった。

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